*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年4月1日(月)
■一日一文章トレーニング。

「新しい鉢に植え替えたのに、もうすでにはみ出している遊戯王頭」

いやはや、本日は雨。4月1日の新しい門出の始まりの雨である。あ〜新生活とは今考えると甘酸っぱい気分にさせるものだ。もう二度とあのようなフレッシュな気持ちになれないと思うとかなり残念でもある。新しい教科書に、まっさらなノート、それら新しいモノに包まれる気分とはいつ何時も心トキメくものであり、そして、知らない人ばかりの教室や職場の新しい世界に飛び込んだ瞬間に、期待は不安という名の緊張感によって押し潰されます。もし、私が東京にやって来たばかりのピカピカの1年生であったならば、何という言う言葉を贈ことが出来るのでしょうか。

・新生活のお皿は春のパンまつりのお皿だけでも十分にこと足りる。なので、不要な出費は抑えることは可能なものだ。

・コップはモロゾフのプリンが中に入ったガラスコップを利用すれば、美味しく食べることが出来てコップもゲットできる。いわば、「二頭追うものは二頭を得る」である。そして、そのようなコップは割れなくて丈夫でもある。

・机はダイニングテーブルなどにも使えそうな大きくて立派でシンプルな高額な机を購入するのも良いものだ。良いモノとは何十年も飽きることなく長く愛着をもって使うことが出来る。

・そして、おそらく、お皿やコップ、机よりも、何よりも、AIはこれから長い時間をかけて私達の全ての前提条件を変えてしまうかもしれない。それは数年後か、もう始まっているやもしれない。自分を見失わないように、自分自身のデータは大量に長期に渡り保有するのも一考である。

我、新一年生な気分になり、今を生きる若い仮想の自分自身に言っておきたいことを言葉にしてみた。未来とはどのようなことが起きるのか予測不可能なことではあり、そのような不確定な中で何かを語るとなれば、良かった経験則なお話を語るぐらいである。そして、それらは、どれも長く愛着を持って使えるお話でもあり、長期的な目線を持つ必要性を説いたものだ。そうだ。猪突猛進で直感的でもあり、短期な短気に囚われずに長期的な真贋を得る目で行動できるように昔の自分に教えたいと思っているのかもしれません。

ということで、

昨日は遊戯王頭を鉢替えを行う。土日を使い1日に一鉢づつ鉢を植え替えるという効率の悪さとは正に私そのもの。これらは長期目線を持っていない証明でもあり、昔から一つ一行動でしか物事をこなせないものだ。長期的な未来も見てマルチタスクに段取り良く行動することとは、なかなかに難易度の高い道でもあります。このような性格は墓場まで持っていくしかないのかもしれない。

夏のような春の暑さの中で鉢の入れ替えをしていると、汗もボタボタと落ちるもの。そんな苦労をしながら、NEW鉢に遊戯王をすっぽりとはめると「あれっ」と鉢に収まり切らない。サイズは随分と大きい鉢を用意したのですが、遊戯王の横から生えた新しい頭が大きすぎて、もうすでに鉢からはみ出ております。「どうしましょう」 鉢変えの時には前の鉢のn幅の塊(図形参照)があるので、もうこれ以上横に移動することは出来ない。なので、とりあえず、NEW遊戯王頭から生える根っこみたいものだけ、何とか土を盛り根っこに接触するぐらいまで近づけます。鉢をも飛び越えて真っ直ぐに育たない植物とは、げにクセありの植物でもある。新根を切って枠内におさめるべきか、いやまた、鉢の外まで自由に奔放に育てるべきなのか、それは大いなる人生の教育問題でもあります。型にハマらない遊戯王頭とは、どのような姿を見せてくれるのか楽しみでもあり、また再びアンバランスなカタチとなれば、その時には新しい鉢を用意すれば良いことでもあるので思うがままに自由に育ててみる実験とする。そして、同じ同郷のアフリカ勢の葱頭に問題が発生した。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年4月1日(月)
■鳥観察。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年4月2日(火)
■一日一文章トレーニング。

「朝から”水=お金”と考えて、根腐れのある無しと案外あるのかもしれないと思うものだ」

ここ数日、部屋の床温度が20℃超えを観測します。床の温度が20℃まで上昇すると、朝起きておトイレまでの冷たかった床も普通に歩けるもので、私の体感温度は床温度20℃を超えると冬用のソックスは不必要となります。朝冷えの床温度も20℃を超えているので季節はすっかりと変化するものでもある。

<床の温度>
3月31日(日) 朝 19.6℃
3月31日(日) 夜 20.8℃
4月1日(月) 朝 21.2℃
4月1日(月) 夜 22.2℃
4月2日(火) 朝 20.2℃

季節はすっかりと冬から春へと変わり、春爛々と下ろし立ての春っぽい服を来て出かけます。そうすると何故か雨に降られてしまうものだ。昨日も朝雨が降り、そして晴れて、曇って、空が突然ゴロゴロと鳴り始めたと思いきやポタポタと小雨が降ってくるもので、山の天気のようにコロコロと変化の激しい季節でもある。そのようなポタポタと降る雨には塵や黄砂などの不純物が核となり降ってくるようにも感じるので、特にお気に入りの服などを着ている時にはできるだけ雨に当たりたくないものだ。ポタリポタリと降ってくる雨はポタポタと服に染みつき、何で下ろし立ての服の日に限って雨が降るのだろうかと思うものでもある。季節の変わり目が雨を呼ぶのか?新しい服装が雨を呼ぶのか?それは大いなる謎ではありますが、一人の人間が着る服装が天候を左右させることは不可能でもあるので、気候も変わり、衣替えもすれば、寒暖差も混じり合う天気も不安定となって雨に降られる呆則でもある。

ということで、

季節の変わり目はよく雨も降るものであります。今年は三寒四温を全く感じることは無いのですが、一雨ごとに季節は進む感じはあるものだ。春がやって来て、ほとんどの植物が暖かな日差しと雨降りを喜んでいますが、アフリカ勢の遊戯王頭の相棒の葱頭だけは大量の雨で根腐れを起こしました。せっかく、寒い冬を皆と一緒に乗り越えて春を迎えたというのに、恵みの雨によって根腐れを起こすことは悲しいことであります。この子は毎年、梅雨や春の長雨に打たれて根腐れを起こしていましたが、雨に弱いことをすっかり忘れておりました。毎年、根腐れを経験していたのにすっかりと忘れてしまう記憶力でもあるので、鉢に棒を刺し「こやつは雨に弱いぞよ」と書いておく必要はあるものだ。

植物は水無しには育たないものの、必要以上に水を得ると根腐れすることは何か面白いものであります。それは、生命の糧である水を人間界の「水=お金」変換してみると教訓じみたものを感じるものでもあります。お金で根腐れとはあるものだろうか?何だかありそうで、ありそうな気もするものだ。我サースティ部隊にはタプタプお金な経験はないものであるので何とも妄想域を超えることは出来ませんが、そう言えば、投資家と言う人達はお金が根腐れしないように、ほうぼうに分散投資をしているものであります。お金という水をアリゾナ砂漠なカラカラな場所にいくら水を撒こうともすぐに乾燥してしまうものでもありますが、砂漠地帯にはサボテンのような乾燥に強い植物が育つものであり、また、適度に環境の整った場所に水は大量に撒かれてしまうと、その内に大きな水たまりとなってバブル経済のような根腐れ状態を起こすようなこともあり得ます。土を作り、根を育て、葉を育てることは、それは産業を育てるミソであり、植物への水やりや育てることとはそのような普遍的な奥義を教えてくれるものなのかもしれません。

とりあえず、

応急措置として健康な青々として部分だけをカットして乾燥させて、これを土に刺して根付かせることにします。美味しそうなネギやニラや、はたまたインゲンのように見えますが切られて延命されたネギみたいな部分は土に、そのまま刺していても枯れはしないのですが、根も生えないものでもあります。何とか根を生やして遊戯王頭の横に植えてあげたいものでありますが、「出来るかな?」。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年4月2日(火)
■鳥観察。
■2024年4月3日(水)
■一日一文章トレーニング。

「あ〜やっぱり、一枚二枚と数えてこその皿屋敷ですね」

「一枚・二枚・カンパーイ〜」と
我が屋敷の食器棚には誰を呼んでパーティーをするのかと思うぐらいにたくさんのお皿があるものだ。
日常使いの皿は一番上にあるパン祭りの皿が日々使われて多重に重なる下の大き目なお皿はもう何年も使っていないものでもある。
いやはや、我が家のお皿は10枚も重なっていないのですが、1枚や2枚割れたところで何の支障をきたさないお皿需要だ。
だからと言って割れていないお皿を不燃ごみで捨てることや、わざと皿を割るような勇気もないものだ。
昔のゼルダな勇者のように壺をパリパリ割る勇気が欲しいものでもあります。
ゲーム内では幾千ものお皿を「エイヤー」と割り、割れた壺からHP回復のハートを取り出していたものである。
他人のお家に勝手にお邪魔して剣をぶんぶん振って陶器を破壊し、壺に向かって一直線のゴロゴロのでんぐり返しで壺を一気に破壊し、または、壺を一つ一つ持ち上げて壁に向かって投げて割るサイコな勇者でもあった。
皿が1枚ぐらい割れたぐらいで、奉公人を折檻虐待する家人に対する対抗策には、皿を数えるだけの亡霊に失った1枚のお皿を与えるのでは無くて、グラグラと食器棚を揺らしてひっくり返すようなポルターガイストを伝授する必要はあります。
9枚の高級皿を「一枚二枚」とビュンビュンとフリスビーのように飛ばしてハッピーエンドな成仏である。
今回のパン祭りは平皿ではなく、小ぶりなボール状のお皿です。
一生分のお皿があるので去年はパン祭りシールを捨てていましたが、今年のボールタイプ形状でかわいいので集めようかな。

ということで、経済です。

経済は器かもしれなくて、水はお金かもしれません。朝から1994年(平成6年)10月から始まった金利の自由化について調べると、今から30年前の出来事で失われた30年と絡ませても感慨深い。それは競争か規制かの荒波の中で(ガチガチの規制→自由化の競争の芽生え→競争に疲れて→マイルドな規制の逆戻りする30年間)とも総括できます。

第二次世界大戦後の日本の産業経済政策は欧米各国に経済規模を並ぶことと経済的な自立を達成することを目標にしておりました。その為に低金利政策で企業の資金調達を容易にする政策を行っていました。それはアベノミクスとて同じでマイナス金利やイールドカーブの長期金利操作等の異次元緩和とは自由競争を阻害するような仕組みでもありながら、低金利で企業の資金調達を簡単にするものでもあります。自由経済をあからさまに否定出来ないので、異次元という名を掲げたのかもしれません。

そのような日銀の政策も先日の日銀政策会合の決定により終結し、今後の日本経済は徐々に通常モードとなります。このような低金利政策は戦後の日本経済発展に寄与しましたが、欧米各国の金利の完全自由化は60―70年代から始まって80年代には完全自由化を終えております。日本の金利自由化は14年ぐらい遅れの実施となります。因みに、1983年から1992年の米国の銀行倒産は1389件で、その期間中の日本の銀行倒産は0件です。何故、日本の銀行が潰れなかったかと言うと国の政策で銀行は潰さないように規制していたからです。金融とは国の隅々にお金を流すパイプ役であり、潰れると大きな影響があるので銀行を潰すことはありませんでした。2024年の結果から判断すると米国の銀行間の競争を行い、たくさんの企業を潰し、それ以上の企業やサービス、金融商品を生み出しながら現在の金融企業群を育ててきたことになります。

低金利であることの最大の勝者はお金を借りる側です。一方で貸す側は損なのかと言うとそうではありません。預金金利を低く抑えることで貸す側の利潤もあります。当時は護送船団と言われ金利の規制が実施されておりました。例えば、10%でお金を借りたい企業に、銀行側が貸出経費を2%と算出したならば、8%以下の金利でお金を集めてお金を貸し出せば損しません。そして、金融規制で金利が横並びの5%と決まっていれば確実に3%の利益を確実に稼げます。(幻想でした)これは資金調達コストを低く抑えることが出来て、競争無くしてお金を右から左に回すだけでの平成6年以前の経済のカタチでもあります。この中で唯一お金を損させる人たちがいます。さて、誰でしょう?

それは銀行にお金を預ける預金者です。せっせと私達が貯めたお金は高額なタワマンや高級車、高級時計を借金で購入・転売の「ウヒョー」な人たちや、低金利で高額な家を建てて経済規模は上昇しますが建てた直後からその家の資産が減価するような投資と、日本の安い金利でお金を借りて海外投資する海外発展に寄与しました。端的に言うと、預金者をいじめ、真っ当な金利を払わない低金利でお金を借りれる人や外国を支援してきたことになります。本来預金者が受け取るべく利潤の多くは公然と盗まれてきた十数年でもあるとも考えると、あの高く立派な建物も高級車も本来、我らが受け取るはずの金利分で完成しているようなものでもあります。なのに、怒ることも無く逆に万歳三唱であったことは不思議な七不思議でもある。これらは以前デフレーションをバンザイしていた経済の人がデフレを批判したり、1ミリも新自由主義でもない、この日本を新自由主義だと批判している表に出ているヤバき宣伝のおかげかもしれません。一時的な国策に乗っかることは後々に痛い目に合う呆則は確かなことではありますが、一時的な国策に乗らずとも私達国民とは翻弄される悲しき国民でもあります。


*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年4月3日(水)
■晩餐館(皿だボール)。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年4月4日(木)
■一日一文章トレーニング。

「昨日描いた晩餐館”皿だボールマシーン”の解説です」

昨日、皿屋敷の積み重なる皿の様子を下から見上げる感じの遠近技法で描きます。
実際の皿の積み重なりを比較すると全然違うものではありますが、頭の中で皿が積み重なるとなれば大体このようなカタチでもあります。
皿もキレイに積み重なりバベルの塔となって天に聳え立てば横蹴り一発で皿破壊は可能です。
ですが、皿屋敷で一枚二枚と数える怨念にはやっぱりフリスビーのように一枚一枚丁寧に確実にビュンビュンと飛ばして割って欲しいものでもある。
もやは、幽霊となった身に高級皿をお金に変えるような価値もありませんので、例え美術館に飾られるような歴史的な陶芸作品であったとしても美しく飛ばして割ってこそ亡霊の怨念も成仏出来るだと思います。
最後の一枚は主の頭にクリティカルヒットするように大切に保管して、一緒にあの世行きになるまで関係者を十分怖がらせる必要はあるものだ。
そして、どうせ皿を飛ばすならばゲーム性があった方が良い。
高級皿は春のパン祭りのサラダボールに投げてホールインワンできれば亡霊エンターテイメントとして昇華できます。

皿の絵はロケットのように積み上がる塔から発射されることを想定していましたが、そのような皿の積み重なりを図に描くと、西欧のお屋敷にある長いダイニングテーブルに見えてくるものだ。
ディナー客に空っぽの食材を見せびらかせて、空を飛ぶお皿の空腹感でもある。
不思議なことは一度、皿の塔が机に見えると、それ以降はもう永遠に長机でもあります。
これは想定外のことではありますが、長いダイニングテーブルを皿は走って、フランス製のサラダボールに飛んで行く晩餐館の雰囲気もなかなかに良いもので、「この世の中に失敗は無い」とまとめます。
そのような名言はどこかにありそうだと思って検索すると、松下幸之助が「諦めない限り失敗はない」と言っております。
皿屋敷の亡霊にはさっさと成仏して欲しいものでもありますので、「諦めない限り失敗なし」と吹聴してはダメな予感。
ホールインワン出来なれば永遠に成仏出来ないサイクルにハマります。
また、亡霊を連れて美術館に行くのも絶対ダメです。
皿を飛ばして割る亡霊を連れた方のご入館は遠慮しておりますとの看板を作ってみました。
美術館・博物館はケチくさい撮影禁止マークをアピールするよりも、皿屋敷幽霊やポルターガイストの持ち込み禁止マークが必要なのか?と思いましたが、それはゴーストバスターズのマークのようでもあります。

「いやいや、晩餐会だよ」
「えっ?何を言っているの?晩餐館でしょ」
「晩餐館は焼き肉のタレだよ」
「えっマジで」
「因みにいつもLとRが反対だよ」
「Rが左側に来るとバランスが悪いのでLRにしている」
(検索中)「晩餐館は焼き肉のタレだね(エヘッ)」
「晩餐館はフランス語だよ」
「えっ?何を言っているの?大丈夫?晩餐館は洋風な漢字だけれども和風すぎる言葉でもある」
「おまえの方が大丈夫なのか?カタカナでヴァンサンカン、ヴァ」
(検索中)「ヴァンサンカンはフランス語やね(エヘッ)」
「25でニーゴー、ハーフ・クオーターみたいなことか?いやいや“Vincentquin”で検索すると“彼らは勝てないだろう”と出てきたよ」
「どういう意味?」

というような感じでゴーストとはいつ何時も生まれるものであります。

そのような皿が空を飛ぶ経緯や皿屋敷の亡霊の無念さを我なりに解決する仕組みについて語ることは、ここ最近でもなかなかに眠気を誘うお話でもあります。
自分でも、世の中にこんなにもどうでも良いお話はないだろうと思うのですが、毎日文章を書くとなれば、皿屋敷の亡霊気分でお皿(凶器)を飛ばして家人たちを恐怖のどん底に落とすお話の回も必要不可欠です。
このようなお話を永遠に聞かされる方にとっては、これまた折檻的な苦痛を味わうことかもしれないので本当にm(_ _)mT錬文修文且何時皿屋敷候。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年4月4日(木)
■2024年博物館での三つ巴(赤皿・青皿・皿屋敷の背後霊)の戦い。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年4月5日(金)
■一日一文章トレーニング。

「私の好きなディック・ブルーナさんの本の表紙カバーを修復しながら、ブルーナさんの製作の行程がレイヤー的な製作方法であったと思う=写真は本の要素を書き出したもの」

「ディック・ブルーナの世界パラダイス・イン・ピクトグラム」という本は好きな本の一つでもあります。奥付けを見ると1996年5版とあるので32年前の本でもある。そのような古い本を長く付き添って持っているだけでも好きな本の証明でもありますが、好きな本とは定期的に気にもなるので本棚からごそごそと引っ張り出してはパラパラとページをめくってまた再び仕舞われる本でもある。棚にはギッシリと本も詰まっているので、本を出し入れする時には、経年劣化に加えて本と本の摩擦でもカバーは破れしまうものだ。このブルーナさんの本のカバーも幾分破けて来ているもので、普通の本であればそのような破れたカバーは捨ててしまうものではありますが、この本のカバーは修理して捨てることはしません。なぜ、この本のカバーを捨てないかと言うと、この本のカバーが半透明のパラフィン紙で出来ており、そこにブルーナさんのウサギ耳が印刷されていて、そのカバーを巻くことでブルーナさんの世界が体現されているように思うからです。カバーが無ければ、タイトルだけが印刷されたブルーナさんの本となり、表紙にうさ耳のない本とはブルーナさんの世界観を100%体現していないようにも感じてしまうものだ。これは「ブック愛」と言っても間違いありません。

そこで、昨日、破れたトレペ・パラフィン紙にタミヤの木工ボンドを使って接着します。セロテープなどを使用すると本の破れなどは簡単に修復することもできますが、テープが劣化すると黄色く色褪せて見栄えも悪くなるものでもある。長く愛着を持ち保管するには木工ボンドを使ってキレイに修復したいものであります。ボンドを細く薄く破れた箇所に伸ばし、紙と紙をミリ単位以下で接着すれば、パッと見、修復箇所がわからないぐらいにキレイ修理出来るものであります。(成功です!!)他にも破れた部分はあるので全部完璧に修復したいものだ。

タミヤの木工ボンドはボンドの差口が細くなっておりとても使いやすい。最近は全く作ってはいない、にわかプラモデラ〜でもある私の呆則では、プラモデル用品には下手するとプロ用品よりも数倍以上のスペックを発揮する優秀な道具が多いものだ。この木工ボンドもその一つであり、また、アクリル絵の具の筆の洗浄には「筆ピカリキッド」もなども定番のプラモ用品である。お店や事務所に自作のプラモデルを飾る職人さんの技術も、そのプラモデルの出来上がりから一目瞭然でもあり、飾るプラモデルの作品を見れば、その人が持つ技術水準や根気強さ、丁寧な仕事など技術の信頼を感じ取ることは可能です。なので、汚い店構えであってもお店の裏にプラモを飾っているのを見つけたりしたならば、ここはこだわりのある美味しいお店なのかもと思ったりもするものでもある。もしかしたら、上手なプラモや味のあるプラモでも自作プラモを飾るお店やその人が持つ技術は案外信頼出来る判断材料なのかもしれません。

ディック・ブルーナの本をペラペラとめくると、ミッフィーのデザインは図のように1955年に誕生して、約10年間の熟成期間を経て1963年に現在のミッフィーちゃんのお姿が完成しました。創作物とはホイホイと2〜3日で完成するものではなく、このように長い時間をかけて少しずつ形成されるものでもあります。それは人の成長の歴史のようなものでもあって、これもまた植物のように育てていくこととも似ているように思うものだ。

本の写真からのみ分析するものではありますが、ブルーナさんはA1・A0というようなポスターサイズのような結構大きな紙を使用して絵を描いているようにも思うものであります。(間違っていたらm(_ _)mt)先ずはスケッチをして、ラフ画から線画の原画を作り、次に大きな紙に面画の色でカタチの輪郭を塗って、フィルムやトレース紙など使って線画を重ねて作るように作品を作っているのかもと思ったりもするものだ。確証はありませんが、これはパソコンのレイヤーなどを使って作品を作ることに似ているように思います。よって、もしかしたら、このブルーナさんの本の表紙カバーのトレペもレイヤーを重ねて作品を作る1つの本の世界観の装丁を成しているのではなかろうかと思ったりもするものだ。

面白いところだと、日本での呼び名のミッフィーちゃん(最初は”うさこちゃん”だったようです)は現地オランダでは「nijntje・ナイジェ」と呼びます。おそらく、外国でミッフィーと呼ばれていることが知らないオランダ人にとっては「ミッフィー」は通じない可能性もある。iPadで何度か「nijntje」の発音を再現してみましたがザ和人でもある私には、なかなか発音出来ない難しき発音である。ミッフィーとは英語圏での呼び名でもあり、他には「Katinka」「Nina」・・・など様々な国で様々にローカライズされた呼び名で愛されているウサギさんでもあります。

 

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■2024年4月5日(金)
■ブルーナ風にレイヤー層を成す。

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*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年4月6日(土)
■一日一文章トレーニング。

「“マイブック・フランケン”ブックカバーを修復せよ」

一昨日、ディック・ブルーナさんの本カバーの一部を修復して、今度は欠落部分も含めて全部修復します。修復を終えた本を手に持つと、その本の愛着も満足度も爆上がりです。本の見た目は経年劣化したトレペ部分と新しいトレペ紙の半透明色が異なる為に、まるで、書籍界のフランケンシュタインのようでもある。もし、私にやる気と根気があるならば、そのような新しいトレペ紙の表面に色褪せた感じの色のスプレーで吹きかけて馴染ませる演出も可能ですが、面倒なので今回はこのフランケン本状態で良しとする。さっそく、カバーを本に取り付けて、捨てずに本に挟んでいた帯も巻き、本屋で購入した初期状態に戻すと「あ〜何というか、やっぱり」の中古本である。

トレペ紙を使った本カバーの修復にはトレペ紙を使用します。トレペ紙は丈夫なマットな表面の半透紙で文字を書くのにも最適な紙です。正にこのような本の修理に打てつけな素材なのかもしれないとは思うのですが、本当は目にも見えないような薄い和紙繊維などを使用して修復するのかもしれません。本修理の一歩としては十分な1歩ではあります。

先ずは破れて欠落している部分にトレペ紙を置いて下の部分をトレースします。そして、糊付けする為の1ミリ程の余白を加算した輪郭線をシャーペンでなぞって、その線に沿ってトレペ紙をカットしてから木工ボンドで接着するだけの結構簡単な本修復でもある。希少本は確実に価値を下げそうなので注意は必要ですが、このような本の修理にはプラモデルを作り完成させるような面白みはあるものだ。おそらく、上手なモデラーさんであれば、本の修復でも修復箇所を判別できない程の完成度で作り上げる人もいると思う。場数を踏んで、技とノウハウも蓄積すれば、本の修復とは面白き良き趣味となる予感。ダメージ本を見つけたならば、もう一度修復作業にトライしてみましょう。

<マイブック・フランケンの会>

・表面に付いた木工ボンドはキレイ拭き取らないと乾いた後にムラになる。
・汚くなった紙の裂け目部分はハサミやカッターでキレイに切り取ってから新しい紙を貼る方がキレイに仕上がるかもしれない。
・ホコリなどの不純物も一緒に接着してしまわないように気をつける。
・線切れ部分には、これ以上破れが広がらないように後ろページから紙を貼って補強する。

ブルナーさんの本を読み返していると、ぼんやりとした記憶の通りに大きな紙で作品を描いているようである。郵便切手のような小さなデザインであっても大きな紙に描くことは面白いことであります。大きな紙に作品を描くことのメリットは何かと考えると解像度が高いことである。ブルーナさんはミリ単位にこだわり作品を単純化して描きますが、作品を印刷物に使用する時は大きな画像を縮小して使うことになります。この縮小には何の問題も発生しませんが、反対に、小さなものを拡大して使用するとなれば、線やムラ、歪みも一緒に拡大されて気になることと思います。なので、このような簡略された図柄だからこそ、オリジナル作品は大きく描くことの意味はあるのかもしれません。また、作品のサイズが大きくなれば絵の値段も高くもなりそうな予感もするので一挙両得なのかもしれません。

製法についての記載もあります。詳細は不明ですが、やはり、透明フィルムやトレペなどを活用させて描いているようでもあります。黒い線画は製版フィルムに感光させたようなものを使用して、下地にベタ塗り面を合わせながら最適な色味を試行錯誤していたようでもある。このようなパソコン・レイヤー的な製法は1963年のうさぎさん画から使われるようになった技法で、それまでの絵は大判サイズのザラついた紙にベタ塗り手書きから、ポスターカラーの黒色線画でふちどりして仕上げをしていたようであります。そして、同じ柄を100枚以上も描いていたようだ!!いやはや、私も何かについても聞かれたら時には100ぐらい試行錯誤しているよ〜と言っとこーです!

子供の頃に読んでいた本とは無意識に頭の中に入ってくることもあるもので、私の今の絵の描き方とは誰から教わったものではありませんが、本を読みながら勝手にディック・ブルーナさんの描き方の順番など影響を受けているものでもあります。大きいサイズで絵を描くことはなかなかに経験はありませんが、事務所から大きな紙を持ち帰り大判サイズの絵を描いてみましょう。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年4月6日(土)
■マン・ボックス(太い線)。
■2024年4月7日(日)
■一日一文章トレーニング。

「Delicious Buiscuit Please Taste 略して(DBPT)」

ノーコメント。

  

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年4月7日(日)
■Music is the key.
■2024年4月8日(月)
■一日一文章トレーニング。

「やっぱり、最後は気合いと根性である」

室温も19℃・20℃と上昇してくると冬用の布団では暑くもなって汗もかく。布団の中が暑くもなれば「ふっ」と目も覚めて布団を剥いで寝ることになる。そして、布団を剥いだ状態で寝ていると今度は逆に寒くもなって再び布団に包まって寝るような毎日でもある。だからと言って、ペラペラの夏用布団に交換するのはまだ早すぎます。布団の衣替えは花粉の季節が終了してから、天日干しの儀式を行い仕舞いたいものでもある。故に、花粉終了宣言が出るまでは布団をチェンジすることもしないので、冬用の肌に密着する”もこもこ”と暖かな部分と布団の表面を引っくり返して寝れば温度調整も出来るのかもしれないと思ったりもするものだ。毎年、何だか同じようなことを考えているものである。

ということで、

昨晩、「The First Slam Dank」を観た。赤い頭の子とカーネルサンダーな監督のことは知っていますが、勿論、初めて見るスラムダンクでもある。体育館系のスポーツをする人たちとは皆、色白で日陰もあって良いなーと思うものではありますが、外でやるスポーツと体育館の中でやるスポーツでは別の人種ぐらいの壁を感じるスポーツの差でもあります。なので、当然バスケは観ることも遊ぶこともないのですが、今回、映画のスラムダンクを観て、バスケがスピーディーで熱いスポーツであることはわかりました。先日のオリンピック予選で世の中を熱く盛り上げたバスケではありますが当然、試合を観ることも無いので、昨夜、初めてバスケットボールの入口に立ったと言えます。バスケットボールと言えばドシンドシンとボールが重すぎて何でこんなに重いのかと不満に思っていたような記憶があるものだ。パスをしていても突き指でイタタな思い出もある。ルールもダブルドリブルがダメなぐらいとネットにボールを投げ入れるぐらいは知っているものの、5人でプレイするのは知らなかった。映画を観ながらバスケットボールの観戦とルールも一緒に楽しめたようなゲームでした。人の動きはアニメ作品であるのに実写映画を観ているような迫力があり、私の足もピクピクとボールの玉つきとパスに反応して動いていました。本当は映画館に観に行きたかったのですが、映画をじっくり鑑賞することは出来なくて、おトイレ休憩や水分補給したりする必要もあります。そうすると、一時停止も必須となるので映画館よりも自宅で観るのが良いものでもあります。以前も書きましたが、タイタニックを観た時には船の沈没と共に、マイのおトイレ模様もMAX沈没状態となってトイレに走り戻ると感動のシーンもが終わっていたことはザラである。なので、映画に一時停止は必須の呆則でもあって、ゆっくりと自宅鑑賞できました。

映画を観た感想は、いつの頃からか「気合いと根性」が否定されるような時代になったのかわからないのですが、スポーツをやっていると最後の勝利の女神の微笑みの差とはそのようなスポ根魂に宿っているようにも感じるものだ。そして、そのような皆が嫌う「気合いと根性」が若い人たちにも評価されたことはすばらしいことでもある。野球やサッカーなどを観ていても、技術や論理的に戦うのはその通りでありますが、この前のWBCであれば、透かしたようなプレーをしていた日本のプロ野球選手の中でヌートバー選手のガッツあるスライディングキャッチから勝利の歯車が動き出したようにも感じるものだ。プロでもアマチュアでもゲーム観戦する立場からすると、戦う選手の中から「気合いと根性」の片鱗を見ることができたならば、それは何か良きものであります。それぞれの背景を持つ選手たちがゲーム中に何かを克服して成長し、チームも一つに纏まっていく姿は良いものである。そして、そのようなチームの中心にいるのがカーネルサンダーな監督でもあります。監督はチームのアイコン的なキャラクターでもあり、選手に新しい気づきを与えてくれ存在でもあります。チームのバランスが崩れて崩壊しかかった時にエース・サクラギ選手をベンチに下げて、遠くからゲーム展開を俯瞰させて新しい気付きを与えるようなことも素晴らしい。また、スラムダンクのことを何も知らないのでどのような意味があるのかわかりませんが、選手一人一人に哲学的な言葉を与えるのも良いものです。

また暫くしたら、「セカンド・スラムダンク」にトライしましょう。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年4月8日(月)
■上手なドリブル。
■2024年4月9日(火)
■一日一文章トレーニング。

「さくら さくら あー さくらやね」

写真は昨日、美しい桜のトンネルの下で撮影したものです。曇り空でもあり、花の白飛びも少なくキレイな桜を撮影することが出来ました。本当は桜のトンネルの全体像を撮影したいのですが、角度によってはいろんな関係のない人たちも写してしまうので真上に向かって撮影します。誰か知らない人のブログに自分自身が心霊写真のように写り込んでいたら笑っちゃうこともありますが、犯罪者のように顔もモザイクで消されていても、また笑ってしまうものである。\草/なので、わいは真上に向かって写真を撮ります。その上に向かって撮影する角度を「平和」と書き「ピンク」いやいや「ピンフ」と呼ぶらしい。いやはや、仰ぎ見る桜の花はキレイなのですが、桜を撮影して毎年思うことは満開の桜を写真に撮っても後から見返すこともない桜かな、でもある。せめて、昔の人のように五七調な思いを込めてこの桜に対する想いを書き残すことを今日の文章の目標とします。

今朝もしとしとじめじめと降る雨。この春はとても雨が多いような気もするもので、さっそく、過去の天気を調べてみると下記のように、やっぱり去年よりも今年は雨の多い春でもある。晴れ・雨・曇りを数字に変換して、去年・2023年は「晴れ6雨2曇り5」と晴れたり曇ったりの概ね「晴れ」な4月であったことはわかりますが、一方、今年は「晴れ1雨7曇り8」と「曇りや雨」ばかりの天気であることもわかる。雨も多いので植物たちの根腐れにも気を付けないといけないのですが、外にいる植物たちには手助けすることも出来ない。なので、後はカーネルサンダー如く「ド根性を見せてミロ」と植物たちを信じて雨を切り抜けることを願っております。

<2023年の天気>
4月1日:晴れのちくもり
4月2日:くもり
4月3日:晴れ
4月4日:晴れ
4月5日:くもり
4月6日:雨のち晴れ
4月7日:くもりのち雨
4月8日:くもりのち晴れ
4月9日:晴れ

<2024年の天気>
4月1日:くもりのち雨
4月2日:晴れのくもり
4月3日:くもりのち雨
4月4日:くもり一時雨
4月5日:雨のちくもり
4月6日:くもり一時雨
4月7日:雨のちくもり
4月8日:くもりのち雨
4月9日:雨・・・

因みに、桜が満開になると雨や風も一緒に連れてくる気もするものだ。さっそく、去年の桜の開花状況を調べると、去年の桜の開花宣言は3月14日で、満開が22日。そして、面白きことは、やっぱり去年も桜の満開後の23日以降の7日間、ずーっと雨になって満開の花びらを散らしております。桜は満開となった後に雨を呼ぶ呆則は案外あるのかもしれませんが、天気予報を見ると、明日からは晴れて良き花見日和になるような予感でもある。

<2023年の天気>

3月22日:晴れ(桜の満開)
3月23日:雨
3月24日:くもりのち雨
3月25日:雨
3月26日:雨のちくもり
3月27日:くもり一時雨
3月28日:雨のちくもり
3月29日:くもりのち雨

ということで、駄句一句を謳います。

「満開の トンネルくぐり 次の日は たいてい雨だ 散りぬるをわぬ」

明日以降の桜の見どころ(桜予報)予測の難しさを俳句にしました。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年4月9日(火)
■フリースロー。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年4月10日(水)
■一日一文章トレーニング。

「桜の開花から満開までの期間の部屋の室温・湿度を取り出してみた」

例えば、昨日の満開の桜の花びらを飛ばしてしまうような雨風吹き荒れる春の嵐を過去天気で調べると「雨のち曇り」と表記されます。昨日は一日中の雨降る大雨であり、もしマイ日記帳に天気を書くとなれな「雨」の一字で間違いありませんが、確かに、夕方には雨は止んで「雨」の「一字」に「曇り」も追加されるような天気でもある。

「一時」と言えば、「曇り一時雨」というものもあります。そのような「一時」が何を指し示しているのか気になり調べてみると、「天気用語の一時雨」とは観測期間中の1/4(6時間未満)の連続的な雨を観測すると一時雨となるようだ。なので、天気予報で「曇り一時雨」となると、ひと時の雨がパラパラと降る程度を考えてしまいますが、しっかりと雨が6時間未満で連続的に降ることになる。6時間未満の時間でバケツをひっくり返す凄い雨が降ったとしてもそれは「一時雨」であり、活動時間中の6時間の雨と言えば、それなりの一日中の雨感もあるものだ。当たり前ですが1日は24時間で、私達の睡眠時間や建物の中に籠もる時間帯でも天気は常に移り変わっていくものでもあります。私達が感じる天気とは移動中や外にいる時のほんの“ひと時”の一瞬の天気でもあります。

ということで、

昨日の雨風で、桜のトンネルはすっかりと飛ばされて、あの満開の美しさはもうないものかも?。

去年も書きましたが、桜の木の受粉は自分の木のみで受粉することは出来ません。
他の桜の木々の花粉を受精することで、初めてさくらんぼを付けることが出来ます。
チュンチュンと受粉を促してくれる鳥も少ないとなれば、風の他力を頼ることは至極当然な事でもあります。
よって、大風吹き荒れる春の嵐の前に花を咲かせるのは桜の一つの生存戦略であるとも思われます。
人間に桜を愛でさせて「キレイだ」と褒められても、桜にとれば何の受粉の足しならないもので、そのような褒め言葉よりも何よりも実利である。
満開にキレイに花が咲いた後に嵐によって花粉も飛ぶ実利こそ桜の木々には必要なものであり、私達にとって桜の花を散らしてしまう雨風とは憎き雨風ではありますが、桜にとれば恵みの雨で間違いありません。
ならば、桜が花粉を飛ばす春の嵐の近づきをどのように知るのかと考えたならば、それは湿度を感知している可能性も考えられます。
水分は南からの暖かな温度を吸収して南風によって運ばれてくるもので、さっそく、直近の室温湿度から桜の開花状況を調べてみたら下記のようになる。
桜は開花宣言から11日目で満開となり、湿度の高まりで満開になっていると言えば、そのようにも見ることも出来ますが、さて?どうなのでしょうか?
来年も引き続き部屋の室温湿度を計測しましょう。
私達は桜を見上げ、桜に見透かさながら、ひと時の花を美しさを愛でるものなのかもしれませんが、桜にとっては満開の花よりも散らして花粉を飛ばしてこそ価値あるものなのであります。

<マイ・室温湿度データ>

4月10日 65% 18.8℃(今日・晴れ・良い天気)
4月9日 71% 21.9℃
4月9日 83% 20.9℃(大雨)
4月8日 79% 22.2℃
4月8日 79% 20.3℃(桜満開)
4月7日 71% 23.4℃
4月7日 77% 18.6℃
4月6日 73% 19.9℃
4月6日 72% 18.4℃
4月5日 65% 23.4℃
4月5日 74% 19.2℃
4月4日 74% 20.9℃
4月4日 74% 19.2℃
4月3日 73% 20.6℃
4月3日 70% 19.3℃
4月2日 71% 21.4℃
4月2日 67% 19.3℃
4月1日 75% 21.8℃
4月1日 75% 19.8℃
3月31日 72% 21.8℃
3月31日 77% 18.8℃
3月30日 72% 20.7℃
3月30日 78% 17.4℃
3月29日 70% 20.1℃ (桜の開花宣言)
3月29日 76% 15.9℃
3月28日 72% 17.5℃
3月28日 65% 15.4℃

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年4月10日(水)
■鉄壁なガード。


*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年4月11日(木)
■一日一文章トレーニング。

「春は生命の愛を感じる季節です」

昨日の桜はヒラヒラと桜舞う桜吹雪でした。手を出せば掴めそうなぐらいに落ちてくる桜の花びらを写真に撮りますがなかなかに難しいひらひら感であります。拡大すればヒラ感は出るでしょうか?と”ど・アップ”である。桜の絨毯なども撮ったりするのですが、後から見ても、そのような美しさを表現できない桜かなです。今年の桜がキレイだと思う理由はおそらく、上から下まで一気にふわふわの淡いピンク色で満開となったことです。ふわふわもこもこした満開の桜は何か良いものです。ここ数年の早咲きの桜のことを思い出すと下1/3から上に向かって順に桜が咲き、てっぺんの桜が咲く頃には下から新葉が出てくるような咲き方であったような気もします。兎に角、確信はないのですがスラムダンクなツーブロック刈りな咲き方かも。けれど、どのような桜であっても毎年、今年の桜を一番キレイであると思う節もあり、満開でも、散り際でも、いつも美しき桜の花であります。そして、桜の花が散ってから新緑になると誰も注目することもない桜並木に毎年、寂しく思うものであります。

そのような、

美しき花を咲かす日が我にもいつの日かやって来るのか?と自問自答すると、我木は桜ではないように感じるものだ。ならば、なんの木かと空想すると、とてもひん曲がった樹木である。あーと言うならば、反対のことをやり出してしまうような性格は子供の頃からでもあり、三つ子の魂は百までである。クセありに曲がった木とは工業生産向きではないことは間違いありませんが、まっ杉であれば、バッタバッタと切り倒してスライスされて良き社会のパーツとなるものではあります。ですが、曲がった木材とはそうは問屋も卸さないものでもあります。育った地を見て、木のクセを読み取り、建物を建てるような棟梁さんでないと使い物にならない曲がった木材である。

ということで、

我が家の多肉植物の鉢から変わった木の芽が出ました。それは恐らく、秋に赤く紅葉する紅葉の木です。この鉢には実家のクーラーの排水が貯まる場所に生えていた雑草扱いの不気味な多肉植物を植えていた鉢なのですが、今では真っ当な多肉にも侵食されながらもいろんな植物が共存する鉢となっております。この植物を実家から持ってきた理由は放ったらかしでも、それなりに育つ植物でもあるから。当時、多肉植物ブームもあり何を血迷ったのか実家に自然に生えていた雑草を東京まで持って来て育てていました。(写真にはうまく写っていませんが実家の多肉は下の方にボケて見えています)そして、今春、そのような鉢から紅葉のような木が生えた。これは桜の開花よりも何よりうれしいお知らせでもあります。何せ、この紅葉は十数年前に鎌倉の建長寺を参拝していた時に、頭上からひらひらと落ちて来た種を拾って自宅の鉢に植えたものであります。昔は、芽が出ないかと毎日見て、その内に時々見て、そして、今や永遠に忘れられていた種でもあります。最初は雑草が生えてきたかと思っていましたが、抜かなくて良かったです。

何年も種から芽が出ることもなく我慢していたのか?眠っていたのか?何かそれは自分自身を見ているような種でもあります。自然の木の種とはすぐに芽出する訳ではなくて何百年の歳月を経て急に木を生やすのが植物でもあるようで、このような自然の木の生え方とは自然の摂理に従った生き方でもあります。そのような意味でも自然に生えている木々は大切に見守る必要のある木々でもあり、今見えている木々も種落ちからの物語を語れば成長の物語よりもさらに長ーい長―いロングストーリとなります。

なぜ?今頃芽が出てきたのか?それは謎なのですが、今年の冬の寒い時期に外にいる鉢たちを室内に取り込んで、我が家保有の白菌を全鉢に感染させる実験をしました。全ての鉢の表面に白く吹き出る白菌を確認してから外に出したならば紅葉の木が生えたという訳であります。なので、白菌が紅葉の種の発芽を促したこと考えることも出来ます。今朝紅葉の身長を計測すると、数ミリの細ーい細―い幹の身長約28センチです。春になり、今も毎朝ぐんぐんとものスゴイ勢いで成長しております。あ〜何だかうれしいな〜で、立派な大木に育ててみたいです。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年4月11日(木)
■ワンonニャンで勝負だ。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年4月12日(金)
■一日一文章トレーニング。

「不思議だな〜5ヶ月ぐらい前に作ったヒノキのクリスマス飾りがまだ枯れずに生きているものだ」

入学式や入社式の季節も終わり、そのような風景を頭に浮かべると演壇の横に常に盆栽は飾られるものです。演壇は舞台の真ん中にドシンと設けられ、その横にも負けない位の立派な盆栽がドシンと供えられることになります。そして、その反対の横にあるものは空虚な「無」である。この様式のカタチはとてもアンバランスでもあって何か面白い意味を感じるものであります。さっそく、個人的な分析に立つと、これは恐らく三具足的なものを土台としているのではないかと思ったりもします。三具足とは仏前に飾られる「お花」「香り」「灯明」の3つのことであります。

ここでの「お花」とは盆栽を指します。五節句な美しい花などと共に常緑樹を飾ることも一般的なことである。盆栽とは常緑樹であり大木を模したようなミニチュアの木でもあります。このような舞台で松の木を飾る意味は常緑樹の真如不変な永遠性を表現しているようにも思えます。堅苦しい場所で松の盆栽とは定番であるのかもしれませんが、派手やかな舞台となるように春の美しいお花を混ぜて飾ったとしても、その名の通りのお花飾りでもあります。美しい植物を飾りて不愉快になる人はいないと思うので、お花を飾りはハレやかな気持ちになる大切な演出でもあります。

そして、演壇部分は何かと考えたならば、それは「香り」であります。おっさんの香りとはぷんぷんと香るのか?香らないのか?よくわかりませんが、組織の頭(かしら)が演壇で祝辞を読めば腹一杯に匂い立つ演壇でもあります。その演壇に立つ人が未来を照らす「灯明」であったならば世も末な幻滅事でもあり、演壇とは“もやもや”ともやって漂う煙のような「香り」で間違いないと思われます。嫌な匂いは人の記憶にずーっと残り香としてに残るような匂いでもあるので、演壇に立つような人物には良い香りを発せられるように常に研鑽してもらいたいものであります。

ならば、3本目の空間とは何かと言えば、それが「灯明」です。灯明は演上には一切飾られていないものではありますが、演壇の前にはたくさんの目(みあかし)があります。それら新しく情熱と希望に満ちた炎が灯明であると考えることができます。そのような灯明とは小さく、か弱き炎でもあり、なので、大切に燃やして育てる必要はあります。そして、演壇の横の空白部分の「無」とは新しく迎えられる人々の為に設けられた空間でもあるのかもしれません。新入生代表者が演壇上の者に返答文を読み上げることで、その形式の体と成し組織な空間に迎えられるカタチです。まーまーまー私の勝手な様式美に対する解釈でもありますが、案外正しいかもしれませんが、よくわからない演壇のアンバランスさではあります。

ということで、

常緑樹とは常に緑色の葉っぱであるからして緑の永遠性でもあるのかと思っていましたが、どうやら、それは間違いであることに気づかされます。そのような気づきを与えてくれるものが、12月の始め頃に種子を抱えたヒノキを使ったミニチュアのクリスマス飾りです。(写真中央)それはクリスマス後に賑やかな飾りをとって単に棚に吊るしていましたが、なんと5ヶ月経った今も緑色を保って生きています。流石に植物の色は最初の頃のような濃いグリーン・グリーンとした色はしていないものの、水分など何も与えなくとも長期間常緑な生命を保って生きていることは驚きでもある。仏教に言う、この常緑樹が持つ永遠性とは常に緑色であることではなく、普遍的な生命力を表していることに気付かされるものです。

面白きことに、何の飾りもせずに単に置いていただけのヒノキは茶色く寂れて枯れています。(写真右・真ん中のヒノキよりも後に拾ったもの)愛でる力とは生命力に何かの力を与える呆則があるのでしょうか?よくわかりませんが、ほったらかしのヒノキよりも、飾って吊るされたヒノキの方が長く生命力を宿していることが面白くて不思議なことであります。

※注意:三具足の並びとヒノキ写真の並びに何の関係性もありません。見た目の順番で並べました。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年4月12日(金)
■お化けの式典のようだ。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年4月13日(土)
■一日一文章トレーニング。

「香りを嗅ぐ嗅覚とは第一印象や直感の大きな部分を占めるものかもしれません」

パス回しは重要です。ボールはポンポンと自分自身で回してどこかにあるゴールに向かって繋げていく必要があるものだ。昨日のパスは2つあった。一つは愛でる愛でないことでの劣化の違い。気にかけているものはゆっくりと劣化するもので、ほったらかしのものは早く劣化も進む不思議でもある。クリスマスのヒノキ飾りが長持ちする理由は、ご飯の湯気を浴び、わてらがドンドンと扉の開け閉めで衝撃を与えることで枯れる暇もないのかもしれません。または、人が動くだけでも分子レベルの良きゆらめきを与えるのかもしれないし、見る?視る?観る?だけで何かしらの不思議な作用を起こすことは、空き家が高速に経年劣化してしまうように、人の行動には何らかの対象物に「みることや」「触れること」「そばにいること」で何らかの良い作用はあるのかもしれません(?)。そして、遠くから見られていても何となく感じる視線の力とは結構強いものである。

そして、

もう一つのパスが香りである。昨日、香りの図を雲のようにモクモクと描きましたが、これは何だか雲のようでもあって何か違うような香りのカタチでもあります。線香を焚けば天に向って1本線の煙りは立つものでありますが、人のカタチに香りを表現しょうと思えば亡霊か雲のようなカタチになってしまうものである。いやはや、目に見えない香りをカタチに落とし込むには、どのような形状にすれば良いものでしょうか?昔のゼルダでは犬モードになれば残り香を辿ることが出来ましたが、あの匂いのカタチは秀逸な見え方をしているような気もするものだ。

「視る」も「匂う」もとても大切なことではありますが、どちらも抽象的であり具体的なカタチも実体も無いものです。だかしかし、実体は無いものの、どちらも案外具体的にも感じるものだ。(A)というものが存在することを具体的に認識するとと、(A)を見ていない、(A)を知らないことの差とは確かにありそうで、匂いとて、同じように知っている匂いと知らない匂いはあるものだ。特に嫌な科学物質的な匂いは嗅覚の記憶に張り付いて、1日中なかなか消えない嫌な匂いでもあります。匂いにカタチはないもののある程度の具象性は感じるものであり、そのような煙巻く掴みどころのない匂いは、とてもキャッチーな匂いでもあります。

人の好き嫌いな直感は、その人やものが持つ匂いで分かれる位に大きな影響を持ったものでもあります。世の中には確実に良い香りを持った人はいるもので、香水とかそのような人工的な香りで無くて、その人の横を通るだけで「ほわん」と感じる素の良い香りとは心地よいものだ。それは言葉に表現するのは難しいのですが、若い頃の青春な香りや加齢臭的な匂いを感じるような誰しも感じる一般的な匂いでもあります。病気の人であれば重い病人の匂いを感じるものであり、我、獣人系人間はクンクンと人の香りを嗅ぐものでもあります。一番わかりやすいのが友達の家に行った時のお家の匂い。それぞれの家庭に独特な匂いがあり、どれもクセ強い香りでもあります。昨日なんて我が家を出てすぐに戻ったら家からニラの匂いがしたものだ。それはワンちゃんの寝ている毛布のような強い匂いにも似ているし、犬愛用の毛布をクンクンと嗅いで犬に向かって「クサッ」と言うと犬でも怪訝な顔で嫌がるものであり、人の香りを嗅いで、その人の香りを評価することはご法度でもあります。クンクン。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年4月13日(土)
■コンビニのセルフ・POSシステムでお買い物。
「おにぎり」と「日焼け止め」と「純金令和小判24金幕府謹製」の日用品を購入しました。
 
■2024年4月14日(日)
■一日一文章トレーニング。

「24金は24Kか24Gか?、チョコレートのカカオも高くなっているらしい」

昨日は幕府謹製令和小判を描きました。令和の時代に幕府が存在していたら、このような小判を鋳造していたかもしれません。金(きん)と読む故に「K」表記しましたが、金はいやいや24GのGOLDの「G」表記ではなかろうかと思ったりするものでもある。調べたら、金の表記は「K」でも「G」でもOKなようだ(www)「K」だ「G」だとの曖昧さは面白いもので、私のような素人が金塊を持つと偽物を掴まされたかと汗汗するのかもしれません。主に海外表記は「K」が多いらしいのだが、何とも面白い金記号である。

絵は毎度の何の意味もない絵ではあります。本当に、毎日描かないとなれば描く絵もネタ切れだ。当然、毎日書くような大切な文章もないので、脳に負荷をかければ、このようなコンビニでおにぎりと日焼け止めと小判を買う妄想が生まれるものである。「G」は大嫌いな虫ではありますがGOLDの「G」であれば大歓迎である。18Gでも24GでもGメッキでも、何でもピカピカと輝いていると、それは何だか良い輝きでもあります。そして、酸化して錆びないことが何とも素晴らしい金の良いところでもある。

24金という呼び方が変なので金の純度の計算方法を調べたら「24分率」という測定方法を使用しているようだ。24Gで99.99%の純度となり、これは金が利用されるようになった時代には、まだ「%」の概念が発明されていなくて1日24時間で24でフル満タンなスケール測定の伝統を引き継いでいるようでもある。ちなみに、18金は18÷24=0.75で75%の純度の金となるようだ。「K」という文字には1Kは1000(thousand)と省略することもあり、また、1M(million)で1,000,000をすることもあります。いやはや、「K」とか「G」とか「M」とか本当にややこしくて、そのような一文字で省略する言葉とは何か中二病っぽいものである。これらより、彼の国にも我らのような中二兄貴や姉御な仲間が存在していることだけは推測できます。

ということで、

最近の金の価格はぐんぐんと上昇しています。金の価格はなぜ上昇するのかその特徴を書き出してみて自分なり考えてみた。勝手な個人の感想です。m(_ _)mT

(1)有事の金:
様々な経済危機、パンデミックにウクライナ戦争と危機的な状況を人々が身近に感じると人々は金を買って金価格は上昇します。

(2)金を積極的に購入する人がいる:
ニュースによると世界の中央銀行などが購入しているようでもありますが、もともと、金を持つ文化の人たちが裕福となって金貨を購入している可能性もあります。需給の分岐点はわかりませんが、資産を分散する必要性はあるもので、ある程度の金投資は間違いないことのようにも思います。

(3)西側経済とロシア・中国経済の切り離しによる世界を覆ったグローバル経済の終焉:
世界は再び分断化されておりグローバルサウスの国々では再び金の信用の元に通貨の基盤を置くという国も出てくる兆候はあるのかもしれません。ですが、これら供給量が限られる金を土台に置くということは時代の逆回しでもあり経済をシュリンクさせることになるような気もします。

(4)金は金利がつかない:
金を持つデメリットは金利がつかないこと。一方でこの数十年間の日本円を持っていても金利がつかなかったので同じようなものでもある。ただ、同じような金利のつかない同士であっても、現在円は円安でもあり、金は2倍?3倍?ぐらい価値が上昇していることは興味深いものでもある。

(5)金は供給量が制限されていて希少性がある:
金には希少性があるので価値があり、その金ピカの素材感が我らお金に目が眩んだ者どもを魅了するのかもしれません。

(6)量的緩和によるマネーサプライの増加によって価値は上昇する:
通貨供給量が異常に増えればお金の希少性の価値は下がって金の価値は上昇します。

(7)ドル金の逆相関が最近見られない:
金が上昇すればドルは下がる。ドルが上昇すれば金は下がるというように、金とドルの関係はそのように言われてきたものではありますが、最近はドルも金も上昇しています。そのような相関関係は昔話のようでもあり、ドル金の逆相関の崩れとは気になるものだ。金の上昇とは危機に対応する為の金備蓄のような気もしますし、一方で悪くも考えれば戦争前夜な経済状況と読むことも出来ます。または、私達は新しい経済の常識の入口に立ったと考えることも出来ますし、いずれにしろ、金価格の相場を追えば、後づけの世界の情勢の一端として垣間見ることは出来るのかもしれません。(誰か教えて)

金塊の図を描くと板チョコレートの図に似ていています。チョコが金塊に化ければ良いと思うものではありますが、今やチョコのカカオやコーヒー豆なども、その他金属並に価格は上昇しているようでもあります。その内に外国由来の食べ物やモノは大切に味わって使うというような「輸入品から舶来品」と呼ぶような時代に逆戻りしてしまうのでしょうか?世界史を見てもグローバル経済が縮小するということはローカル経済や歴史に大きな影響を残すものであります。第二次世界大戦前の植民地経営(グローバル化)の終焉は戦争によって終結したように、私達は歴史の大きな変動の谷間に立っているのでしょうか???

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年4月14日(日)
■ほるほるほるモグラくん。
ゴールドハンターもぐらくんは金貨の図案を考えた。
■2024年4月15日(月)
■一日一文章トレーニング。

「英蘭戦争を4次まで学ぶ」

人はなぜ戦争をするのでしょうか。先日、クロムウェルの首について学習していた時に、イギリスとオランダ共にピューリタン政権である国が戦争することに興味を持った。80年戦争でオランダの独立を支援してローマ・カトリック+スペインと共に戦ってきたイギリスとオランダが戦争することは疑問でもある。もともと、イギリスの宗教改革はヘンリー8世の離婚をカトリック教会が認めなかったことを発端に、国王自らイギリス国教会を設立して宗教改革を行う改革であります。それはルターやカルヴァンなどの宗教者から進められる宗教改革とは毛色の異なるものだ。しかし、イギリスに誕生したクロムウェルは王政を廃止するとガチガチのピューリタンでもありイギリスとオランダのピューリタン合併のようなアイデアを持っていましたが、オランダとの海戦を始めることになります。第一次英蘭戦争は1651年に制定したイギリス貿易の船を英国船籍に限る保護貿易法にオランダが反発して先端は開かれます。その当時の海洋貿易はオランダ東インド会社の設立によるグローバル経済の構築で勢いのある時期であり、経済の一人勝ちの独占は新しい戦争の火種を作るということで周辺国との富の共有は必要可決なことでもあると思う。オランダは海戦に負け賠償金85,000ポンドと現在のNYマンハッタン島を譲渡することで停戦条約を締結します。その後、イギリスが共和制から王政に戻っても何度も戦争が起こり4次〜7次?と戦争は続きます。イギリス軍はオランダでの戦争に陸上戦を避けているフシもある。被害が見えにくい戦争でもあったので何度も戦争が行われたのでしょうか?オランダは80年戦争からの戦争でもあるので、戦争慣れしたような感じでもある。イスラエルなども宗教対立と国土防衛で何度も戦争していますし、ウクライナの国土防衛も長期戦となる可能性も十分高い。そのようになればロシアの国力は大幅に削がれ衰退することになるので西側諸国にも利はある。そもそも、イギリスとオランダの仲が険悪となった事件は1623年に起きたアンボイナ事件である。東南アジアにあるオランダ領アンボイナ島でオランダ東インド会社がイギリス東インド会社を襲撃して20名を拷問して惨殺するという事件がありました。拷問するということは何か特別な情報を聞き出したかったものと思われます。その殺害された人の国籍はイギリス人9名、日本人傭兵10名、ポルトガル人1名となります。関ヶ原の戦いの後、日本を飛び出して海外で傭兵となる日本人もいたようでもある。アンボイナ島ではクローブの香料貿易で利益を稼ぎ出しており、香料の価値は(やっぱりの比較対象)金と同等でオランダは国力を増すことになる。イギリスはこの事件以降、インドまで勢力を押し下げることになるが、インドで綿製品の大量生産することで国力を上げることになる。一方、オランダはその後、香料価格の減価によって国力も減少していくことになる。このアンボイナ島の事件が発端となりグローバルな経済戦争に危機を感じたイギリスは航海条例を制定することになります。2次英蘭戦争はピューリタンを国外追放した後の王政復古したイギリスとの戦争です。原因はイギリス軍がアメリカ大陸のオランダ領を襲撃したこと。イギリスはNY島を足がかりにアメリカの植民地拡大を進めることになりますが、イギリス軍は財政難で敗北しますがオランダにフランスが攻めてくることになり停戦することになります。2度あることは3度あるということで、3次英蘭戦争はフランスがオランダの国土に進入して国土のほとんどを占領して、イギリスはオランダと同盟を結び参戦します。オランダはアムステルダム防衛で堤防を決壊させて敵の進入を防ぎ、海上のイギリス海軍も海戦で破れ撤退します。4次英蘭戦争の頃になると英国とオランダの国力は逆転しており、オランダがアメリカ独立軍と貿易したことを口実の戦争となる。アメリカ独立戦争を進めたのは英国を追われたピューリタンでもあるので、ある程度の繋がりはあったのかもしれません。この戦争は世界中のオランダ占領地でも同時に行われるグローバルな戦いとなり、この時もイギリス軍はオランダ沖で海上封鎖を行い、ダンケルクの映画もそうですが地上戦を好まない風潮があるのかもしれません。海上戦とは船の数や物資の移動とロジスティクスな戦い方でもあります。アングロサクソン的な戦い方なのかもしれない。この後も幾度かイギリスはオランダに遠征軍を派遣することになります。4次まで来ると流石に長すぎて、疲れますが戦争はまだまだ続きます。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年4月15日(月)
■パスまわし。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年4月16日(火)
■一日一文章トレーニング。

「今夏のアイスは自家製ブレンドで混ぜ混ぜ作って食べるに限ると考えております」

暑いと言えば暑いのですが、布団を被らずに寝ていたら寒いものである。
寒いと思えば寒く感じるものの、やっぱり暑いものは暑いのだ。
春の日差しが強く降り注げば暑くなるものでもあって、赤黄色にブルーに紫と雑草のキレイな花が咲き始めると雑草の花とは思えない程にとてもキレイな花たちでもあります。
雑草の葉っぱも当然大きく葉を広げたならば、その下にヒンヤリとジメジメとした怖い日陰が出来るものでもある。
このような空間にはヘビや手足の長い怖い虫でもあるカマドウマな通り道となりそうな予感でもあるので、そのような草むらは素早く刈りたい気分にもなりますが、暑い夏にこのような小さな日陰空間があることで太陽の強いエネルギーに少しは抵抗出来るのかもしれないヒンヤリオアシスでもあります。

街にはインバウンドな海外からのツーリストが多くて楽しそうだ。
わずかに残った桜の木の前で写真を撮り、ガヤガヤと賑やかでもある。
平日、働く日本人だけだと街は寂しくもなってしまうので、このようにたくさんの人がいることは良いものでもある。
旅の醍醐味とは景色の美しさや博物館や美術館に行くことも楽しさの一つではありますが、何よりも!!物価の安さとは旅を楽しくさせる魔法でもあります。
マイ呆則を発動したとしても、海外旅行で一番楽しかった思い出は物価の安い地域に行き「わい、もしかしてお金持ちなのか?」な気分で消費出来ることは至福な時間でもあります。
よって、異国からのツーリストも円安を十分に楽しく味わっているものだと思うものであります。
そして、そのような旅人たちは怖い生物が潜んでいないかと思ってしまう草むらにゴロッと転がって日光浴してしまうものだ。
その落ち葉や草の下に虫はいないか?と思い、わいがドキドキして体が痒くなるものだ。

そして、私はそのような地面に腰掛けてアイスクリームを食べる。
暑くて、暑くて、ミニストップを見つけたならば、衝動的にアイスを買ってしまうものだ。
何せ夏のようなこの暑さでもあり、他の人が食べていない美味しいアイスを頬張りながら通行人や景色を眺めることは満足度も高まる時間でもあります。
アイスの種類はキャラメル+プリン+バニラアイス。
スプーンでほりほりとほじくりながら食べていると時を忘れて味わう美味しさ。
正直、アイスとプリンがこんなにも美味しく調和することに驚きでもあるが、もう少しアイスを入れて欲しかった。
すると、そのようなカップの中に汚い木の落ち葉が降ってきてアイスのカップインするものだ。
「オエッ」
落葉は素早く、高速に、アスリートのような反射神経でそれを取り除く。
「セーフ」
そして、再びアイスを食べ始めるものではありますが、落ち葉がアイスクリームのカップにホールインワンする確率とはなかなかに高確率な当たりでもある。
宝くじでも買えば良かった。
冬の寒い間も時折アイスクリームを食べていましたが、最近の物価高でアイスクリームの値段も上昇しております。
なので、
われ、自分ですくって食べるタイプのアイスクリームとコーンカップを購入して自宅で食べて節約することを心に誓っていたものの暑さに負けてアイスを食らうのである。
キャメルとプリンとバニラの組み合わせが絶妙に美味しくて、これは自宅でも作れるかもしれないと思うものである。
コーンカップを買って、プリンも買って、ケロッグも用意してアイスにミックスすればこの味は再現出来るかもと思うのですが、普通にアイスを購入するよりも何だか値段が高くなるような予感もするものだ。
わいの大体は大枠で的外れなことも多いのですが、大体の大枠で合っていることも多いものでもある。
今年の夏は自分でアイスクリームを買ってきて、いろんな食材を混ぜて楽しむ計画は普通にアイスを購入して食べるよりも高くつきそうで間違いありません。
自分で混ぜ混ぜと混ぜもの加えて作るアイスクリームの味とは、それは、げに恐ろしき味になるやも知れません。
ですが、それは楽しきかなアイスクリームライフを発見するかもしれません。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年4月16日(火)
■不衛生なので全てを拒絶する。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年4月17日(水)
■一日一文章トレーニング。

「標語は”レッツら層(ソー)”でございます」

最近、角張ったカクカクのモグラのマイブームが来ています。丸いモグラがコウベモグラだとすると角張ったモグラはアズマモグラかもしれません。これら2つのモグラは日本に生息する2大モグラ勢力ではありますが箱根山を超えられなくて混じりあうこともありません。モグラが超えられない箱根のお山の地層とはどんな地層なのかと思うと、正直、あんまり興味のない地層でもあります。されど、地層を重ねて出来た大地が私達が立つ大地でもあり、地層の積み重なりとは日本の歴史そのものでもあります。そう言えば、今日は関東平野にも黄砂が飛来するようでもあります。昨晩、黄砂の飛来予測図を見ていたならば日本列島に真ん中にある山脈が黄砂の進入を拒んで頑張っておりました。この島国を走る山脈とは日本の背骨であり、流石の背骨とは黄砂の進入まで拒んでくれているのかと感慨深いものでもある。我らはその内に年重ねて朽ちることにはなりますが、この神聖なる山々はこの島に永遠に聳え立つ不滅な発展の証でもあります。

ということで、

層を成すアイスクリームの設計図を作ります。適当にアイスクリームの層を作ろうと思っても計画的に材料を計画的に投入しないとアイスの地層は出来ないものでもある。何事もご利用は計画的にとCMでも言っているように最初の一歩はしっかりと計画をもってアイスクリームをカップに投入したいものだ。先ずは大雑把な味覚の地図を作ります。最初の味はサクッとシリアルとアイスクリームのコンビネーションを楽しむ「歯ごたえゾーン」。その下にプリンとアイスクリームを混ぜ混ぜしながら食する「味のサプライズ層」を作る計画だ。上層はサクサクとした歯ごたえがあって、アイスも溶け出した先のスプーンを掘り下げた下にはプル・プルンとした壊れたてのプディングの上位者が潜む魅惑的な甘さとなる。このアイスクリームをクトゥルフ神話に例えれば、この地下水脈を掘るフードファイターのSAN値も上昇させるのにも十分だと思われます。これは絶対にミニストップの味に近づけるデザートであると確信して、この「プルプル」な響きな語源を辿るとプッチンに辿りつくので、コスト削減のことを考えればプッチン系のプリンでいければコスト削減も出来そう予感だ。もうすでに高めのプリンをすでに購入してしまったので第一回は本物プリンで挑戦します。

幸いにも我が家にはアイスクリームすくいは無いもので、大きいサイズのスプーンを使ってカチコチなアイスをすくってカップに投入することになります。そうすると一度に取れるアイスの量はアイスの地層を作るのに最適な薄さと量になります。また、カップコーンだとふにゃふにゃとフヤケてプリンとアイスをMIXさせて味わうことが出来ないような気もするので今回はガラスコップを使用します。これこそ、モロゾフのガラスコップが最適でもあり、底から完成形へとアイスクリーム類を逆投入しながら完成させます。

1)ガラスコップを用意
2)シリアル(CL)を投入
3)アイス(IC)を投入
4)サプライズ・タップリ・プディング(SU・TAPPLI・PD)を投入
5)シリアル(CL)を投入
6)アイス(IC)を投入
7)シリアル(CL)を投入
8)アイス(IC)を投入
9)シリアル(CL)を投入
10)アイス(IC)を投入

CLICSUTAPPULIPDCLICCLICCLIC

恐ろしいことは、この全てが頭の中のシミュレーションごとであることだ。近い内に、このようなレシピでアイスクリームを作りたいとの願望を文章にしています。希望を文章に書けば、アイスを作った時にもう一度文章にすることも出来て2度得でもある。また、単に具材を順番にカップに素材を投入するだけのレシピのお話でもあるので、少し地層についての考えも書き記しておきます。地層とは面白いもので、恐らく、地理好きな人しか興味を持たない地層でもあります。ですが、人も植物も土も、月日や年齢を重ねた分だけ地層のような異なる層の違いを作るものでもあります。故に、地層を持つことは隣り合う境界線上の向こう側に今の自分と全く異なる別の何か異質な成分のものを持っている証でもあると考えることも出来ます。地層を別の言い方をすれな成長の軌跡とも表現出来ると思います。これは若いフレッシュアイスにはない層でもあり、アイスクリームな2重、10面相と重ねるミルフィーユの如く層を成すことで、人の魅力も味も美味しく良き風になるものではないだろうかと思ったりもします。よって、そのような層作りなアイスクリーム作りの標語には「レッツら層(ソー)」と称することにしました。いやはや、本当にどうでも良いアイスクリーム話とはあるものだ。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年4月17日(水)
■Hey Chicago。

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年4月18日(木)
■一日一文章トレーニング。

「す〜む〜2000円札の裏側にでっかいハリセンを持ったような紫式部を発見する」

いやはや、夏のような春です。とりあえず、暑かったので昨日アイスを食べることにしましたがプリンを使用した本格的なアイスを作る気にはならなかったのでサクサク層だけを再現します。アイスをコーンの中に押し込みコーンフレークを一つまみパラパラとかけて、その上にアイスを盛る。完成。一口食べるとサクサク層が少しあるだけで家庭の中でも本格的なアイスクリームの味を再現出来るものだ。サクサクは一度経験するとふりかけるだけの簡単なものでもあるのでアイスクリーム+シリアルの組み合わせは定着しそうな予感でもある。ということで、アイスクリームのサクサク層があると確実に美味しくなる。あとは、サプライズ層ではありますが、この驚きのプディングを投入するには心の準備が必要である。あと、インバウンドな外国人たちの腕に「サクサクゾーン」な入れ墨が流行ればアイスクリームの「サクサクゾーン」は世界にも広がる「サクサク」となります。

ということで、

アイスクリームを食べようと冷凍庫を開けると汚い2千円札が入っています。冷蔵庫を開ける度に思い出す冷凍庫で凍らされる2千円札。全く使用されることのないこの2千円札には劣化した輪ゴムが張り付いて取れなくなっております。ネットで調べると「劣化してくっついた輪ゴムは冷凍庫で凍らせると剥がせるよ!」ということで早速、お札を冷凍庫で凍らせます。そして、そのような2千円札にくっついた輪ゴムを凍らせることでゴムはボロボロと剥離するものでもある。ゴムやゴム系の樹脂は結構すぐに経年劣化するので要注意であることはフィギュアの学びでも知っている呆則でもありますが、引き出しの中に入った2千円札が輪ゴムでくっつくリスクは考えも及ばないものだ。2千円札とは全く目にしないお金でもあり、これほど、目にすることのないお金とは珍しいものでもあります。(レア)久しぶりに見ると裏面に紫式部の絵と源氏物語の一節が書かれております。

「すーむー」
とは何のことでしょうか?
ネット検索すると源氏物語「すーむー=鈴虫・すずむし」のお話の一節のようである。
これは光源氏が十五夜の夕方に出家した別居の御嫁様に会いに来ると、宮様は熱心に仏前にお祈りされており、尼君たちが花や水を挿してと騒がしくしている様子を見てあわれに思って「鈴虫が騒がしい夕べですね」と話しかけるシーンのようである。
この背景を説明すると、光源氏イケメンは前の帝の皇妃藤壺様の間に子をもうけて、その子供が現在の冷泉帝となり、光源氏と宮様との間に生まれた子供は別の人の子供であるようで過去の罪は今現在の罪として因果応報に通ずるというお話でもあるようだ。
光源氏はこの宮様が出家してお住まいに一緒に住みたいようで、鈴虫がどーのこーのと話の切り口にしているそのようなワンシーンでもある。
何か大切な話をする時の第一声とは時に重いものであり、鈴虫の音色から話を切り出すことは平安時代の風流な作法であったのかもしれません。

すずむし
十五夜の夕暮れに佛の御前(おまえ)
に 宮おはしては(いまして)七角(ひちかく・仏教語で熱心に)なかめ(見える様子)
たまひつつ(申し聞かせる)念珠したまふ 若き
尼君たち二・三人花 たて
まつるとて(献上する)鳴らすアカツキ(仏前に水を備える容器)の音 水
の気は ひなとき こゆる様(太った様子???) 変わりたる
営みに(仕事) 急ぎあへる(準備する) いと(とても) あわれな
るに 例の渡り 給いつつ 虫の音
いとしけく 乱れる 夕べかな

達筆な文字を見ても難読でなかなか読むことは出来ませんが、お札には全文章の上半分だけが記載されております。
とりあえず、文章に区切りなく「に」「は」と全ての文章を繋げて、変な箇所で改行しています。
まるでお教の教典のように文章を繋げていくような文章でもあるので、とりあえず読みにくい。
しかし、何度も通読すれば同じ日本語でもあるので、その内に何となくイメージは浮かぶものでもある。
下半分がカットされている理由は「いとしけく 乱れる」という「乱」の文字がお札にふさわしくないということでカットされているのかもしれません。
右下には家政婦は見た如きに紫式部さんがひょこりと宮中を観察している様子が描かれており、その姿は私には手には大きなハリセンを持ちて「次に書かれるのは誰なのか?」という感じのようにも見えるものでもあります。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2024年4月18日(木)
■すーむー ひなとき いやいや 頭を上げて下さいませ