■2022年8月1日(月)
■一日一文章トレーニング。

「アクリルカッター」

いやはや、この二日すごく眠いです。
7月は6月後半から続く猛暑の7月から始まり再び盛り返す猛暑で終わります。
そして、本日は8月、暑い予感。
夏バテせずにしまっていくゼ。
この猛暑の中でも植物界のお嬢や外のサボテンたちはとても元気です。
外のサボテンは当然暑さに強くてモリモリと成長していますが、涼しいお部屋のお嬢もたっぷりの水で葉っぱも青々元気です。
最近は新芽を数センチ伸ばしてネドゥーサのような絡みつく新根を4本伸ばします。
私にとってこの暑さはヘロヘロとなる暑さですが、このような暑い中でも生命がいきいきと成長していることは素晴らしいことです。

ということで。

本日のお題はアクリルカッター。
プラ板やアクリルの板から立体物を作る為のパーツを切り出すカッターです。
先端のかぎ爪部分でひっかいて削ります。
溝を掘り、そして、その溝を何度も何度も深く掘ることで厚いプラスチック板を切り出すことができます。
地道にひっかきひっかいて掘り出す道具。
一度にスパッと言う感じではなく、黒板を爪でキーキー鳴らすような陰湿さで徐々に深く切り込みを入れてパサッと切断。
ある意味、粘着質な道具であり、シャーとひっかく猫やここ掘れワンワンみたいな道具。
もしかしたら、ひっかきとは打力系ほどのインパクトはないかもしれないけで地道に痛くて最強かもしれません。
なので、鋭い爪を持つ生き物を決して怒らせてはいけません。
これは偉大なる人生の教えの一つかもしれません。
プラスチック板の厚みの半分ぐらいまで掘り進むことでポキッと折ることで切断できます。
そのようなアクリルカッターですが今回、ネコ置物を作るにあたり新しいアクリルカッターを購入しています。
新アクリルカッターは形状が進化していて持ち手がすごくフィットした使いやすいカタチです。
マイお道具箱を見ると古いアクリルカッターが3本も!!入っています。

(左から)
1)アクリルサンデーカッター(プラスチック用):こちらの商品は刃が固定式でDo It Your Self と書かれているように刃は砥石で砥いで使用するハードな仕様です。これは横着には扱えない代物です。
2)OLFA P-CUTTER400:旧タイプ(細)。OLFAの刃は使い捨て交換できます。
3)OLFA P-CUTTER800:旧タイプ(太)。今回購入したカッターの旧バージョン。
4)OLFA P-CL:新タイプ(太)。

新旧それらを比較すると車のデザインのように新しいアクリルカッターは今風なデザインです。
アクリルカッターという普通に生活していたら使い道がないマニアックなカッターを四本所有していていることは少し面白いことです。
どんだけ〜アクリルを削るのが大好きなのか?というお話ですが、恐らくアクリルカッターは好きみたい。
仮に私がプラスチック素材だとすると熱に弱いです。
幾度もの猛暑や人生の灼熱な熱波でいびつに曲がりくねり歪なカタチになっているはず。
そんな私のプラ板を削り出すのがアクリルカッター。
削り出し接着してヤスり目消ししてパテ穴埋めして再びヤスってカタチを整える。
造形することは人生みたく地道で奥が深いものです。
(細)タイプは使わない気がするけれども新アクリルカッター(細)も購入しましょう。

 
■2022年8月1日(月)
■プラ板の切り出し。(音付き
 


■2022年8月2日(火)
■一日一文章トレーニング。

「Money Game」

いやはや、昨日は暑かった。
晴れた中で強めの熱風が吹き込む風の強い一日で本日も猛暑らしい。
昨晩は寝ながら暑くて目を覚まします。
クーラーの温度を一度下げたら今度は寒くて目を覚ましと何とも忙しい睡眠です。
1℃の差とは水が凍る凍結しない差にもなる温度の差なので意外に大きい。
天気図を見ると巨大な太平洋高気圧が張り出します。
図を見るだけでも暑い高気圧。
この高気圧を移動させるようなものも何もないので当分暑さは居座り続けそうな予感です。
高気圧が退いたら今度は低気圧や台風の雨で水害も発生します。
なんとも高低の強弱が強くてほどほどであって欲しいものです。

そのような猛暑でも常に元気なのが「お金」です。
強欲な狼が信用しているのは「お金」のみとのお話はありますが、本当に景気の上下も関係なく、災害戦争暴動にも関係なく、地球上でどんな時もハイテンションに動き回っているのは「お金」だけかもしれません。
昨日、そのような外国のお金を眺めていたら、やっぱりフレンチフランのお札は何ともステキなデザインなので深く観察します。
50フランがサン・テグジュペリでステキなイラストが印刷されています。
「象を飲み込んだ蛇」の印もあって異常にかわいい。
当時は1フレンチフランが20円ぐらいだったような記憶があるので1000円札な感じです。
私たちは100フラン札の人物のことを知らなくて、勿論、知ろうと考えるような関心もなくて「100フラン=ぼんくら教授」と呼んでいました。
頭の中では何となく科学者なのかな?と思っていましたが、今回、お札をよく観察するとポール・セザンヌとの表記があります。
ポール・セザンヌどこかで聞き覚えのある名前で、さっそく、ググると画家のお名前でした。
2012年2月18日をもってフラン紙幣とユーロ交換が終了してからの今日はじめて「ぼんくら教授」から「画家」に昇格。
最後までユーロに交換されなかったフラン紙幣は5憶ユーロあるようなので、その内の数枚です。
興味がないものは全く眼中に入らないものです。
それは本当に仕方がないこと。
私たちは見たいものしか見ていないのは現実です。
今の私はネタに飢えた狼みたいなところがあるので「元ぼんくら教授」にも脚光が当たります。
そして、ポール・セザンヌを調べていると「カード遊びする人々」の絵がとても面白くて結構好きです。
いわゆる、ギャンブルする人々の絵でそれはお札にも図像化されています。(笑)
やっぱり、フランスにはすばらしいセンスがあります。
ということで、私も絵の世界を検証する為にラフ画を描きました。
1枚目は3人のカード賭博の図。
ゲームをする後ろに立つパイプをくわえた男Dは恐らく札読みして合図を送るCの仲間です。
せき払いやパイプの煙でスパスパとカタチで表しAやB(鴨)の札をCに伝えています。
Cのリッチマンはそれを見逃さず、音も聞き逃さずに聞き耳を立てます。
B(鴨)も後ろの人物が気になりうつむき必死にカードを隠しています。
Aは後ろのパイプ男Dを警戒してカードを決して見えないようにしています。
2枚目にもAは登場します。
いわば、このシリーズの主役はAです。
Eは骨ばった頬が不気味なガチ勢。
気になるのはワイン瓶。
一枚目の机にはお札がありますが、2枚目に賭けられるお札はなくてワイン瓶だけ。
賭け事の中身は今晩のお酒なのかもしれません。
Aは終始職人のようなポーカーフェイスで勝負に挑みます。
そして、昨日、そのようなギャンブルな世界に現れ出たのが強い風を受ける男。
終始荒ぶる髪の毛。
私にはその男がポール・セザンヌのワイン瓶のように見えてきます。
暑さもありますが、この動画を寝る前に観たせいもあってなかなか寝付けない夜となりました。
以上、全て私の勝手な解釈。
一説によると、この世の中で「お金」より毎日元気な存在は未だ発見されていないようです。


 
■2022年8月2日(火)
■セザンヌの瓶と荒ぶる髪。
■2022年8月3日(水)
■一日一文章トレーニング。

「暑いという言葉しか思いつかない」

暑い。暑すぎます。「サマー」な気分もあって100歩譲っても昼間の暑さには耐えられます。灼熱の太陽を避けて木陰に入らずんば涼を得ることができます。木陰は日中のひとときのオアシス。木や建物の下で風が吹き抜けると、それはそれで例え高気圧の吹き下ろす熱波でさえも涼しく感じます。一方で夜の熱帯夜。これは如何せん全部木陰のようなものなのにどこにいても暑い。熱を帯びた空気の塊が隙間なく体に密着してまとわりつきます。それは逃げ場のない暑さです。日中の暑さよりも苦手。日中に温められた空気は街の隅々に行きわたり、上空から圧しつける太平洋高気圧のエネルギーは放射冷却さえも発動できないパワーも持っているのかもしれません。そういうことでクーラーの効いた涼しいお部屋に逃げませう。「暑い〜サ暑い〜サ」とは言っているのですが、大体は涼しい部屋にいるのでそれなりに涼しく快適に過ごしています。勿論、植物界のお嬢も常に私以上に快適空間にインしています。植物界のお嬢は途中でピッタリと生育を止めていた新芽を最近、急激に伸ばして1日に2センチぐらいペースで新葉を成長させています。その葉っぱの生育はカーテンの向こうの太陽に向かって葉っぱを伸ばす感じです。それは「プリーズ太陽」な感じでパラボラアンテナのように常に太陽の光を追い求めております。太陽光を求めることは植物の習性なのですが、通常は天に向けて葉を広げているところを、この新葉は変わった生え方で真っすぐ葉っぱを立てて伸ばします。そんなに太陽を求めるならば存分に当たってもらうお嬢様ということで、もし炎天下な外に出したならば、強い太陽光や高温ですぐにグッタリとすることはわかりきったことで、今日もお嬢は十分に陽当たりの良い涼しい部屋で鎮座します。ということで、また再び「暑さ」と言う単語に頭が囚われてしまいます。ふ〜。

 
■2022年8月3日(水)
■涼しさ。(自作音源付き
眠たくなる涼し気な音。
■2022年8月4日(木)
■一日一文章トレーニング。

「サイコロ道」

今朝は朝4時に目覚めて、あまりにも早すぎるので二度寝して次に今起きたらならば8時前。
あせって、特攻、突貫で猛スピードで文章を書く。
本日は曇り空、予報では昨晩から雨が降ると聞いてましたが床みても雨が降った様子はありません。
本当に雨は降るのでしょうか?

ということで。

未来を予測するにはコロコロとサイコロを振って未来をゆだねる「サイコロ道」の探究も必要ありそうです。
そこに哲学や理論、抽象概念があるのでしょうか?
それはわかないことです。
なので、実際にサイコロを振って行動で実践してみましょうと意気込みますがここ最近の熱波のこと。
サイコロの目に委ねて動くことは、ものすごく遠回りな行動になる可能性があります。
その寄り道が幸運のサイコロの目ならばギャンブラー思考的にはラッキーな発見となることになるかもしれませんが、しかし、目的地まで遠回りに外をうろうろしていたならば、この暑さで熱射病になるのかもしれません。

(1)まっすぐルートを進む。
(2)左ルート。
(3)右ルート。
(4)戻って左ルート。
(5)戻って右ルート。
(6)前回サイコロを振った位置に戻って再サイコロ。

なんか考えただけでも、人生寄り道だらけすぎて目的地になかなか到着しない予感です。
なので、サイコロに人生をゆだねずに最善のルートであろうと思われる道を選択します。
それは自由権の行使。
ルートを決断する瞬間に新たな未来を切り開いたとも言えます。
そのような訳で、昨日は直射日光を避けて日陰を狙い事務所まで向かいます。
ミンミンミンとセミが鳴く坂道を下り、または上りながら日陰道を進行していると。
それは真夏の炎天下をルーチン道を進むよりも、よほど幸運がつまった選択肢なような気もします。
日陰を進むことにより体感温度も数度低い。(これはラッキーです)
車の通りが少ない広い道ではコンクリートミキサー車が車載の水道水で洗浄しています。
皆、考えることは同じで作業は涼し気な場所で進めたいと考えるものです。
そして、そんなミキサー車の横を通ると洗浄の水しぶきが私に当たります。(アンラッキーです)
ついたコンクリート剥がしている水しぶきに当たることは汚れた水です。
なんか・・・不快感の極み。
文句の一つも言いたいところですが、ぶつぶつと独り言を言いながらそのまま直進します。
工事や作業をしている人たちはドヤ顔で空気を取り込むベストを着ています。
ダウンジャケットのようなそのベストはやはり涼しいのでしょうか。
私もそれを着れば、こそこそと日陰を狙って歩かないでも燦燦と照りつく道を真っ当に進めるかもしれません。
涼しくなるベストとは選択幅の道を増やす道具とも考えられます。
でも、工事の人でもない人間が膨らむ工事ベストを着ているのも見た目にも変だし、私の微々たるファッション魂がそれを拒絶します。
結局のところ日陰道を進んだところでラッキーなことは日陰に入れたことぐらいで、他には何も良いことはありません。
むしろ、ミキサー車の水をかかって不愉快になったぐらいです。
ですが、このような些細な未来への挑戦を続けていると物事や考え方は一方通行ではないということだけは言えるような気がします。

 
■2022年8月4日(木)
■雨雲ウェルカム。
猛暑日記録の更新云々もありましたが、やっと雲が広がりゴロゴロと音も鳴り始めて涼しくなります。
それでも、27℃ぐらい。
ガラス瓶と川と雲は涼しく感じさせるものであります。
共通項はいずれも「透明感・透過性」があること。
逆さのアイデア(不安定なカタチ)として。
セザンヌの「カード遊びをする人々」の絵をもう一度眺めて気になる部分を見つけました。
それはあの瓶のツヤツヤとした素材感とやたらと回りの景色を反射する感じです。
ということは瓶に反射する景色を見ることができます。
ポーカーフェイスのAが瓶に写った対戦相手の横顔や札を観察しているのか?
猛者Eも観察するのか?
単に背後の札読み人の有無を監視する為の道具の可能性もあります。
100フレンチフランにも描かれるこの瓶は絵の中の重要なプレイヤーの一つであることは間違いないです。
この勝負には賭け事のお札が描かれていないので、一見他愛もないカード遊びのようにも思われます。
ですが、逆説的な発想だともっと大きなもの、家や命等とんでもなく大きなものを賭けているようにも思えてきます。
そのような特殊なワイン瓶故に飲むためのコップはありません。
そして、そのような事を頭に入れて見る勝負師二人の顔はなかなかの含蓄深い顔。
お札のデザインにそのようなギャンブルな世界を描くことには、それなりの理由と教訓が潜んでいると考えるのが当然です。
また、丁寧にも照射する光の線までしっかりと記載されています。
「光を感じろ」
若しくは
「光に注意しろ」
(見える部分、見えない部分をわざと描き分けています)
と100フレンチフラン札はそのように語っています。(私の勝手な解釈です)
セザンヌのワイン瓶、それは現代のインフルエンサーにも教訓になるかもしれない「瓶の反射まで気をつけなさい」と言う、もう数センチ深い内容なのかもしれません。
音付き
 
■2022年8月5日(金)
■一日一文章トレーニング。

「航海とサイコロ」

何となくぼんやりと浮かぶ考えです。
大勢の人が振ったサイコロの目がそんなに悪手ではないと考えることについて書いています。
例えば、私がコロンブスのような大航海時代の新大陸を目指す船の船長だとします。
海の向こうに新大陸があると考えるのは船長やそのブレーンの頭の中だけの考えです。
そこに何の根拠もありません。
進んだ先に大陸はあるかもしれないし、永遠の海が続くだけかもしれません。
それは全くの妄想であり不確定な未来と同じく何の確証を与えるものを持っていません。
そこで、冒険の意義、壮大な空想物語を語り、または、自然現象の中から海の向こうに新大陸があるらしき事例を数多く積み重ねて船員を説得します。
不確定な未来に対して、それっぽいフレームワークを用意して乗員を説得することは現代の脱炭素クリーンエネルギー・SDGs〜云々というカタチと手法は同じです。
そして、わからない未来に対してそれっぽい計画を立案することになります。
人生を航海に例える人は多いですが、進行方向は全くの未知の世界であり誰もその先を知る者はいません。
そのような一寸先が闇である未来を手探りで進むことは私たちの生活との共通点です。
そして、船は新大陸を目指して港を出航します。
新大陸探索執行部は方位磁石で方向を定め、シェフを懐柔して食物の量を完全にコントロールしながら進行することになります。
180日分の食料を用意したしたならば、90日進んで何も発見がなければ計画を終了して帰路を戻ることになります。
その意味でもフードコントロールは必須です。
それを怠ると食品ロスや横流しが横行して100日分の食料しかなくなっているかもしれません。
そうすると帰り道の食料は確保されていないことになります。
そして、幾日も海しか見えない航海をしていると船員たちも不安になります。
食料はまだまだ大丈夫だとしても船員の不満や不安が溜まり暴動になってしまうことも予想されます。
そうなると、お縄になって海上に投げ出されるのは船長の私自身です。
幾多のトラブルに対処する為には航海途中の計画変更も必須です。
「ひよっている奴はいねーよな」「行けるとこまで行くぞ」という感じなら問題なく最後まで突き進むことはできますが、そうは行かないはずです。
計画を変更する場合に独善的な意思決定を続ければ、その内に船員の疑心暗鬼から溝が深まることが予想されます。
人とは感情ある生き物で船の中の命とは一心同体の運命共同体です。
そこで登場するのが公平・中立なサイコロやコイントスに運命を託すこと。
1度振られるサイコロよりも全船員の運命を託したサイコロの目に運命を託すことは、確率的にも振られる回数分だけそれなり信憑性も高く皆、納得する方法です。
不確定な未来に対してサイコロで決めることはそれが「正しい・間違い」は別としても全員の意思決定としてはそれなりの納得する正義を貫ける可能性があります。
また、単なる合議だと人気投票になり数の多い船員と数的な不利で負けるのは目に見えてわかります。
サイコロに未来を託すこと。
それは究極の360℃隔絶された海の中で広げられる最善の解決法の一つであるのは間違いないことだと思われます。
先日の英国のFTSE100の中にもギャンブル企業が散見されました。
ギャンブルとはわからない未来の運を賭ける攻防です。
時にはいかさまもあるかもしれませんが、賭け事に未来を委ねることは強ち間違いでないことであります。
日本の停滞という面から見ても「ギャンブル=悪」と決めつける規制や風土がフロンティアに立ち向かう冒険心やその為の洞察力、探究心を欠いている一つの原因になって可能性を潰しているかもしれません。
写真は古い20フレンチフランのお札です。
つづく。

 
■2022年8月5日(金)
■人生行路の荒波に前進する帆船。
■2022年8月6日(土)
■一日一文章トレーニング。

「ドビュッシー」

これは古い20フレンチフラン札(400円札みたいなもの)。
星の王子様50フラン札なる前の一つ前の紙幣デザイン。
手元には2枚の20フラン札があります。
一枚は折れ線もあるけども程々にキレイ、もう一枚はぼろぼろでサイズも一回り小さい。
偽札かな?と思いよく観察すると3人のGal(ギャル)のサインがあります。
・コントローラーのギャル
・レジのギャル
・秘書のギャル
3人のギャルのサイン!!それぞれ役職名も不思議で何のこっちゃ?のサインです。
お札には印刷年度が丁寧に印刷されておりキレイなお札は1991年、くしゃくしゃなお札は1987年で、それぞれ3人のギャルの名前は異なります。
面白いことは1987年にレジ・ギャルであった人は1991年ではコントロール・ギャルに昇格しています。
「ギャル」という肩書はなんかステキな響きです。
無意味に「ル・ストラテジスト・ギャル」などと名刺に書きたい。
勿論、コントローラーでもレジでもいい。
ちなみに、「ギャルソン」は男のウェイターの意味です。
「ギャルソン」の響きも何だかかっこいい。
通し番号の文字がスレているように見えるので、こちらもよく観察すると文字を筆記する時系列順の最初と終わり部分をヒゲ文字で装飾しています。
なので、パソコンタイプでは見たことのないフォントです。
絵は上手下手な感じではありますがドビュッシー(1862-1918)の若い頃の肖像画。
ビートルズみたいなマッシュルームヘアーはこの頃から存在していたようです。
ドビュッシーを検索するとこの次の髪型は91分けぐらいの攻めた髪型となっております。
この記事を書く為にドビュッシーのクラシック音楽をYouTubeで聴きます。
波の絵が描いているので「交響曲海(La Mer)」を聴く、そして、今も聴いている。
一言で言うと難解。
曲の主要なメロディーをつかめなくて曲にも乗れなくて困惑。
これは想像力の欠如なのか?じっと音楽を聴くことの苦痛を感じるけど何とか最後まで聴きます。
5分ぐらいでやっとメロディーっぽくなってキターと思ったらやっぱり謎音に戻り、最後までメロディーらしきメロディーを感じることはできませんでした。
「ザバーザバー」という波打ち際な海の音ではなく海岸沿いの家やクルーズ船の上から広い海を駆け抜ける音楽、映画の主人公のように海上で何かのアクションを始める感じ。
結局のところ、私の知らない海の音でなかなかの苦行。
ドビュッシー好きな方々ごめんなさい。
ということで。
CLAUDE DEBUUSSYの好きな曲を下記に記載します。
「月の光(Clair De Lune)」月で照らされた景色が見えてくるようなとてもいい曲です。
「アラベスクNo.1・No.2(Arabesque)」イスラムの装飾文様の意味で美しい音。
「亜麻色の髪の少女(La Fille Aux Cheveux De Lin)」亜麻色の髪の女の子が麦畑を走っている風景が見えます。
ドビュッシーはピアノや小さな集団で奏でる方が良いような気がすると・・・ド素人みたいな発言で終わります。(実際にその通りの素人です)

最低金額の紙幣がドビュッシーから星の王子様に変わり、そして、今はもはや肖像画もない建築デザインの5ユーロ札に変わることを1991年当時に20フレンチフランを使うフランス人の誰が予測することができたでしょうか。
未来とは常に新大陸を探すことと同じで常に真っ暗な手探り状態にあると言えます。
そして、気づいたポイントポイントで髭文字のように印を付けてそれらの変化を認識しているように思えます。

 
■2022年8月6日(土)
■交響曲海〜〜〜。
■2022年8月7日(日)
■一日一文章トレーニング。

「交響曲猫」

【表】シャッシャッシャッ〜シャッシャッシャッ〜。
昨日は猫置物の表面にひたすらヤスりをかけて過ごしました。(充実した一日)
ヒケた部分に瞬間カラーパテを流してクイックハードスプレーを噴射するとパテはすぐに硬化するので、それを再びヤスリで削って整えます。
ヒケた部分とは少し凹んだ部分のこと。
平面なプラ板を立体に組む時に頑張って正確にあわせても接着する時には若干動いてフラットさを失います。
考えると瞬間接着剤で一枚一枚表面レベルを整えながら接着する方法もありました。
いやいや普通のタミヤセメントで仮止めした方が良いかもしれません。
タミヤセメントで仮止めすると板の角度の微調整は効きます。
でも、接着スピードが遅いから重力に引っ張られて余計に歪んでしまうかもしれません。
やはり、瞬間接着剤かな?
(独り言)
今回の造形はマスキングテープで全体を仮固定してから流し込みタイプのセメントを流して接着しました。
マスキングテープの緩みはそのまま造形の歪みとなります。
なので、結構修正する箇所は多くて表面を磨きヒケや盛りを見つけてはパテ埋めして再びヤスり整えます。
平面の板を立体物として固定する段階でバシっと決まれば削り作業は最小限で済みます。
しかし、プラスチック板の合わせ目が分からなくなるまで磨く必要があるのでどんな作り方をしても結局十分に全体をヤスる必要はあります。
言うなれば、アルミの削り出しならぬプラスチックの削り出し状態。
なので、時間はかかりましたが、それもそんなに間違いではなかったような気もします。
何せはじめて作るものは全て手探りで正解はわからないものです。
そういうことで、昨日は一日中猫置物の表面を削り、プラスチックの表面を削ると大量のマイクロプラスチックが削り出されます。
私はそれが一体どの位溜まるのか?気になって瓶に集めると大さじ1杯ぐらいの量が溜まりました。
それらが海洋に流れ出ることが良くないらしいので、真っ白になった手は不織布のフィルターのついたキッチンの流しで洗います。
それとも、洗浄する前にスライムみたいなネバネバなものを買ってきてそれで拭き取ってから洗う方が環境に良いのかもしれません。
そもそもなのですがワックス(蝋)を削り出すのがゴミも出ないしお手軽で正解だったのかもしれません。

【裏】シャッシャッシャッ〜シャッシャッシャッ〜。
「静かさや部屋にしみいる削る音」(季語無し)byモデラ蕉。
聞き耳を立てると静かな部屋の中にプラスチックを削る音だけが響きます。削る音とはとても小さくて逆に部屋の中がより深い静寂に包まれます。プラスチックの表面をヤスりで成形すると頑張りに応じた表面のツルツルになります。削る時の心境は無心に近い状態です。しかし、いやいや、突然にも雑念はブワ〜と湧いてきます。どんなにしょうもない雑念かと言うと、午後3時、おやつの時間。シャッシャッシャッ〜シャッシャッシャッ〜と削り音が響く中で「ピンポン」とインターホンが鳴ります。来客です。土曜日の午後3時に誰がやって来たのでしょう。「はいはいはい」と扉を開けるとスーツ姿のビジネスマンが立っています。男はマイクロプラスチック絶対禁止協会から派遣された者で、どうやら、私が削り出しているマイクロプラスチックのカスを注意しに来たようです。私は「マイクロプラスチックは全て体内に取り込みました」と適当なことを言って扉を閉めました。何とも雑な話。

というように、ヤスリで削っている時には本当にくだらないことしか考えておりません。そもそも、無心で削っている時に脳がまともに起動しているのかも疑わしい。写真は製作途中の猫置物で徐々に完成してきております。透明素材で内面や製作の歴史がそのままに反映されて汚く見えますが、見た目よりも表面はずいぶんキレイに仕上がっています。内面は汚れているとはあまり褒められたことではありませんが、スプレーを吹けば全て隠せてそれなりのフィギュアの完成です。ですが、目標はこの造形のデュプリケイトなので出来る限りの美しさを目指したいです。このような作業をしている時は普段と正反対な完璧主義者に変貌しております。

 
■2022年8月7日(日)
■BANQUE DE FRANCEの3人のギャル。(秘書・コントロール・レジ)
自作音付き動画
■2022年8月8日(月)
■一日一文章トレーニング。

「ヤスリ」

ヤスリがけするということは同時に無心という副産物を生み出します。
削り具合を確かめることはありますが、基本的に削る以外の事柄はあまり何も考えていないものであります。
言うなれば雑念の少ない状態。
そのような脳みその休憩中でも手の運動神経だけはせわしくせっせと激しく動いていることは何か面白いことです。
ですが、もっと面白いと思うのがヤスリそのものの機能に存在します。
それは大きな傷や歪みを正す為に小さな数の傷を付けて傷を抹消すること。
(1)100〜400番台のヤスリで表面を粗く削ると表面の傷は広がり曇った表面となります。
(2)1000〜番台の細かい目のヤスリで小さな傷を無数に付けて磨いていくこと次第に曇った表面は晴れてツルツルとした美しい輝きを見せます。
※小さなたくさんのキズは大きな傷を癒すのかもしれない。
目の粗さの違いは削られた表面の粗さの違いとして見え方は異なりますが、それは時間を節約する為の効率的な削り方の違いで基本的には同じこと。
ヤスリの概念に何かの呆則を求めるとするならば、それは修正したいと考えるものには同質のものをぶつけることがそれらを正す方法となります。
・傷を消すにはより細かい傷を付けて傷を消す。
・へこみをなくすには後ろから叩いてへこみ返す。
・Aを正すにはA‘という同質のものをぶつける。
・Bというテンションの人物には同質のB‘というテンションの人物をあてがう。
・巨悪を潰すには悪をぶつけるというのもヤスリ的な考え方です。
ヤスリの法則に従えば何かを正すには同質の何かをぶつけるのが一つのやり方です。
これは「目には目を歯には歯を」的な直球型ではありますが、普遍的な一つの物理法則であるようにも思えます。
ならば、同質なものを使わずに別な方法で傷を取り去る方法はあるのでしょうか。

・表面を溶かして型に入れ直して成形し直す。→なんか面倒くさい。
・パーツごと取り外して(排除)取り換える。→簡単で便利で一般的な修理の方法なのかもしれません。
・そもそも傷が見えないように隠してしまう。→日本的な隠ぺい質な解決策かも。
・全面に傷を付けて傷が気にならないハードな表面にする。→見てられないけれどもパンクですね。
・ワックスコーティングを施して傷を目立たなくさせる。→車のボディーのコーティング。
・傷を気にしない。→気にしなければ何も問題はありません。
物を使用していれば傷とは常に付いてしまうものです。
傷を隠す方法、傷を修復する方法、様々のやり方が考えられますが、傷と無縁でいることはムリなことであります。
私たちは傷とは逃れられない宿命にあり、それら傷は時に勲章や思い出の愛着のキズとなる時もあります。
要は傷と向き合う時の考え方に影響される傷であるかもしれなくて、その気持ち次第で対処法も変わってきます。
なので、キズとのファーストタッチはとても重要なのかもしれません。

写真は製作中の猫置物。
グリーンイエローな部分はヒケたところにパテを埋めして平らに加工しました。

 
■2022年8月8日(月)
■やすりで磨いている時は無心です。
音源付き
■2022年8月9日(火)
■一日一文章トレーニング。

「麦藁帽子」

いやはや暑さ再来、そして今日も暑い一日の予感です。
昨日はこの夏に購入した新しい麦わら帽子をかぶり意気揚々と歩きます。
麦わら帽子はキャップと違い通気性が良いので頭が蒸れにくいのが特徴です。
しかし、麦わら帽子は風をキャッチする能力に優れているようで少しの風でも「危な〜い」と飛ばされそうになります。
風に飛ばされないようにするには帽子を深く被る必要があります。
そうすると、帽子と頭の空間がなくなりせっかくの通気性も半減します。
それでも、編まれたわらの隙間から太陽光がもれる様子は木漏れ日のような美しさもあってやっぱり涼しい。
そんな藁の隙間からもれる光を観察しようとギョロッと変顔で上のつばを見るのですが、近すぎて間抜け顔なれどもあまり良く見えません。
ならば、帽子を手にとり太陽にかざして麦わら帽子から漏れ出る光の美しさを写真に収めようとするのですが、片手スマホでは撮影ボタンを上手く押すこともできません。
なので、撮った写真はどこを撮っているのかフレームに帽子さえ入っていない謎写真です。
頭上の自然な木陰はそれなりの快適さがありますが、そんな小さな満足はすぐに風によって吹き飛ばされます。
それは暑さを押し付けてくる高気圧の風。
麦藁帽子とは軽くて風をキャッチする形状をしているのかよく飛びます。
突風はもちろんですが微風でも「おまえはフリスビーか?」と思うぐらいに風を捉える能力にたけています。
多分、フリスビー発明者は麦わら帽子を飛ばして遊んだことがキッカケではないかと思います。
歩いている時に2回、座って水分補給の間に置いているだけでも風をキャッチしてふわふわと動いています。
麦わら帽子のカタチとは飛行機の形状としても優秀なのでは思う位に風のエネルギーを上手に捉えます。
歩行中に帽子が飛ばされることは危険です。
とは言え、常に風の動きを察知しながら帽子を押さえて歩くのもしんどいことです。
信号待ちの交差点で携帯をチェックしようと気を抜いた瞬間に突風で麦わら帽子をすっ飛びます。
コロコロとつば部分をタイヤにして良く転がり、途中の追い風を受けて加速すると流石にビビり走って追いかけます。
帽子を追いかける人ってアニメや絵本以外ではあまり見た記憶はありません。
物語的に考えると帽子が飛ばされた先に運命の人や異次元の扉があって物語が始まります。
私の場合は走る帽子に自分で追いつて自分でキャッチしました。
物語の始まりはいらないので風で飛ばされない「安定」が必要です。
タイヤの発明も風に飛ばされる麦わら帽子ではないかと思う位の美しい走行を見せてくれて、風で飛ばされる麦わら帽子とは様々な発明の原石なのかもしれないと確信できます。
そして、おニューな帽子が車の道路に飛ばされて轢かれる姿は決して見たくありませんので、麦わら帽子にひもを通す改造を施したいです。

 
■2022年8月9日(火)
■風で飛ぶ。
■2022年8月10日(水)
■一日一文章トレーニング。

「鳩の羽根」

いやはや本格的に暑くなってきました。
そして、昨日も砂を舞い上げるような高気圧な突風が吹き荒れて、猛暑日記録更新888ということで6月後半からの余計な暑さ分だけの記録更新は進みそうな勢いであると戦術予報士スメラギさんは予測します。
そんな人通り少ない猛暑日の中で大量の鳩がコッコロコッコロと集う場所を見つけます。
何度か通ったことのある道ではありますがこんなにたくさんの鳩を見るのは初めてのこと。
この場所は昔、あーさんと真昼間の階段を上っていた時に後ろからタッタッターと小さな子供が駆け足で走ってくる音がして振り返ったら誰もいなくて二人で「怖いねー」となった場所の下。
そこには新鮮なキレイな鳩の羽根がたくさん落ちています。
鳩の羽根とは私にとって今もっともいらないものではありますが、どの羽根もとてもキレイでさっき抜けたような新鮮ホヤホヤな羽根ばかり。
これはもう拾うしかありません。
さっそく鳩の群れが集うその場所に入り込み羽根を拾います。
羽根はたくさん落ちているのでキレイな羽根だけを狙います。
その様子はジョーズがビーチの人波を切り裂くように鳩の群れに切り込んで行く感じで鳩は次々に飛び立ちます。
飛び立ったと言っても遠くに逃げる訳でもなく上の大木の枝上に逃げています。
そして、私は鳩がいなくなった砂場の中からキレイな5本の状態の良い羽根だけを拾い、ボロボロで臭そうな大きく黒いカラスの羽根などは無視。
「おっと危ねえ」と頭上からぼたぼたと鳩の糞が降ってきます。
鳩の嫌がらせなのか・・・若干、私を狙って糞を投下しているような気がします。
鳥って何かしらの知恵を持っているのではと思うことが多々あります。
上を見ると木の枝には鳩がビッシリとひきしめあっていて「これは危ねえ」と一旦退避。
鳥フンとは水っぽくて気持ち悪いし病原菌もいそうな程に不潔です。
また、一旦乾くと白く頑固にこびりつく強靭度もあります。
乾燥した鳥フンとは防水性のあるアクリル絵の具と同類です。
少し離れた場所で鳩観察をしているとすぐに鳩の群れはすぐにバサバサと地面に舞い降りてきて再び大量の鳩でわいわいと賑やかになります。
そして、眺めてわかったのですが、今日のこの場所は「鳩の出会い広場」です。
普段、まばらにいる鳥たちがどのようなコミュニケーションでこの場所に集ってくるのかは謎ですが「何てこった!」で次々に鳩が交尾しています。
流石にこれ以上観察することはありませんが、上に乗っかった鳩が下の鳩の羽根をわざと引っこ抜いているような気もします。
自然に抜けた羽根ではなくて人為的ならぬ鳥為的に引っこ抜いた羽根。
このクソ暑い炎天下の日陰、日向に関わらず猛暑の中でも鳩は元気なので、これからも子孫繁栄していくだろうと戦術予報士スメラギさんは予測します。
勿論、鳩の羽根に透過性は全くありません。
いつでも、どこでも落ちている鳩の羽根、もう一枚たりともいらない羽根です。

 
■2022年8月10日(水)
■恐怖の鳥フン注意報。
■2022年8月11日(木)
■一日一文章トレーニング。

「6戦0勝」

先日、苦痛にへし折られたバーンスタインのドビュッシーの「交響曲海」。お札に描かれる位に重要な楽曲でありとても難解。交響曲にとってリズムとは死語なのでしょうか?とクラシック音楽とはこのぐらい抽象的に演奏しないとカッコが悪かったりもするのかもしれません。そのような気持ちは理解できます。私も好きなものに対してマニアックにこだわります。私が文房具好きだからと言って、どのような文房具でも好きな訳ではありません。私が好きなのは海外の普通な事務的文具であり、一般受けするようなわかりやすい”もの”を逆に毛嫌いする傾向もあります。好きなものほど、その人なりのこだわりがあり、そのような複雑な気持ちがわかるからこそ「交響曲海」にも同様の私の知らない見えない世界があるような気がします。YouTubeのコメント欄を読むと絶賛の嵐。クラシック音楽通に刺さる何かがそこにはあります。そのような訳で、聴く度に混迷を深める「交響曲海」の魅力とは何なのか?とても気になります。もしかしたら、演奏中にモスキート音のような私には聴こえないメロディーが流れているのかもしれないと恐怖しますが、それは真夏の夜の節穴話し。私の耳はノイズ音ばかりのパンクに心を躍らせる少しおかしなところもあります。もしくは、これが対位法?という概念なのかもしれません。複数の旋律が合わさる楽器の楽しみを知らないという可能性もあります。現にメロディーらしき音が現れるとすぐに分裂して壊れます。これは波の崩壊というものを表現しているのかもしれません。口ずさみもできない掴みどころのない曲。大勢の人が抽象的な音楽を楽譜通り演奏するところは面白いところ。私が交響団の隅っこで自由に縦笛を拭いていても観客の誰一人も間違いに気づかない位に馴染みそうです。とりあえず、クラシック音楽に耳慣れないことは問題です。こういう時には意味がわからなくとも何度も音楽を聴くことによって耳を馴染せる必要があります。日々の屁理屈+独自解釈を発動させながら5度目の「交響曲海」に再挑戦。そして、5度目も見事に撃沈して何度でも挑もうバーンスタイン。指揮者のバーンスタインの髪型がカッコ良い。シンバリストのクローズアップで叩くシーン(13:26)は一つの見所です。ですが、「交響曲海」の旋律はやっぱりつかめません。もはや、ちゃんとした楽譜がなくて、ところどころに「適当に演奏する」という指示があっても驚きはしません。ウィキペディアの詳細を読むと、この曲は北斎の富嶽百景の有名な荒波の絵にインスピレーションされて作られた曲のようで、1章「サンギネール諸島付近の美しい海」、2章「波の戯れ」、3章「風が海を踊らせる」とあります。サンギネール諸島とは地中海の島。(以後全部推測です)青い海と白い家々、岩肌のむき出しな海岸線の向こうに静かな海。その後、地中海は内海なので波と波がゆっくりとぶつかり合う様子を眺めて、その後に嵐の到来で海も大きくうねります。もう一度、これら見たことも行ったこともない情景を頭に入れて6度目のバーンスタインに挑みます。するとメロディーというのは波形であることを感じることができます。バーンスタインの手の動きは波の動きであり、楽器ごとに波は新しく生まれては旋律を運び、すぐに他の波と波がぶつかり合い打ち消されます。そのような理由から全体として流れる明確なメロディーは存在しないと考えます。そもそもタイトルも「交響詩海」という名前でした。詩とはどういうことなのでしょうか?、それでいて指揮者の棒は1本でした(( ゚Д゚))。自分がわからないことをそれを音楽を文章化するのってとっても難しいことです。

 
■2022年8月11日(木)
■波。

■2022年8月12日(金)
■一日一文章トレーニング。

「ドラクロワのお札」

ということで、100の文字が中抜きで安っぽい感じの古い100フレンチフラン札。
絵を見れば民衆を率いる女神の絵なのですぐにドラクロワだとすぐにわかります。
フランス語で書くとEUGENE DELACROIXでどこをどう読めばウェジーヌ・ドラクロワとは読めるのでしょうか。
ジャンボン・フロマージュという国民食なチーズ入りサンドイッチをジャンボン・フロマーゲと発音したら食べ物屋のお兄さんが何かすごいオーバーアクションで「フロマージュだよ」と教えてくれたことを思い出されます。
フランス語の発音はとても難しい。
このシリーズのお札の都合上は微妙な斜線のタッチで描かれます。
下手か上手いかと問われるとあまり上手とは言えないクセのある画風ですが、ドラクロワの原画よりも描き手の個性が前面に出た感じがして、その主張の強さがフランスっぽい。
このようなタッチのお札っぽくない感じは斬新と言えば斬新。
また、紙幣に裸を載せることも新しい。
これはフランスの女神なので人間ではないだろうし、ゆるい画風だから気にならないと言えば気になりません。
ですが、実際の絵よりも何か精巧に描いていることが少し気になります。
シルクハットを被ったドラクロワ自身を描いた位置に肖像画を重ねたお札な構図で、ウィキのドラクロワの絵も比較すると微妙に別人で本人写真とも異なります。
これは西郷さんの銅像がどれも微妙に顔が異なっていることに似ています。
それは何か昭和的なホッとする”ゆるさ”です。
私はそのような“ゆるさ”はガチガチで上げ足を取られまいと常時防衛を施さないといけない世知辛い世の中と比べても結構好き。
女神よりも先陣を切って攻め入る両手拳銃の少年はどこのお子様なのでしょうか。
いつの時代も中二病とは洋の東西を問わずに普遍的な呆則を持っているようです。
やっぱり、2丁拳銃の少年とは紙幣の意匠に必要不可欠な存在です。
勿論、3人のギャルのサインも記載されています。
面白いと思うところはいずれも1989年印刷の3枚の100フレンチフラン札を持っていているのですが3枚の内2枚の透かしが枠からはみ出る版ズレを起こしています。
裏面には刑法第139条で紙幣の偽造、変造には無期懲役で処罰すると警告文が書かれているのですが、何ともゆるい。
フランスの紙幣はこの紙幣でも星の王子様紙幣でも表と裏の肖像画は表裏ピタリと合わせるこだわりの印刷技術を持っています。
なのに、透かし部分でこだわり部分は途切れてしまいました。
ひょっとしたら珍しい版ズレ紙幣なのかもしれません。
透かし印刷って最近見たことがないので後で見てみましょう。
ちなみに、オモテ面は絵筆のパレットを持つドラクロワで、ウラ面は鳥の羽根の筆を持つドラクロワです。
ドラクロワは作家でもあったのかと思い調べたら、どうやら絵や音楽、出来事について日記を書いていたようです。
内容は全くわかりませんが、昔の人の日記って当時の人がどのようなことを考えていたのかわかるので内容は少し気になります。

 
■2022年8月12日(金)
■関東直撃ルートの小さくて移動速度の速い台風は破壊力あるので要警戒です。
■2022年8月13日(土)
■一日一文章トレーニング。

「カマンベールおにぎり」

上空の雲の動きも外の空気も静かです。
「嵐の前の静けさ」で本当に台風はやって来るの?と毎度思うことなのですが、今「ビュ〜」と一風だけ吹きました。
台風の動きが気になると全ての行動が制限されるので朝起きたら過ぎ去っていたと言うのが一番良いことです。
天気図を見たら台風8号は紀伊半島の沖にいます。
台風の予報円は関東を直撃ルートのようなので念の為、外に置いているものは飛ばされないように片付けました。
衛星画像も見たら台風の目がよくわからないカタチをしています。
過去の画像に戻ってもそんなにハッキリした目がないのでそのような台風みたいです。
雨が降りそうな時に役立つ雨雲レーダーもあります。
最近ではかわいいインベーダーみたいな雨雲が東京上空に発見されて話題にもなりましたが、雨雲レーダーの模様は様々なカタチで色もキレイなので見ているだけでも楽しいです。
天気予報を見ることは天気図衛星写真雨雲レーダーといろんな情報を複合的に見るので何だか大変な作業です。

「固定概念をぶっ潰せ」ということで、おにぎりにカマンベールチーズを入れました。
入れるというよりもおにぎりに押し込む感じのカマンベール。
チーズとごはんの組み合わせは最悪な組み合わせのような気もしますが、食べるとそれは案外おいしい。
予想外の美味しさではありますが、少し欲を言うとあともう少しのパンチな味が欲しい。
梅干し程のクセ強い味とはいきませんが、焼きたらこ程度の存在感は欲しいかも。
チーズを炙ってとろけさせると美味しくなるかもと思いましたが、チーズに焦げ目がついただけで特に味に変化なし。
焼くことによって逆にチーズの塩分も弱まった感じもします。
ピザの上にはサラミやきのこ、いか、海老、焼かれたトマトをトッピングします。
おにぎりの中にトマトは少し気持ち悪いかもしれませんが、スペイン料理のパエリヤは美味しいご飯です。
イカの歯ごたえはおにぎりの携帯性に合うのでしょうか。
チーズと言えば、肉やソーセージが美味しいので焼いたソーセージ+カマンベールチーズの組み合わせでも美味しいかもしれません。
焼くのは面倒なので塩分強目のハムやサラミをカマンベールに巻き込むと洋風なおにぎりになります。
ウィンナーならやっぱり表面がパリッとする皮のものが良いです。
皮に歯ごたえのないウィンナーは美味しさが半減。
関係ないけど、スーパーでウィンナーの袋を買うと「ウィンナーはそのまま食べることができます」(ドヤっ)と後ろに小さな字で書かれおり、人が集まる場所で生のウィンナーをぼりぼりと食べていたら「正気なの?」と思うはずでウィンナーを焼かずに生で食べることには多少の抵抗はあります。
なので、生のウィンナーは少し気味が悪いです。
ハムやサラミは気にもせずに生で食べている訳で、特にサラミなどは同じような腸詰っぽい加工食品なので大丈夫ということなのかもしれません。

いろいろと考えて思ったことなのですが、食に対する美意識の範囲を極限まで広く構えることできれば、ご飯の進むおかずの全てはおにぎりの具材となる可能性があります。
ということで、おにぎりの具はまだまだ無限大。
文章であれやこれやと書いていないでさっさと作ってみなされと言うお話かもしれませんが、この地球上で最も重いものが「初動」かもしれないということは本当のことで、今、二番目の風が吹きました。

 
■2022年8月13日(土)
■カギ。
■2022年8月14日(日)
■一日一文章トレーニング。

「芯を得て技を得ず」

 毎日書かないといけないことは何もなく。2日後に書こうが、3年後に書く算段でも、又は何も書かなくとも問題はありません。書いても書かなくとも世の中に変化は起こらないもの。それでも、何かしらの何かを書きたい思うことがあり筆を進めます。(キーボードをトントンと入力)それは「百害あって一利なし」の変わった行為であります。それらは私の人間性の欠如を自ら強調するだけのことのようにも思えます。ですが、恥とは慎んで受け入れましょう。人とは笑われてこその人生です。それは隠すか隠さないかの違いです。私も十二分に変わっておりますが、皆もなかなかのものを持っています。日本人とはほぼ100%クセあり。どんなに人当たりが良さそうな人でも頑固でない日本人は見たことがなく。何かしらのこだわりや譲れない慣習や事柄があります。一般的に個性的で自己主張の強い外国人よりも実は日本人の方がよっぽど個性的で変わっているのではないかと思ったりする時もあります。本音と建て前の二面性を使い分けで何を考えているのか一様に判断が難しく、それらに対応することは人一倍の気苦労が必要です。それでいて、突然の同調圧力にしなやかに対応する素直な面も持っています。日本人とは人一倍ややこしく複雑。そして、そのようなややこしさの対応する為には「人の芯」なる概念があると便利だと思います。それがあればヘタに流されずそれなりの平穏を保つことができます。私の場合、人の芯とは考えていることを文章化することで自分の芯や他人の芯を見つけ出します。人の芯は文章を書かなくても、職人なら「技量蓄積の芯」から何かの芯を見出すだろうし、好きな”もの”を収集する人は集まった「ものの芯」で構成されているはずです。毎日続ける中で“人の芯”とはコツコツと積み上がり、自分の中に芯が構築できると、他人の芯の存在も見えてきます。そして、芯は1本ではなく複数持っていた方が良くて、いろんな芯を使い分けることができれば尚良い。芯あればこその芯ではありますが、それは単なる芯なのでトイレットペーパーのような中がスカスカな芯なのかもしれない。あくまでも芯なので果実の実(主役)ではなく、実を育てる時に絶対の必需品ではありますが美味しく実を頂いたらポイっと捨てられるゴミです。種は付いているので運が良ければ新芽が出てくるかもしれません。これら全ての芯は屋台骨を作る背骨のようなものではなくて物差しのようなものです。

 毎日訓練すればそれなりに書けるようになるのがトレーニングの習慣。それでも何を書くかとなると、そこに存在するのはもはや力業。一本背負いはできないけど、体落としや大外刈りで行くか。むしろ、キックや引っかきの反則技も厭わない悪役レスラーのようなノリも必要です。四方八方にアンテナを立てて、野犬や狼のような嗅覚でネタを探る。実は私の鼻はイヌ科の鼻ではなくて「ブヒブヒ」と鳴るブタ鼻なのかもしれないと最近思います。人と話している時に突然「フンガー」と鼻から出る音に私も人も驚きます。人の鼻からブタ音が出てくるとは誰も予期しないこと。ですが、時折そのような音が当然出ます。そんな時に人の鼻はブタの鼻に似ているように思います。それは単に鼻からブタみたいな音が出たからそう思っているだけの安直な考え。一日一文章トレーニングを続けると言うことには正にそのような話が重要で、私の鼻が犬鼻であろうとブタ鼻であろうと本当にどうでも良いことのように思われますが、豚か犬かの違いはとても重大な発見でもあります。犬の鼻からは嬉しさ余りの「プシュー」な鼻汁が飛び出して、顔を当たると「わ〜犬ちゃん何するの?」となります。豚の鼻汁はちょっとわからない。そして、本日のテーマはブヒブヒと「台風」のこと。台風は関東平野に雲の子供たちを残して北上しましたが、私は台風でお家に缶詰されていたので、それなりにデータ収集もできました。データに基づいて文章を書くことは、何かエビデンス種族みたいな“できる人”の予感です。毎日の文章トレーニングにデータを紐づけることは物理的に無理。朝起きに必要なのは文章を書くことの勢いで、データ武装で内容の正当性を高めることではありません。何せ文章を内容や文の構造を考えるだけで精一杯。表現の多彩さのようなものには憧れますが文豪のような文章は未だ書けません。目指すはブラジルサッカーではなく、論や小言が多そうなドイツサッカーが目標なのかもしれません。ドイツとなると目標が高すぎて怖気づきます。とりあえず、毎日文章を書いていても人なりの芯を感じることはできますが、文章表現はいっこうに上手くなりそうな予感はない。最近ではシンプルに書くことも疎かになり文章表現が後退しているのではないかと危惧します。「質より量」なモードなのでそれは仕方がないことかな。

ということで。

「台風」のお話は明日につづく

 
■2022年8月14日(日)
■向かい風・カラス風。

■2022年8月15日(月)
■一日一文章トレーニング。

「夏の自由研究・台風」

ネットで「台風経路図」というのを見つけたので見る。
1951年からの台風の「接近」と「上陸」の経路図が描かれています。
台風の動きを実線で辿ることは何か面白いこと。
その線は台風の中心点を結んでいくような感じでしょうか。
台風は年間約26個発生して、約8個接近、約3個上陸するのが平均的な動きです。
※データは見直しなしの数字なので間違いがあるかもしれません。
※台風の数え方は「個」で良いみたい。
台風が全く上陸しない年も統計開始の71年間で4回あります。
台風は接近するだけでも空気をかき混ぜて日本列島の気候に影響を及ぼします。
なので、一年間に発生する台風の内に半分近くが温かい空気や冷たい空気を運び、私たちの生活環境に直接的な影響を及ぼします。
台風の移動方向を決めるのは気圧配置や偏西風、海水温など様々な要因です。
そのような動きはスーパーコンピューターでシュミレーションされています。
台風とは南の太平洋上で発生するものです。
なので、当然、南の下からやってくるものと考えますが、ある時には日本列島をぐるりと回り日本海側の北から上陸することもあります。
北からの台風上陸は斬新です。
また、ある台風は一度上陸してから再び上陸するなど結構自由に動き回ります。
台風が通過してからその経路について考えることは、まずあり得ないことなので「台風経路図」とは面白い情報です。
台風上陸の多そうな地域と言えば紀伊半島なイメージがあります。
なので、そこを中心に「西日本」「紀伊半島」「東日本」の3地域に分けました。
※あくまでも台風の最初に上陸する位置の特定です。
そうすると、台風の約60%は西日本の広い地域から上陸して、紀伊半島には約15%、東日本には約25%の割合で上陸しています。
紀伊半島という狭い地域に15%はそれなりに多い回数だと思います。
しかし、2000年代に入ってからの22年間で紀伊半島への上陸は総数5回と激減します。
東日本への台風上陸は平均1増える。
1が大きいか小さいのか意見が分かれそうですが。
この理由は何だろうと考えると今までは紀伊半島に上陸していた台風が今回の台風のように東日本側に方向を変えていることが原因のような気もします。
その理由は海水温の上昇にあるのかもと思いググったら確かに海水温は上昇しているようです。
1982年の海水温度24℃帯が四国ぐらいであったのに、1989年では千葉辺り、2022年では福島当たりに北上しています。(7月平均海水温)
気になる部分では中国の経済発展に伴い黄海の海水温がこの数年で真っ赤に急上昇しているので、その影響で日本海側の海水温も上昇しています。
日本海側は熱を逃がすスペースが小さいので永続的に温暖化しないか心配です。
最近、特に暑く感じる気候の変化は陸地部分で熱される影響もありますが、海水温の上昇の影響も大きいような気もします。
海水温のデータとは詳細なものは落ちていなくて古いデータもありません。
潮の流れで急激に海水温度が入れ替わる可能性もありますが、日本の近海・海水温上昇は間違いないことのようです。
同じ年の台風は同じような経路を通ることが多いので海水温度の変化は気温の変化よりもゆっくりな可能性もあります。
そのような感じで海水温の上昇がこのところ東日本地域への台風上陸が徐々に増えている原因の一つなのかもしれません。
温かい海水温度帯に沿って台風が移動する感じ。
台風の動きから変化を感じるとすると1989年の平成元年がティッピングポイントではないかと思います。
この年代以降、紀伊半島上陸が徐々に東日本地域上陸に切り替わっていくように見えます。
台風とは暴風雨や大風で私たちの生活にとっては忌み嫌われる存在ではりますが、一方で空気や海水をグルグルとかき混ぜて冷やしてくれる存在でもあります。
台風とは大きくて凶暴ではありますがナウシカに於けるオウム類や腐海のような存在なのかもしれません。
「台風経路図」からそのようなことを思いました。

 
■2022年8月15日(月)
■ウミネコ。NTTのマークみたいな目が最近気に入っている。