■2022年6月1日(水)
■一日一文章トレーニング。

「価格の決定権」

 「もの」の価格を決めることは難しいこと。ある会社は市場調査などのマーケティングを通しての価格の相場を知るかもしれません。とある企業は機械的な原価計算式から価格帯を割り出すかもしれない。今話題になっている「価格決定権」とはとても観念的で実際に「もの」の価格自体も観念的なもののように思います。サイコロ振ったかのような直観で決めた値段と、100人の調査員のコストをかけた商品価格を比較した場合に売れ行きにどのような効果を果たしたのか?それを証明することは難しいこと。「もの」は値上げすれば当然売れなくなり、値下げをすれば商品は動くようになります。デフレ化の「もの」の価格が下がる現象は「もの」の売れる相場点を市場が探しているとも思えるし、過度なインフレで物価が上昇すぎると人は購買をやめて「もの」の価格はマイナスな方向に調整する力が働くことにはなります。ですが、常に市場が万能に機能しているとも限りません。コストプッシュはダイレクトに値段に反映することになります。いづれにしても今のインフレ圧力はグローバル規模のサプライチェーンの組み換えが原因で、次の未来は過去の勝ち組が凋落すると考えるのがMY予測です。(間違っているかもしれません)資源等の値段が上昇すると今まで価格決定権を持ち得ずに安売り合戦で市場から駆逐されたプレイヤーたちがカムバックして再発掘(採算が取れる)する可能性もあります。今起きている現象はもっと大きな視点で視る必要があるのかと思います。

 ところで「価格決定権」とは誰が持ち得る“もの”でしょうか。市場が決める。それはその通りです。最終的にエンドユーザーである客が決めるという視点もあります。それも遠い意味で一理あります。客は価格を決定するという難問を解くことはやらないので割引や特典で買うことのメリットを享受します。店舗の価格決定は過多な店舗在庫を処分して現金化する為に安売りするかもしれませんし、採算度外視でライバル店の差別化で値下げを行うこともあるかもしれません。単にお得意様の感謝を込めて安く販売することもあります。店舗の価格決定とは様々の要因が考えられます。基本的にはお客様は割引してもらうことが好きで、それによってのみ顧客満足度が上がることを店舗は知っています。要はどこで買っても同一商品というのは店を差別化するものが何もない立地勝負だけの商品ということになります。

 さて、メーカーが価格決定権を持つというお話。多分、これはブランド戦略のようなものだと思います。メーカーが在庫負担を100%持つかわりに最終的に委託販売するお話。これの中には関連販売網の為の施策かもしれません。それならば、自分利益の為の意思決定ではないので思う結果は出ないかもしれません。いづれにしても想像の範囲を超えることはできないことですが・・・。これを実施することでメーカーの粗利は確実に上昇します。これはメリットです。仮に製造コスト25、メーカー利益25、問屋利益10、店舗利益40とした場合、委託販売とすることにより製造コスト25、メーカー利益45(+20)、問屋利益10、店舗利益20(−20)とメーカー利益を増やすことが可能です。※適当な数字。一般的に在庫コストは市場のババ抜きみたいなものです。メーカーがもし受注生産的なものを可能とするならば在庫負担も調整できることになります。このような価格決定権を発揮するには自動車などの独占的な商品やブランド力ある特別な商品でのみ可能なことのように思われます。逆に言えば、それが上手く機能しない時にはローカリゼーション化することと表裏一体なのかもしれません。店舗側の立場に立てば、「価格決定権」などの発想は多分持っていなく仕入先の事情とはどうでも良いことで売れるか?売れない?しかありません。在庫を持たないメリットはありますが、価格を安くして販売するノウハウを持っている店舗にとって在庫を持つことは一概にデメリットと言えない場合もあります。店舗内でも立地なような部分があり、ここに置くとお客さんの目に入り良く売れる商品の場所があります。そういう場所は店舗側の稼ぎ頭で粗利の良いものが占めることになります。よって、売れない商品は奥にやられていくことになると思われるので、ますます人目に付かなくなります。売れない商品は値下げする必要が出てくるならば、結局、安売り業者に丸投げして店舗側からの信頼を一気に失うかもしれません。ならば、スタッフを家電量販店などに派遣して販売促進する方法も考えられますが、それには最も大きなウェイトを占める人件費を上回る効果が必要です。屋台骨が大きくなればなる程にメーカーも店舗もヒット商品を作り続けないと成り立たない宿命を背負います。ということはヒット商品があれば何でもOKということです。

 「買う」「買わない」の価格設定の線引きは常に不確実性の中にあります。価格の設定は正解がわからないとても難しいこと。そのような中で市場を通して価格が調整されることは何とも不思議で面白いメカニズム。そして、今は世界的にそのような大きな変革の入り口に立っていると考えると少しワクワクしますね。

 
■2022年7月1日(金)
■水泳選手。
■2022年7月2日(土)
■一日一文章トレーニング。

「高気圧」

 いやはや灼熱の熱波。とても暑い毎日。昨晩、夜なので幾分、涼しくなっているだろうと期待して窓を開けると外はやっぱり暑い熱球の中でした。そのような感じなので、今朝も当然暑いだろうと窓を開けたら意外にも健やかな空気で暑さも一段落したような感じです。天気図を見ると高気圧は少しずつ後退しはじめており暑さにも陰りを見出すことができます。この6月の暑さは6月24日(金)から始まって一週間以上超えて停滞した高気圧が原因です。人間界にも「苦痛を与え続けることを良きこと」と考える頑固頭な人たちは多いのですが、この今回の高気圧もそれらに負けない卑屈な頑固さを持って長期間居座り続けます。まさに、ド級のしつこさ。高気圧とは本来「サマ〜」と大声で叫びたくなるような、突き抜けた清々しさがあるものです。なのに、6月後半の梅雨時期に発生した舌のカタチの高気圧はいきなり私たちに夏の苦痛を与えます。今は北海道の太平洋側にある高気圧が前線を伴いゆっくり押し返し中なのでニュースによると明日の7月3日(日)までは暑い日はつづくようです。しつこく居座る高気圧を押し返せるものはこれまた同等勢力を持つ高気圧だけということで、これもまた何かしらの人生の教訓を示しているようでもあります。この熱波を運んだ高気圧が去っていくことは良いことなのですが、沖縄の南東には時速25kmで移動する台風4号が発生しています。今までしつこい位に居座っていた高気圧が退くとなれば日本列島が台風の進路になる予感で、それはそれで少し心配。今月の根津神社に置いている神社庁の紙には「苦は楽の種 楽は苦の種と知べし(徳川光圀)」とあります。仮に「苦は楽の種」と考えてもこのように最高気温越えの日が続き、これからまだまだ本格的な暑い夏が続くことを考えたならば、楽の種などと呑気に考える人はよほどのマゾ的な人たちだけのような気もします。苦痛にもそれなりの節度があって当然のことで、流石に水戸藩の思想とは私の考え方とは異なるものです。苦痛はいらないので早く涼風を。

ということで。

 本日は半夏生(はんげしょう)。ドクダミ科の植物の名称で雑節の一つ。半夏生の時期に梅雨明けして毒気が空から降ってくるようです。空から毒気が落ちてくるとはどんな状況なのでしょうか。梅雨明けの暑い日差し、そのような強い光線を昔の人は空から毒気が降ってくると表現したのでしょうか。今日は空に気をつけましょう。

 
■2022年7月2日(土)
■風が流れる。
■2022年7月3日(日)
■一日一文章トレーニング。

「なんちゃってフランス料理研究(タコとインゲンのエテュべ)」

おフランス料理っぽいものを作る。
ティビュ?だったけ?何だっけ?
早速、調べ直して「エテュヴェ」です。
何度見ても覚えることができない「シャルキュトリー」の「エテュヴェ」。
親玉の「シャルキュトリー」の単語も勿論すぐに忘れる。
覚える気がないとか、怠慢であるという問題でなく言葉のフレーズに馴染みなさすぎることに原因がります。
口を「オーヴォア」のような口で覚えないと記憶することができません。
多分、この文章を書いた数分後にはこの二つの言葉は再び忘れられていることでしょう。
ということで、昨日「エテュヴェ」ぽいものを作りました。
素材はレシピと全く異なる和風材料を使用して直観的に作ります。

■先ず素材を集める。

【たこ】北海道の高級タコ足。太い足の茹でたこ。ワサビ醤油で食べても美味しいので一部はお刺身用で取り分ける。昨日の半夏生にはたこを食べる習慣があるらしいのでたこを入れます。
【インゲン】インゲンは両端を切って長いまま使用します。
【ミョウガ】思い切りの和風素材ですが細長く切ってフランス料理に投入。
【しその葉】最後に細かくちぎりふりかけて彩ります。
【にんにく】細かく粉砕して投入。
【にんじん】赤い彩りが欲しくて投入。細長くカットする。
【タマネギ】エシャロットの変わり。
【キャベツの芯】毎日のサラダ料理で残るキャベツの硬い芯を使う。薄めに細長くして料理に入れる。
【バター】洋風感を出す為のバター。
【塩】唯一の味付け。

■作り方

1)素材を用意する準備段階で結構疲れる。(ハードル高し)
2)インゲンを10分茹でる。(少な目のギリギリな線のお湯で茹でる)
※ホットクックを使用した。
3)インゲン10分茹でている途中5分を過ぎた頃にタマネギ、にんじん、キャベツの芯を投入。
4)茹で終了後、ゆで汁ごとフライパンに出す。
5)フライパンの上にタコとバター、ミョウガ、にんにく、塩を投入して全体が良く混ざるように炒める。
6)バターが溶けたら火を止めて具だけを容器に入れる。汁は入れない。
7)しその葉を細かく粉砕して表面にたっぷりふりかける。
8)完成。
9)フライパンに溜まった出汁スープはコンソメ入れてスープにするととんでもなく美味しいスープになります。
【注意】出汁は絶対に捨ててはダメ。
※スープに余ったしその葉をふりかけると、スープの見た目色が悪くなりますがクセ強めの初めて飲むスープ味になります。エテュヴェの後に肉も焼いたので肉汁入りの結構おいしいスープになりました。

ミョウガとかしその葉などクセの強いものはバターを使う西欧料理に合いそうな気がしましたが想像以上にフランス料理っぽくなりました。
塩づけはタコの持つ塩分と最後に和える時にふりかけただけの薄味です。
なので、取り皿にとった時にお好みで塩をふりかけて食します。
作るのに手間がかかるし、持って2日間の料理ですが食卓の1品が増える「なんちゃってフランス料理」が完成です。
写真ではメイン素材のインゲン山は底の方に埋もれています。
兎に角、やさしい味で美味しかったです。

 
■2022年7月3日(日)
■蛇使い。
■2022年7月4日(月)
■一日一文章トレーニング。

「重心」

「触らぬマヨに倒れることなし」。
新しく開封したマヨネーズを冷蔵庫のペン立てに挿したら、残りわずかなケチャップとフル満タンなおNEWのマヨネーズで急にバランスが悪くなります。
ということで、現在のケチャップとマヨネーズを挿しているペン立ては少しでも触れようならば「コテッ」と倒れてしまうぐらいに不安定です。
カタチ上の不安定は解消されてもやっぱり不安定兄弟はいつまでも不安定。
この原因は多分「重心と重さ」の関係。
ペン立ての重心はセンターをまっすぐに走っています。
一方、新しいマヨネーズの重心は上の方にあって且つケチャップと二分して収納しているのでペン立ての重心から大きくそれて存在しています。(図のようにバランスが悪い)
マヨネーズのカタチは円錐形に近いので大体1/4ぐらいの位置のところに重心があると思われます。
その状態で今まで通りの注ぎ口を下向きに置くとマヨネーズの重心がペン立てのサイズを超えて上の方にあるのでこけやすくなります。
ならば、マヨネーズの注ぎ口を上向きにして収納すれば(逆にする)重心が下に来て案外安定します。
とりあえず、しばらくはこの状態がマストです。

重心とは人で例えると移動に伴うカタチの変化で常に重心の位置も変わる何とも掴みどころがないもの。
アスリートな人達は自分の重心を意識しているから故に体のバランスや軽やかな体重移動を可能としている気もします。(体幹)
また、重い物をリュックに背負って移動する時にも重い物を上に、また体に密着させる方がより楽に運べたりもします。
石を芸術的に重ねて積み上げる人たちも様々なカタチの石から重心を見定める特殊能力を持っているように思います。

不安定や安定なカタチを決める境界は重心や支点の位置によって決まっているのでしょうか?
不安定なカタチとは結局いつまでたっても不安定なカタチということで、センターにドシンと重心があるものは安定しており、重心が外にズレていく程に不安定なカタチというような感じもします。
とはいえ、重心という下向きの力で常に重心でバランスをとっているようにも見えます。
よくわかりませんが、結局、私たちは常に目に見えない重力によって支配されています。
不安定→安定→不安定→安定という変遷を経て。
何とも面倒ことなのですが不安定兄弟を安定させるには重心や支点を見出してバランスをとること必要があります。

 
■2022年7月4日(月)
■カニの象徴的なパーツを組み合わせて作った何か。
全く異なる別ものでも特徴的なカタチを集めるとやっぱりカニっぽくなります。
 
■2022年7月5日(火)
■一日一文章トレーニング。

「目に見える“もの”の全てはデザインされ、そのカタチに伴って重心も生み出される」

 昨日は台形の重心をテキトウな線で結び絵を描きました。なので、ちょっと修正(図参照)。多分、線画で台形の重心を求めるには図のように台形を四角形と三角形、三角形の3分割して、四角形の重心をa、右の三角形の重心をb、左の三角形の重心cを割り出します。割り出されたそれぞれの図形の重心abcを線で結ぶと見えなかった三角形が現れ出ます。その三角形で結ばれる重心が台形の重心となります。この台形の重心の特徴は中心よりも幅が広くなっていく方に重心が寄っているところ。ということはマヨネーズの容器のようなカタチの場合でも広がっていくアンバランスな方向に重心は寄っていく傾向を見出すことができます。当然、この台形を360度ひっくり返しても重心に変更は起こりません。この重心というものは物体の中心です。また、これは不思議なことに常に物体上にあるものでもなく何もない空間上に存在する場合もあります。穴の開いた円だと空間上の円の中心に重心があり、いびつなコの字の図形でもこれまた空間上に重心が存在しているでしょう。ものの重心がその対象物の物体上にないことはとても不思議なことです。これは重心という考え方が概念であることを意味しています。重心には下に引っ張る力が働き、その物体の中心はカタチによって確定します!これはとても面白くて重要なことです!

 下記リンク先の動画にはBBCがNASAの実験施設で行った真空状態での重力落下実験の映像があります。これはとても大きな真空状態を作れる施設で重いボーリング球と軽い鳥の羽根を同時に落下させます。当然、真空状態では球も鳥の羽根も同じスピードで落下します。頭の中では知っていても映像で観ると「おー」となるビックリ衝撃映像です。これは何度観ても飽きません。落ちる時には物はその“もの”のカタチによって大気中の摩擦も変化して落下のスピードも異なります。しかし、実際の真空状態では大きい物、小さい物も等しく同じ引力でひっぱられます。昨日、石を積み上げる人達のことを書きましたが、調べるとそのような石を積み上げることを「ロックバランシング」と呼ぶようです。ググると神経をすり減らす奇妙な石積みをいくつも見つけることができます。私も毎日の文章を書いて皆を大変ドン引きさせておりますが、彼らにも何かそのような引いてしまうレベルの狂気を感じます。石を積む時に鼻がとても痒くなる。積む時に手が震えて「おおっと」崩してしまう。石を積む瞬間にエガちゃんの奇妙な動きを思い出して笑ってしまう。または、石積みの横で盛大にこけて石組みを倒してしまうかもしれません。そのような不安定な石積みをみると邪念が頭に浮かびます。おそらく、ロックバランシングな人達はカタチから重心を見つけ出して丁寧に置いて積み上げているのだと思います。それは「不安定」を「安定」させる技術。重心と重心を繋ぎ、時には支点で上向きの力を利用して積み上げます。真空な境地に立てば石の大きさとかの要因に関係なく重力は等しく下に引っ張られます。※そうであってもあまりにも重いものを小さなものの上に置くと重量でペシャンコに潰れるでしょう。

 要は何が言いたいのか?と言いますと、「カタチとは私たちが考えるよりも想像以上にとても重要なことである」と言いたいのです。私たちの身の回りのモノはほぼ全部、デザインされています。道路の縁石にも何かしらのエッジやアールがあり、小さなネジ一つとってもインチやミリで詳細なピッチで設計されています。この世の中には自然以外の人の目に触れる“もの”でデザインされていない”もの”を見つけることは不可能なことで、これは断言できます。駅までの道中の落ちているゴミのようなものからの全てのモノは何かしらのデザインが施されております。そのような立場に立つとデザインとはタダ同然のどうでも良いようなような扱われ方ではありますが「重力や重心」という大いなる自然法則の前に最初に前面で立ちはだかるカタチの表れであると、最近、そのように思います。デザインをカタチ作るモノには必ず重心があり。重心はカタチによって決まる概念で、そして、その重心は引力によって下に引っ張られます。※モニターの向こう側には重力は存在しませんが。この「デザイン→重心→重力」という一連の流れは、私がぼんやりと考える人の物理世界を支配する法則の一つのカタチです。この夏は河原にロックバランシングする為の石を拾いに行きたいですね。


 
■2022年7月5日(火)
■カラスの重心は何処にあるのでしょうか?
難しい。
飛行時には翼を開くとさらに形状も変わり重心も移動するでしょう。
カラスの重心とは飛行に適したポイントにあるとは思うのですが全くわかりません。
図面書いて探るべきか・・・いやいや面倒です。
正確なカラスのカタチも知らないしカラスの重心程にこの世の中に無駄ことはありません。
そう考えるとわらわの考えることは無駄なことだらけ(エヘヘ)。
不安定なカタチの呆則にのっとると直観的に上部・頭部方面にあるような感じもします。
カラスは鳴く時に「あーあー」と尻尾を可愛く振っているのを観測しました。

 
■2022年7月6日(水)
■一日一文章トレーニング。

「外れた重心(イノベーションは辺境からやって来る)」

昨日の文章を読み返す。デザインから重心、重力と流石に意味がわからないことを書いております。朝の寝ぼけ頭に書いているといえども何とも面白いこと。書いている時は「いい事を書いているな〜」と毎朝100%自画自賛な気持ちでノリノリに書いているのですが、昨日の文章は後から読み返すと何を言っているのだろうと「ジト〜」とした変な汗が出てくるタイプの文章でした。しかし、私はこのようにぼんやりとした意味が分かりにくいものは結構好き。それは見切り発車な文章なのでしょうか。いやいや、むしろ毎日が見切り発車な感じです。なので、終電を逃して歩いていたら迷子になったというのが近いのかもしれません。「デザイン、重心、重力」という迷路に入り込んだという表現が正しい。一日一文章トレーニングとは一種の自己表現のカタチでもあります。全く弾くことのできない楽器を持って今から一人でバンドをやると宣言して恥ずかしげもなく「君(きみ)に届ける」「ラヴラヴ」と歌うことと変わらない痛痛しさがあります。そう考えるとこの文章も何かしらのロックかもしれません。いやいやもっとパンクでありたいとも思う。といことで、もう一度、昨日の「デザイン、重心、重力」に立ち向かいます。昨日の文章を読み返すと人の作ったモノは全てデザインされています。それは目に触れるもモノの全てはデザインされていることであり、デザインというものが計りしえない可能性を持っていることを意味しています。カタチによって重心の位置は変化して、重心の位置によっては安定した形や不安定な形に見えてきます。実際に重力は等しくモノを引っ張っているので重心の位置によって物理的な安定感は確定して、デザインをする人は全てのカタチを創造します。多分、そのような事を言いたかったのだと思います。

Aという工業デザイナーが作るモノは重心の位置が高い(※変な位置にある)。重心と言っても重心とは見えないので直観的に感じるイメージとして何かしらの不安定さを感じます。なので、カタチも少し歪で重心が高いということはこけやすいことでもあります。人はそれを不安定なカタチと言ってAはあまり人気がないデザイナーです。Bの工業デザイナーが作るものは重心が低く安定したデザイン。このカタチはとても一般うけが良く売れっ子でたくさんの仕事をこなしています。そうすると、世の中にはBのようなデザインが街に溢れます。Bは毎日の仕事を右から左にこなしているだけでBらしいデザインとは何かと毎日考えるようになります。(中心)そして、Aは相も変わらずに重心が高いバランスの悪く感じられるものを作り続けています。すると時代も少しずつ変化してきて、Aなりの不安定なカタチはそれなりに何か個性があるように見えてきます。そうすると、人々が求めていたB的な安定したモノよりもA的な不安定なモノに何かの新しさを見つける人は出てきます。とはいえ、Aの作るコップはすぐに倒れてしまうのが難点です。そこで、Aは重心と重力のことを考えたトリッキーなデザインを生み出します。それが、Aというイノベーションの始まりです。イノベーションとは中心からは生まれるものではなくて、常に外郭の外、中心部にいない外れた重心(外部の人たち)によって新しいものは生み出されているように思われます。

ということで、昨日の文章の不安定さに続き、本日の終わりもそれなりの不安定。
安定と不安定なカタチの境界はまだまだ霧の中。

 
■2022年7月6日(水)
■カタチの見方、見え方。

■2022年7月7日(木)
■一日一文章トレーニング。

「鳥の羽根を拾う」

道端に落ちているものを拾っている姿を人に見られるのは嫌なこと。
昨日、道を歩いていたら小さな鳥の羽根を発見しました。
当然、私の鳥センサーが「あっ!」と感知して1メートル程前進してから、再び戻って鳥の羽根を拾います。
この1メートルの間に「この羽根を拾うのか?または、拾わずにスルーするのか?」の葛藤が頭の中で「ぶわ〜」と計算されます。
結局、羽根は8.5cm程の持っていない小さな大きさで状態もキレイ。
道で何かを拾うことの恥ずかしさよりも羽根を拾うことを選択します。
歩いている人は「こいつは道を戻ってまで何を拾っているのだ?」と思うのかもしれません。
写真は今まで拾ってきた鳥羽根コレクション。
今回ゲットしたのは左端の一番小さな羽根。
最近はカラスやハトの羽根などもよく道端に落ちています。
数日前にも大きく迫力あるカラスの羽根が落ちていて状態もキレイだったので少し気になりましたが、あまりにも人の流れが多すぎて断念しました。
六月猛暑からの戻り梅雨のような気候が羽根を落とす原因の一つかもしれません。
なので、今の時期は道を良く観察すれば鳥の羽根をゲットできるチャンスです。
さて、この羽根は何の鳥の羽根なのでしょうか。
最近見かける鳥は・・・。
カラス(よく見かける)毎日必ず見る。
スズメ(よく見かける)チュンチュンの声をよく聞きます。
ムクドリ(よく見かける)羽根の色からしてムクドリの羽根なような気もします。
ハト(最近あまり見かけない)猛暑以来あまり見かけないので水がある方面に移動したのかもしれません。
ヒヨドリ(最近あまり見かけない)ヒヨドリの色にも近い気がします。
スズメやムクドリぐらいの大きさの鳥のような気もしますが、大きな鳥の小さな羽根部分ということも考えられます。
羽根知識を持ち合わせないので羽根から主を予測することは難しいことです。
姿は見えないけども遠くから聞きなれない鳥の鳴き声が聞こえることもあります。
冬場と違い青々と生い茂った葉で鳥の姿を見つけるこができないことは最近よくあることです。
もしかしたら、そのような鳥なのかもしれません。
この羽根の特徴は今まで拾ってきた羽根とは異なり透過度が高いです。
本などに羽根をかざすと文字が読めるぐらいに透き通っています。
これは夏羽の特徴なのかどうかはわかりませんが、冬場に拾ってきた羽根は全く透過させないのと比べても別物な構造をしております。
夏の羽根をもういくつか拾うことができれば、そのような夏と冬で羽根が異なる差を見つけることができるのかもしれません。

 
■2022年7月7日(木)
■均等な質量の平面なデザインとしての鳥を横から見た重心を探ります。
本当にこんな感じの考え方で良いのか全く分かりませんが鳥のカタチを省略した記号に分解します。
主なパーツごとの重心を出して。
そして、頭部と胸部、羽根と尾っぽと太もも、足で3分割。
それらをさらに結ぶと大まかな全体の重心となります。
そうすると、胸の下、太ももの前、全体の中心辺りに重心は導かれます。
もっと鳥の形から頭部の不安定な場所にあるかと考えましたが、それらしきの安定した位置です。
鳥にとって引力とは密接な存在だと思うので、そのように考えると鳥のカタチとはそれなりに意味あるように形に見えてきます。
※鳥の首を忘れていました。www 確かに水鳥などは首長です。位置はほとんど変わらないとは思いますが、また次、首有りの鳥(カラスの形)で重心を探ってみたいと思います。

 
■2022年7月8日(金)
■一日一文章トレーニング。

「サボテン」

このサボテンは実家のサボテン。これは私が小学生だった頃にスーパーで買ってもらったサボテンです。2〜3センチぐらいの小さなプラスチック鉢に入ったかわいいサボテンが写真のような迫力あるサボテンに成長しました。そのような小さかったサボテンを机の上の癒しとして飾っておりましたが、私の部屋は潜水艦みたいな太陽光の入らない部屋だったのでサボテンは「くたー」と弱ってしまいました。これは大変だということで庭の陽当たりの良い場所に出して光合成させることにしました。植物とは蛍光灯の光だけでは成長できないものです。それ以来、ほったらかしの状態のサボテンですが、実家に帰る度に大きく成長しているサボテンを見て驚かされています。この驚きは帰省毎に行われる恒例行事みたいなもの。縁日の金魚やヒヨコが予想を超えて大きく育つことに驚く感覚と同じようなものです。何も期待されない”もの”がすくすくと成長する様を見ることはとても良きことです。実際には、母が成長にあわせて鉢を植え替えたり、たっぷりの水もあげているので、私以外から大切に育てられてはおります。一番大きいものが元祖サボテンなのでしょうか。赤色のトゲと緑の配色がキレイで生命力に溢れます。如何にもサボテンらしい形のサボテンで、これは正しく不安定に見えるカタチです。我が家にも不安定なカタチのサボテンの3兄弟がいます。(サボテン三兄弟)ここ最近の雨で帽子頭のふさふさ毛のようなものをやっと生えてきました。これは毎年、冬から春にかけての冷たい雨によって弱り落してしまいます。この戻り梅雨のような雨でやっと再生してきた感じです。冷たい雨によって弱り、温かい雨によって元気になる。サボテン生育にとって水とは必要不可欠なものですが冬の冷たい水とは避けなければならない水なのだと思います。去年もそのようなことを考えておりましたが、雨を避けるのを忘れてしまい植物は冷たい雨にさらされてしまいました。これは横着の反省です。そして、サボテンのカタチとは案外、不安定なカタチなような気もします。ということで、これらサボテンの重心も気になるので重心を割り出したいと思います。本当のところは重さ(質量)にバラつきがあるものは重心と図心の差が重要になると思われます。ですが重さの分布を測ることはちょっと無理ゲーなことです。なので先ずは見た目重視の形が持つ安定と不安定の境に注目してから次のステップに進みたいと思います。

 
■2022年7月8日(金)
■ドット。

■2022年7月9日(土)
■一日一文章トレーニング。

「カラスの重心」

前回のカラスには首がなかったので首を描いて重心を割り出します。そうして、私には正解不正解を証明できない線引き方法で再度重心を割り出します。※実際にはひもを垂らして安定する場所です。すると、首が伸びた分だけ重心も上に移動します。これは何か不思議なこと。カラスの首がどの位の長さが適当なのかわかりませんが、もう少し長いとしてもそれに比例して重心も上昇することが予想されます。※フリーハンドで描いているので正確でないかもしれません。いずれにしても、グラフな線状を作り上げることに間違いはありません。平面なカラスのカタチの重心はそれを90度起こし立てたとしても形状に変化は起きないので、カタチが持つ中心とは変わらずにそのままカタチの中心であり続けるはずです。そして、カラスの形状に若干の変化が起きたとしても質量のないこのカラス(記号)の重心はこのX線上のラインで移動することになると思われます。本当はいくつも書き出さないと正確なことは言えませんが、取っ掛かりとしてこのように重心がX線上を移動する様を見ることは何かスゴクて面白いこと。カラスの形とは大きな頭とずんぐり胴体、大きな羽根に大きな尻尾、太い太ももと棒のような細い脚。鳥の形とは何かおかしな形であり不安定なカタチをしております。私が創造主ならもうちょっと安定した形を創造したのかもしれません。カラスはどこから見ても間違いなく不安定なカタチを持った存在です。ですが、この前方方向に曲がる細い脚の交点がX線上に交差しているのであれば引力に真っすぐ引っ張られている重力線(鉛直線)上の絶妙なバランスを保っているとも言えます。そうなれば、私たち日常生活で外観上からの判断する安定や不安定なカタチとはとても主観的なことのようなものにも感じられます。鳥の形にはそれなりの有効性があって現在も種を保存していることを考えるならば、倒れやすい(不安定)、倒れにくい(安定)というような安直な考えではない価値判断が自然界には存在しているようにも思います。よって、鳥はあのような不安定に見えるカタチだったからこそ今大空を飛ぶことができるというイノベーションな進化を果たしたとも言えるのかもしれません。

 
■2022年7月9日(土)
■車窓の風景。
■2022年7月10日(日)
■一日一文章トレーニング。

「不安定なカタチ」

昔のマッキントッシュ・パソコンは複数タスクを同時に実行すると爆弾マークが表示されて画面がフリーズしました。勿論、何もしなくても固まります。それはWindowsでも同じで普通に画面は固まり動かなくなりました。パソコンが固まると保存していないデーターは消えてパソコンを再起動して再び同じ作業を繰り返すムダな時間を浪費することになります。学習せずに度々データー保存を忘れてしまい「うわ〜」と頭を抱える私でしたが、初期のパソコンとはそのようにやさしく丁寧に扱わないとすぐにへそを曲げてしまうような不安定な代物でした。ですが、一方でそのように不安定なパソコンは多くの人の労力によって安定させる改良が行われて今のデジタル社会の進化と普及につながるイノベーションを起こしました。そのようなコトを考えると、やはり不安定なカタチには次なる進化の萌芽が埋もれているように思えてきます。ビジネスに於いても成熟した安定した市場よりも混沌とした不安定なマーケットの方が発展と可能性には満ちているのでしょうか?いやいや。グローバリズムによって地球の隅々まで同じような道筋で街は書き換えられましたが、それらはイノベーションではなく伝播や普及の類です。単に発展していない中心の外にイノベーションが生み出される意味ではありません。仮に不安定なカタチこそが次なる発展であると考えた場合に人や鳥などの不安定な形を有する生物は安定したカタチの四足動物よりも進化の可能性は高いと思われます。人も不安定なカタチだからこそ二足歩行できるように進化しました。また、人はまだまだ不安定なカタチを持っているので、これからも様々な発展の余地があるとも言えます。同じような意味で鳥の不安定なカタチにも次なる進化の道が用意されているはずです。鳥ウォッチャーな観察眼からするとカラスの行動にはとてつもない知能を感じる時があります。水鳥の鴨はものすごくアホっぽい鳥ですが、長距離飛行する為に膨大なエネルギーを使用するので脳はそれ程に発達していない可能性もあります。会話であればヨウムです。ペットとして飼われるヨウムは独り言なのか?コミュニケーションの一環なのか?驚く位に「ずーっ」と何かおしゃべりをしています。それは、欧州旅行に行くとマダム達が電車や街角で話を途切らせることもなく「ずーっ」と何かを話していることに似ています。ヨウムをそのような「ピーチクパーチク」なお喋りを聞いていると数百年後には一部の鳥は言葉を道具として使っているかもしれません。恐らく、四足動物は重力の安定にあぐらをかいているので長い年月の後でもそれ程の進化は起きないでしょう。不安定なカタチの動物とは不安定であるが故に何かしらの安定を求めてイノベーションを始める可能性が高い気がします。数万年後には鳥人類という知能が高く空を飛べる生物が地球上に生まれているかもしれません。カタチとはたぶん想像するよりも「ずーっ」と重要な要素で、生命の可能性を決定づける大きな要因の一つだと思われます。そのような訳で、不安定なカタチや事柄は一見良くないことのように思えますが、次なる発展の可能性として捉えれば何だか愛おしいものとして見えてくるはずです。そして、日々、不安定なコト柄を探しているけれどもなかなかみつからないものであります。理由は私たちの社会がなかなかに安定した社会であるからです。

 
■2022年7月10日(日)
■7/10の日。納豆を食べる。
■2022年7月11日(月)
■一日一文章トレーニング。

「ポロシャツを着れない人」

(ミンミンミン)ててて〜ててて〜ててて〜ててて〜♪(JR東海風のCM音楽)
毎日の着る服装を選ぶことは朝一番の悩み事。
雨や晴れ、気候や季節感を感じながら服は選びたいものです。
着る服によってその日の街を歩く景色も変わります。
衣装持ちな方はウォークインクローゼットの右から左へ順番に服を着ていくという。
ウォークインクローゼットそれはその空間だけで何か十分棲めそうな憧れのクローゼット。
Appleな人は同じ服しか着なかったらしい。
私が実践したらマジに一枚の服しか持っていないと不憫な人と思われるでしょう。
2022年夏、今日も暑い月曜日の朝、今日は何を着ていこう。
私はFitzから一枚のポロシャツを掴みとった。
そうだ、ポロシャツを着よう。
ててて〜ててて〜ててて(シャン)。

ということで。
ポロシャツに右手を通し左手を通します。
そして、頭を通そうとするとネック部分で頭がつっかえます。
そうです。
ポロシャツの第一と第二ボタンがしっかりと止まっているので頭が通過しません。
ポロシャツの両腕に手が通り、ネック部分で栓をした顔が出てこない状況は得体の知れない生命体のようで滑稽です。
世の中に朝一番笑える風景があるとすれば、JRな京都の音楽にのせたポロシャツに頭が通らない人の着替え姿でしょう。
私は少し学習効果が足りないので毎度同じような光景になりがちです。
しかし、このように文章化すれば次からはボタンを外さないで着ることになるでしょう。?&>¥?
第一ボタンだけを外すだけでも頭は通ります。

ポロシャツは不安定なカタチなのでしょうか。
布は柔らかくてカタチは変幻自在です。
形が一定で収まらないと言うことは重心も定まることはありません。
質量が大体一定な布の重心はどこの位置にもなり得ます。
ポロシャツをひもでつるす鉛直上の意味は存在するのかどうかもよくわかりません。
ポロシャツという不安定でも安定でもない新しい形状(概念)の出現で多少混乱します。
どうしましょう・・・。

 
■2022年7月11日(月)
■ポロ納豆。

■2022年7月12日(火)
■一日一文章トレーニング。

「布って不思議だね」

さて、「ポロシャツとは不安定なカタチなのでしょうか?」ということで昨日面白く感じたことを追跡します。
先ず布は変幻自在にたわみカタチを維持しません。例えば長方形のタオルの重心にひもをつるしたならば円錐形のような形で安定します。

(1)面白いと思うことは大きく重心から外れた位置でタオルをつるしたとしてもカタチとしてのつりあいを保ちます。※つりあいは曲がっているかもしれないけど曲がっているというヴィジュアル的な感覚はありません。これは何か不思議なことです。「やわらかい」カタチを変形させる“もの”に平面上の重心は意味のないことのように見えます。「やわらかい」ゆえにどの位置でも最終的な安定とバランスを保ちます。服のように体に密着させる。袋のようにカタチを膨らまして物を収納する。布製品にとって一定のカタチとは存在していないものであります。今まで重心を考える時の対象物は薄くてフラットな板として重心を探ってきました。その素材に「やわらかさ」の概念は存在しません。バランスが悪いと傾いて重心のズレを教えてくれます。しかし、布生地はどんな状況でもそれなりのバランスを保ち柔軟性につりあいます。布の特徴は細い糸から編み上げられた構造体で且つ質量が均質。そして「やわらかい」。やわらかいので柔軟にカタチを変形させることができて、つりあいがとれたカタチは円錐形のような立方体を生成します。その時のタオルの重心は空間上にあります。

(2)上記のように重力によって引っ張られた布の重心を探る時の布のカタチは立方体となります。それは「平面→立方体」という経路で重心を探ることになります。一方、立体物の重心を考える時には「立方体→平面」のように簡略した記号化で重心を計測します。※私の場合。これは布のような平面的なものが立体物から重心を捉えて、歴然として実在しているカタチあるものが平面として捉えるという真逆な逆転現象を起こしていることを見つけることができます。それは何か面白いこと。布とはペラペラの薄い平面なのに何故、このように立体物なカタチを成すのか不思議なことです。

布:「平面は→立方体で考える」
立体物:「立方体は→平面図で考える」
辿るルートが異なる(正反対?)

いずれにしても、最終的には見た目のカタチを維持したままに落下運動をするのが引力です。なので、これら「やわらかさ」とは重力にとって特に意味のないことではあります。この2つが昨日の「不思議だねー」と思った事柄です。関係ないけどポケモンにも「ふしぎだね」というキャラクターがいますが、その由来を調べたら「だね」は「種」のダジャレで進化させると種から芽を出して花を咲かせるというキャラの意味でした。

立方体の重心を簡略して考える根拠としてカラスのカタチの3面図を描きました。そして、それぞれの図面の重心を割り出してみたら、大体同じような位置に重心は集積することがわかりました。※手書きなので若干ズレズレです。重心とは少しカタチが変形するだけでも移動してしまうものであります。なので、立体物の重心を探る時には特徴ある正面図を簡略して描いておよその重心を突き止めることでも十分とも言えます。航空機やレースカーなどの厳密なバランスが必要な場合を除き、正確な重心の位置とは意味のないことのように思います。むしろ、精密な工業製品にとって重要なのは重さのバランス(図心)の方が大切だと思われます。ということで、ポロシャツのカタチ。地面に面していると安定しておりますがその時々の形状を変化させて見た目には決して安定したカタチと言うこともできない存在でもあります。とりあえず、よくわからないので「安定」と「不安定」の狭間にある「安定でもなく不安定でもない」第三極なものとして考えるようにしました。それを絵画に例えるとダリの溶けた何かのようなもので重力にそって「とろーり」ととけて密着しながら流れていくようなものです。それは液体に近いのですが液体ではなく、アナログ的な曖昧なもの要素を持ち得ます。布とは固形の立体物よりも情報量が多くて複雑でカタチを様々に変化して面にまとわりつく変てこなものであります。「あー」この文章を書くのに何かものすごく疲労しました。

 

■2022年7月12日(火)
■やわらかい布。
■2022年7月13日(水)
■一日一文章トレーニング。

「芯」

レタスやキャベツの剥く時に密着した葉を一枚一枚キレイ破らずに剥がすことは難しいこと。
そのような葉っぱも結局、手や包丁でカットすることを考えれば破れても別に良いことのように思われます。
ですが、レタスやキャベツの葉っぱは何故かキレイに剥がしたいと思うものでもあります。
そこで、毎日野菜を食べることで発見した一枚一枚キレイに剥がす方法を記載します。
もしかしたら、この方法は常識なのかもしれませんが下記に記します。

■レタスやキャベツのむき方

1) 芯のある底部分を上に向けてひっくり返して置きます。
2)一番上にある葉の芯の付け根に包丁で切れ目を入れます。(図参照)
3)カットした芯の切れ目部分から葉をめくるとキレイに剥がせます。(逆向きにはがす)

一般的に密着した広く大きく包み込むやわらかい葉の先端部分からめくろうとするので途中で破れます。
この方法は芯の固くて狭まった部分から剥がすことで、葉っぱを「パカッ」と一枚一枚をキレイ剥がすことが可能です。

「芯」です。

シン・ゴジラの「シン」は新や真のことを意味するだけでなく「芯」の素な部分のゴジラを表現しているのではないかと思ったりもする「芯」のこと。
私は固くてカリカリと歯ごたえのある芯は結構好きですが、一般的に野菜の芯とは固くて不人気な“もの”。
なので、芯は包丁でくり抜くようにカットして炒め物の材料として再利用します。
野菜の芯が太くて頑丈なように、人にも芯のような“もの”は存在するのでしょうか。
物理的に考えれば、人の芯とは背骨なことです。
ここでの芯とは「心の芯」とか「考え方の芯」などの頭の中を貫く「芯」のことです。
人が持っている芯が極太で頑固であれば、それはそれで厄介で扱いにくいことに間違いありません。
一方で「やわらかい布」のように何も芯がない包み込む状態というのも確かにあります。
重心を貫く鉛直線という線も重力な芯とも言えます。
「安定」「やわらかな布」「不安定」とは「心の移り変わり」のような気もします。
ということで、次の山は「芯」です。
まだ、考えはまとまらないので徐々に。

 
■2022年7月13日(水)
■揺れるキャベツ。
■2022年7月14日(木)
■一日一文章トレーニング。

「3体のソフビ」

カタチの中に重心を見出して、ものの変形と伴って重心も共に移動する様がグラフになることや、何もかも包み込む布の不思議、それらを辿る道が逆転的発想である様は何か面白いこと。しかし、それらは意味のよくわからないことであります。そのようなことを「ずーっ」と書いていたならば、何かこいつちょっとヤバイ奴なのではないかと思われてしまいます。実際、少しおかしくも思うので今日はまろやかにいきます。(バランス) 文章の世界で変わったことを書いているのですが、文章の世界とは言わばスターウォーズで言うところの「暗黒面」に落ちたような「フィクション面」に落ちている状況でもあります。本人にとってはこれらはとても楽しく充実した朝活をしているだけのことでありますので、ラグジュアリーなスペースで行われる意識高目な朝活と比べても遜色ない事柄です。ただ、異なる部分は服装が寝巻で頭はボサボサで爆発しています。リアルと文章の世界は素の私と表裏一体ということでもあり、恐らくリアルな私も文章と同じ位にええ奴で意味がよくわからないものであります。そのような訳で今朝は家の物置の段ボールを一つ開封してそれについて書くこととします。時には生活に密着したものと向き合い「フォースを感じなさい」と映画スターウォーズでヨーダ―は話していました。なので、段ボールを開けて中に入っていたものを感じるがままに書きます。段ボールを開封する中には使われなくなって仕舞われて表世界に出られずにベンチを温めているソフビたちが収納されておりました。以前、「わたしの宝物とは何でしょうか?」という記事を書きましたが、これらはまさしくそのような宝物の一つです。大きさはどれも30センチの大きなサイズで迫力があって宝物感があります。箱を開けてこれらが入っていると「わぁ☆彡ステキ」とマンガで言うところのキラキラ光るオーラが発生します。宝物の発見です。

【一つ目】は塗装されていない真っ黒なゴリラの素体。手足頭は稼働しますが頭は左右5ミリ程に動くだけです。これは本当に迫力があって良いものです。部屋に飾っても少しアートっぽく飾ることができますが、黒すぎて黒い物体にしか見えないことが難点です。それならば、自分でスプレーを吹いて色付けすることもできますが、さて何色に塗りましょうか。ソフビってメタリックカラーがとてもキレイなのでシルバーメタルなゴリラなどは良いかもしれません。でも、失敗することを考えたならば色を塗るアクションはそうそうに勇気を持って塗装することはできません。ソフビ用の塗料も専用の特殊な塗料のようで、それらををゲットするのも大変です。横着にとってこれら初動の重さは少しハードルが高いこと。なので、黒い猿はいつまでも黒い猿のまま存在する予感です。フォース(1)を感じることができました。

【二つ目】は二つの首を持つ怪獣です。オレンジとメタルグリーンがキレイです。ただ、部屋に飾る為には尻尾が長すぎます。尻尾だけで17センチぐらいあります。足も大きくて奥行だけで23センチぐらいの幅をとります。飾るにはそれなりのスペースが必要なのでなかなか置く場所を見つけることができません。ものすごく「安定」したカタチなので大きな地震が来ても倒れない自信はあります。頭が2本あるものは海外のソフビコレクターが好きな形状です。頭が二つあるとお得感もあります。フォース(2)を感じることができました。

【三つ目】は脳みそのような目を持つハエみたいな怪獣です。目には透明なカバーが付いているのですが、脳みそが見えないので写真を撮る時には外して撮影しました。ハエとか脳みそとか気持ち悪いものばかりが目立つ特徴です。困った部分ばかりが目立つのですが不思議なことによく見ると宇宙を感じさせるデザインで青の配色とロボットのようなフォルムからモダンアートだねと言われればモダンな感じです。ま〜モダンアートな定義が少しわからないのですが・・・これらはステキな形状です。これもまた尻尾が長くて15cmぐらいあります。毎日の生活にコスモを感じたい時に飾るアイテムなのかもしれません。フォース(3)を感じることができました。

このようにして今朝の朝練は3つのフォースを回収することができました。良か。良か。グッドモーニング。

 
■2022年7月14日(木)
■怪獣大乱闘。
■2022年7月15日(金)
■一日一文章トレーニング。

「記憶の芯」

昨日は霧雨です。
涼しいけれども、雨が服にまとわりつき濡れてムシムシとします。
ややこしい。
そして、今日の天気も昨日と同じような空で曇り空。
今日も雨降るのでしょうか?

だいぶん以前に実家から送られてきた私の昔のアルバムがあります。
本棚で鎮座するアルバムは大きくて幅を利かしております。
できれば、永遠に実家に置いといて欲しいと思うのですが、どの写真もなかなかの良い笑顔。
カメラに向かって笑顔を作っていることはなんともステキなことです。
最近、このような笑顔を作れているのかと自問自答します。
いやいや、こんな笑顔はありません。
外国の人がカメラに向かいポージングしていることを小馬鹿にするゲスな私がいます。
アルバムを見ていると写真とは思い出の瞬間なので思いっきりはじけることも大切なような気もします。
自分で言うのは何なのですけれども・・・どれもかわらしい写真ではあります。
ですが、他人にとってはどうでもいいような写真ばかり。
お掃除や断捨離モードに入るならば頭の中が客観的な第三者のモードに頭を切り替わることを意味します。
そのような頭の中ではアルバムとは必要のないの“もの”ではないかと考えたりもします。
おそらく、アルバムとは記憶の芯です。
アルバムに写る赤ちゃんの頃のシーンはほぼ生の記憶としては存在しません。
少し成長して幼少の頃の写真を見ると当時の景色、香りや記憶がほんのりとよみがえります。
写真を見ながらこんなことがあった、あんなこともあったと眺める感じ。
そこで、もし仮に映画のように事故で記憶を喪失する、若しくは、年老いて認知症が進み記憶がなくなったとします。(多少なり可能性はある事柄です)
そして、私は断捨離された生活感の全くないミニマリストな部屋に住んでいると仮定すると、それは、断絶された記憶の線を結びつける“もの”何もない部屋に住んでいるとも言えます。
部屋に存在するものは生活に必要最小限の”もの”と今ある景色だけです。
それは何か怖い事。
“もの”とは道具だったりコレクションだったりもしますが、それらは単なる物ではなくてその“もの”が持つ思い出(情報)も一緒に付随しながら所有しています。
過去は携帯に残るデジタルなデーターだけで、物に付随する余計な情報がないことはスッキリとした人生のように見えますが、人生の蓄積する二次的な記憶が全くない状況と言えます。
目覚めたら記憶を失い、そして、記憶を辿るものが何もないことは一種のホラーです。
記憶を失う確率というのは小さな確率でしか起こらないことなのかもしれませんが、記憶から記憶へと繋ぎ直す手がかりが何もないということはリスクです。
※認知症の症状を持つ人はネットで調べたら65歳以上で1/6と数字もあります。案外多いですね。
ということで、ホテルのようなすっきりとした部屋に住む生活は憧れますが、思い出の絵や写真など自分らしいものに囲まれて生活することも大切なことのようにも思えます。
部屋をお片付けする時には「思い出の芯」は捨てないようにお掃除することが一つの判断基準なのかもしれません。

 
■2022年7月15日(金)
■記憶を辿る。
■2022年7月16日(土)
■一日一文章トレーニング。

「ガタつく床と賃金・物価の悪循環と仮想通貨とガール」

 ここ数日、連続して道のトラップにはまります。それは通り道にあるガタガタとガタつく側溝のフタのこと。それを踏むとガタつく側溝の下にたまった雨水が「ブシャ〜」と飛び出して靴がずぶ濡れになります。昨日も一昨日もなかなかの大雨だったので、それを踏んでずぶ濡れ。失敗から学ぶことなく何度も同じ所を踏んでしまうところが何とも私らしいところ。外見上からはこのパネルのグラつきを識別することは無理。今でも側溝の何枚目だったかはよくわかりません。なので、だいたいこの辺りだろうということで全体的にそのルートを避ける通ることが吉。このようなガタは車が何度も通過することでグラつきます。雨さえ降っていなければ足元がガタっと揺れるだけなので問題はありません。最近、商業施設内や道路の床めくれの状態をよく見かけることが多いです。大抵は管理者のプラスチックの柵によって修理待ち状態となりますが、これは偶然的に床剥れの状態を見ることが多いのか?不景気で修理するペースが鈍化しているのか?もしくは、床を恣意的に破壊する輩がいるのか?などと考えてしまいます。ゲームの世界でも床のトラップをよく踏みます。この四角い床を踏むと矢が飛んできてダメージをくらうことは何度もプレイして知っています。ですが、やっぱりうっかり踏んでしまいます。そうすると、後続を歩く一緒に遊ぶ仲間がそのトラップの矢の攻撃を受けて溶けたりもします。そういう時は申し訳ないような、少しな(笑)な気分になります。トラップには気をつけてなければなりません。ガタつくということはどこかの支点でパネルを支えてバランスをとっていることになります。タイルは外見上安定的な位置でスタンバっておりますが、踏まれると固定はされていないのでガタっと不安定に動きます。これは「疑似安定!」というべく姿なのかもしれません。

 そのような支点で支えられたカタチに近いと感じることはインフレーションによる物価高と賃金アップのシーソー。多くの経済学者らしき人達が口を揃えて「賃金アップ」を言っていることは、それらは正にその通りだと思うのですが“あまのじゃく”な私は少し疑念も持ちます。それは「賃金と物価の悪循環」というもの。物価が上がると労働者は賃金アップを求めます。労働賃金を上昇させると企業はその穴埋めに値上げを行うことで賃上げにかかった原資を回収しようと再度の値上げを行います。実際、今年2度目の値上げを行う独占的な商材も見受けられます。そらは兆候と考えることもできます。そのようにして繰り返される永続的な物価と賃金のスパイラルというものが「賃金と物価の悪循環」です。これらは教科書に書かれているような基本的な話。その発生のメカニズムはどの組織もインフレーションによる物価高に責任を持たない状況で発生するとあります。それは「賃金の上昇」さえすれば「インフレ」状態は解決できるとでも言わんばかりの話が溢れている今の状況にピッタリ。置き換えればインフレーションの責任と問題は労働賃金を上げることに転嫁してしまえば誰も責任を負う必要がないという教科書的に悪い事例をそのものを実行しているのが面白いところ。実際にインフレーションの波は海外と為替安から来ています。「賃金と物価の悪循環」について書かれている記事はほぼ皆無で個人的には「ピーン」と来ることではありますが「何をできるか?」と考えても何が正解なのかよくわからないことでもあります。異次元だ〜バズーカだ〜リフレ〜な流れの中の「失われた30年」、そして現在の経済状況でもアベノミクスが成功したと言っている御方たちもたくさんいて「えっ?まじか?」とある意味度肝抜かれるロックな感じもしますがカオス、意味不で理解も追いつきません。株価や求人数は改善したとも言えますが、求人は単なる偶然の人口減による生産人口の減少が要因なような気もします。そうすると株価と債権を支える為だけの異次元の代償はどのように評価されるのでしょうか。もしかしたら、私は異なる景色を見ているだけかもしれません。リフレという下品っぽい言葉で、そんな思想の柱でもあるポール・クルーグマン(経済学者)がヤフトピのニュースで仮想通貨を懐疑的に批判していて「あーこれはダメだな」ということだけはわかります。仮想通貨の可能性は金融的なものに限ることではありません。中央集権的ではない民主的な仕組みにあります。重要なのは仮想通貨が持つシステムです。ビットコインは国家の枠外で価値を保有する金融資産でもあります。デジタルな電気信号ではありますが改ざんをできないような取引の詳細を紐づけしながら情報は国境を越えて移動します。なので、中国のような専制国家では国の根幹を壊してしまう可能性が高いということで取引が禁止されております。仮想通貨(ビットコイン)が持つ新しい民主的な思想が隅々に行きわたると独裁政権の根拠を崩しかねないと考えたからでしょう。もちろん、その価値は市場に於いて売り買いされる為に変動率は大きく変動します。「安定か不安定か」で言うと間違いなく「不安定」。個人的には特定組織によって意図的に市場を歪めることよりも健全であるとは思いますが。私の呆則によると「不安定」だからこそ発展の可能性はより高いとも言えます。なので、ある程度の上下の「不安定」は次の発展の為には必要不可欠であります。もし市場が常に元本保証のような安定という枠で固定されていたならば進化は生まれないとも言えます。「不安定の先に進化の道がある」この30年が良い見本かもしれません。そして、その仮想通貨が持っているシステムは恐らく行政や国、選挙などが電気信号体となるような仕組みにピッタリな構造を持っていると思われます。

 ということで、昨日の帰り道。前方から髪の毛をくりくりとしながら歩いているギャルが歩いてきます。私はその子がグラっと動く側溝を歩くかもしれないと半分心配、半分ドキドキしながらその一挙手一投足に注目していると「「キタ――(゚∀゚)――!!」」と側溝ルートに入ります。しかし、「あれっ?」その子はグラつく側溝の上を何もないように普通に通りすぎたのでした。何事もなくすり抜けてしまう驚き。スゴイ強運の持ち主。そして、またもやあの子は幽霊ガールではないかとの疑念が湧きます。都合の悪いものは全て幽霊化してしまうところも私の悪いところです。

 
■2022年7月16日(土)
■足踏み。
■2022年7月17日(日)
■一日一文章トレーニング。

「疑似不安定?」

 今日の天気は不安定・安定?価格が安定・不安定している?などなど「安定や不安定」な視点は二元論的な見方です。そして、具体的な「安定や不安定」なカタチを探していたならば、全く異なる“もの”と思われる「やわらかい布(第三極)」を見つけます。「やわらかい布」はいつでもまとわりつくように地面に対して安定をしており、且つ、いつでも不安定なカタチで落ち着きません。そして、昨日はグラつく側溝のフタから「疑似安定(第四極)と疑似不安定(第五極)」という新しいカタチの概念も拾いました。これらは「疑似」という言葉が付く通りに見せかけの外観です。(見た目)

 「疑似安定」とは安定しているように見えますが実際はグラグラと安定しない不安定な状態を意味します。昨日の側溝のパネルのように支点で支えられて踏んづけることで初めてグラつきを感じます。言わば知らない人にとっては不意打ちやトラップの類。それらの内情を知る者にとってはハリボテの見せかけで虚飾された飾り付けです。不安定だけれども一様に支点で支えられて安定している状態。

 「疑似不安定」とは不安定なカタチに見えますが力学的な安定を保つカタチとなります。不安定そうに見えるのは見せかけです。倒れそうで倒れないもの。鳥や人のカタチは一見「不安定」のように見えますが様々な運動をこなして行動的。なので、もしかしたら鳥や人のカタチは「不安定」というよりも「疑似不安定」のようにも見えてきます。概念的な鉛直線上を意識すれば「疑似不安定」的なカタチです。一方で年老いると体が融通効かなくなり歩くことも大変になることを考えれば「疑似不安定」というよりも「不安定」の方が正しい感じもします。しかし、それは老人になると背中も曲がり体のカタチも変化することで重心なバランスも大きく移動します。故に老化とは「疑似不安定」の「安定」が崩れた形とも言える訳で鳥や人のカタチとはやっぱり「疑似不安定」であるような気もします。勿論、単に筋力も落ちて歩きにくくなるだけかもしれません。これは老人になって体験するまでわからないことです。鳥や人のカタチとは「不安定」か「疑似不安定」のどちらのカタチなのでしょうか。

 疑問?疑問?が続きますが「疑似不安定」の先にも進化の道はあるのでしょうか?「不安定の先に進化の道がある」とすれば内戦や政府がコロコロと変わるような政情不安定な国でも次なる発展性が高いと言えるはずです。しかし、荒廃した国土を前にして「はい」とはなかなか言いにくいものであります。ですが、長期的な視点に立てばひどい内戦を経て安定した統一国家や政権が作られることも十分にあり得ることです。一方で「疑似不安定」とは不安定に見えるけれども実情はすごく「安定」しております。「安定」していることは「安定」の上に胡坐をかき進化の道は閉ざされている意味にはなりますが、外見上は疑似的にも「不安定」なので、これを嘘の一つと考えれば「不安定の先に進化の道がある」と言う考えも同居している状態とも言えます。このようなカタチは問題山積な事柄が表に現れ出る西側先進国的なカタチなのかもしれません。

 
■2022年7月17日(日)
■疑似:見分けがつかないぐらいに本物に似ている。

■2022年7月18日(月)
■一日一文章トレーニング。

「やわらかい布そしてシドの部屋」

赤ちゃんはよたよたとバランス悪く立ち上がりよちよちと歩きます。
鳥や人も重心から重力につながる線上で常にバランスをとっています。
よくよく考えてみると鳥や人のカタチとは「疑似安定」なカタチにも見えてきます。
「不安定」→「疑似不安定」(昨日)→「疑似安定」(今日)・・・と。
重心の位置はカタチの変化によって移動するように「安定や不安定」の形状も一定ではなく常に変化していると考えるのが自然です。
そのような考えに立つと生き物の形状とは水のように流動性ある存在に見えてきます。
それは「カレーは飲み物」のような感じ。
生物は「やわらかい布」のように芯を持たない側面も常に持ち合わせているようにも見えます。
→「不安定」→「疑似不安定」→「疑似安定」→「やわらかい布」(今)→「安定」→
常に変化しながら回り回ります。

ということで。

昨日は初代トイ・ストーリーのフィギュアを並べて写真を撮りました。出してはしまい。しまっては忘れた頃に「ふっ」と思い出して再びゴソゴソと引っぱり出してきて愛でます。このようなサイクルは何とも不思議な繰り返しです。フィギュアの箱サイズがとても大きくて写真のフィギュアの箱だけでも椅子空間を埋める大きさがあります。置き場所に困るので箱を潰してしまえとも思うのですが、フィギュアはなかなかのプレ値になっているので箱を潰すことはできません。でも、トイ・ストーリーは好きだから手放したくもないしスペースを享受しながら共にするしかありません。このような“もの”がいろいろあるので、私がミニマリストになるということは先ずないことであります。フィギュアの写真に撮る為にあれやこれやと並べてみたけれどもセンスが無さ過ぎて笑ってしまいます。最終的に空の額縁の上に並べて撮った写真が一番良く撮れた写真。フィギュアを飾るセンスを持たない理由は全部並べたいという単細胞なところに原因があるように思われます。そこで、持っているものを全部並べるのではなく、省く美学で「シドの研究室」という写真を撮りました。ハンナの人形を鳥の顔にしてヒモを結び改造感を高めます。配置するものを絞ってテーマを持つと良さげなディスプレイになります。(自画自賛)撮影もフラッシュを使ったこだわりの撮影。フラッシュを使うと電池も消費するし、最近のカメラの感度良く暗くてもキレイに撮れるのでフラッシュ撮影する人はあまり見かけません。フラッシュ使った写真は少しエモイ感じがします。何がそう感じさせるのか?影が強め。色が人工的。全体写真は自然光で撮影しました。自然光の発色は自然でキレイです。シドの妹のハンナは本家英語版だとJanie Doll と表現されているので名前が異なります。この人形は何の玩具か知りませんがトイ・ストーリー4のフォーキーを彷彿させるような感じもします。シドは爆竹で玩具を爆発させたりと極ワルな子のように思えますが探究心高く研究熱心で工作のセンスを持つ子供です。また、歯の矯正もしている良いお坊ちゃんでもあります。幾分趣向は違いますが4のボニーも同じ系統の玩具を作る派な子供です。シドは立派な何かの開発者になっているかもしれません。ところで、有名なトイ・ストーリーのテーマソングと【映画】ミート・ザ・ペアレンツのオープニングが同じような曲なので調べてみたら、歌っている人は同じRandy Newmanの「A Fool in Love(恋は盲目)」という曲でした。このOPのミート・ザ・ペアレンツを観ると主人公の彼氏がシドの成長した姿なのか、若しくは何癖のあるお父さん(デニーロ)がシドの成長の姿?なんて思ったりもする、音楽が似ているだけでトイ・ストーリーとの継続世界のように感じたりもします。アンディーではなくシドな方なのですが・・・。どちらの曲も映画の世界に引き込まれる好きな曲です。これら映画はたまに観たくなる映画です。

 
■2022年7月18日(月)
■積み上がるフィギュア入りの箱。
■2022年7月19日(火)
■一日一文章トレーニング。

「自転車のフレーム」

 壊れた自転車をバラバラに分解します。「大胆に また大胆に そしてかなり大胆に立ち向かえ(byジョルジュ・ダントン)」ということで自転車を破壊してフレームだけの状態にします。壊すのは簡単で得意だろうと思いましたが壊すことは案外大変。壊す為の道具をホームセンターに買いに行き、チェーンの分解方法がわからなかくて手を真っ黒にしながら格闘して外します。私のまわりには宿敵の蚊がぶんぶんと飛びまわるので蚊撲滅センサーはすぐさま反応して蚊を撃墜します。自転車のフレームがどのような形状になっているのか?そんなこと考えたこともありません。そこで、スケッチするとだいたいの構造もわかります。タイヤ込みの完成品で考えると自転車の重心は赤丸印ぐらいの位置にあります。人が乗るともう少し上に移動するでしょう。(気になる)シンプルな構造ではありますが、自転車パーツを集めて作り直せと言われるとちょっと難しいことです。自転車をプラモデルのようにパーツから組み立てたならば、どのような不具合も直せるような気もしますが、壊しながら分解する逆再生の細分化だとよくわからない部分は多々あります。

 「自転車のフレーム」を一枚の絵として眺めるとただパイプが繋がるだけの面白味のない構造物です。面白味がないということは絵に描いても映えないということになりますが、だから、インスタなどにも全く映えない単なるパイプ画像です。一般的に自転車を描くことは難しいことです。ギアの凸凹やチェーンの複雑なパーツを描くこともとてもしんどいこと。今回、自転車を分解する中で何故自転車を描けないのか理由がわかりました。それは自転車の構造を知らないからです。わからない部分は「ウにゃウにゃ」と誤魔化して描くことが私の基本姿勢。そのような曖昧なイメージはダイレクトに違和感として伝わります。自転車とはよく使用する生活に密着した道具ですが細かい部分を知らなかった理由は手が汚れることにあると思います。買ったばかりの時には確かに大切に扱いもしますが、その後は粗雑に扱われるものが自転車です。時に自転車のギア等が手が触れてしまうことなどあろうものなら手は真っ黒に汚れてしまいます。そのような油汚れは嫌なこと。なので、極力機関部分には触れないように見ないようにフタをします。要は観察不足。よって、自転車の構造は簡単ではありますが見ないように触れないようにしていることで自転車の構造も知らないことになります。そのような”もの”はガスコンロ、トイレの便器、換気扇、流し等も同じよう仲間だと思います。私たちは常に汚れものに目を塞いでおります。

 というわけで、今回、何の思い入れもない自転車フレームに奮闘しながら文章を書きました。これは一種の力業です。このパイプな話しで話題の5200文字で書くとなると下記に記載あるようなソリの夢のお話を盛らないといけません。5200文字ということはワード5ページちょいな分量?この一日一文章トレーニングでの長文は多い時で2500〜3000文字ぐらいなので、まーまーがんばって書く分量となります。知りたい内容が書かれていない長文を読まされる苦痛は怒り倍増させることにもなりかねないので、私も素敵な夢の話を書いてまとめたいと思います。今朝夢をみました。この破壊された自転車フレームの前輪、後輪にスケボーの板を付けてゲレンデをすべる夢。夏なのに雪山ステキな夢。先ずはロープウェイに乗せるか乗せないかで揉めながらも、なんとか乗せてもらい頂上から雪のゲレンデを笑顔で下るお話。そして、犬にソリを引っ張ってもらいながらも走ってもいました。本当に心温まるバカっぽいいいお話でした。ちなみに、今日の文章の文字数は1529文字。がんばった。

 
■2022年7月19日(火)
■左のペダルは省略した訳ではありません。左のペダルが折れて修理不能となりました。
■2022年7月20日(水)
■一日一文章トレーニング。

「分断と共通項」

分断、分断、分断と「分断」はよく見かける言葉。
今この時に大変な「分断が起きようとしている」と今やある種の煽り言葉として使用されることが多いです。
しかし、よくよくと考えてみたら私たちが学生の頃から世の中はいつも「分断」しておりました。
学校の外でも思想的な分断は日常風景だし、会社やグループの中でも派閥的なものもあるだろうし、TVや映画等の仮想世界でも「分断」な対立構造は常に物語に潜む要素の一つです。
若かりし学生時代に「分断」とはむしろ当たり前な存在であります。
例えば、洋楽好き、邦楽好き、特定のファッション好き、サッカー好き、野球好き、バイク好き、機械好き、アニメや漫画好き、犬好き、猫好き、本好き、頭学問系・・・とそれぞれのこだわる分野で分断されています。
好きなものが異なる人たちとの会話は基本的に成り立ちません。
特定のファッション好きは見た目の服装からそれら全ての人を拒絶し軽蔑します。
された方は「おぇー」とした気分になるので近づかないようにします。
特に当時はネットもないので雑誌を読み漁ることでしか情報を得ることができません。
なので、マニアックな情報はそれぞれの個人個人が個別に持っている状態です。
そのような情報圏外にいる人にとって話される内容はほとんど意味不明なことであります。
サッカー好きは野球選手やチームの名前はチンプンカンプン。
洋楽好きは邦楽のことはチンプンカンプン。
また、洋楽好きは邦楽好きを小馬鹿にして自分の好きな音楽を一つ上にあるワンランク上なものとして考えています。
それは邦楽好きにも言えることで、邦楽好きでもその分野はより細分化されて他の邦楽を認めることもありません。
それは洋楽でも同じでメタルっぽい速いものから清らかなメロディー系まで細かく分断されます。
このように、自分の好きなものに対してそれぞれ絶対的なものがあり他の異なる価値観と共有できないことは学生時代に頻発する出来事でした。
こだわりの強いものに関してはゆずれない一線は、これは十分に「分断」と言える現象です。
今の子供たちが好きなものが多様性してマーケティングできないようなお話がありますが、私たちの時代から好きなものは十人十色のカオス状態でした。
人口的なパイが減っている意味でも若者の流行やマーケティングはより難しくなっているとも言えますが。
若い頃の分断とは価値観を分ける大きな分け目であるはずなのに何故、他の人とコミュニケーションできたのでしょうか?それは結構、不思議なことであります。
勿論、水と油のように決して混ざりあわないグループや人は必ず存在します。
クラスの半分以上はそのような感じだったかもしれません。
それらを改善するものは多分「共通項」を探ることであったような気がします。
学校の共通項、部活の共通項、昨日のTVの話、共通の経験を深める、ゲームやバレーボールなど当時プチ流行っていることなどの共通項に参加するなど。
そのようにして、皆、結構必死に他人の「共通項」を探していたような気もします。
先鋭化する「分断」を際立てるようなセンシティブなものは一旦、ちょっと横に置いて共通項を探ることが、それが日本らしいとも言えるのかもしれませんが、米国の分断のようにガチに武器を持って分断に立ち向かうというヤンキーな人たちも確かにいた訳で、まさに、千差万別。
私の場合は感心の範囲が人よりも広めだとは思いますが、それでも受け入れられないものは多々あります。
人に勧められたらそれを受け入れたように振る舞う。
CDを進められたら聞いたふりをしてすぐに返却する。
滅私して相手のわからない単語が続くわからない話を「はぁ〜〜〜」と真面目に聞く。
いい加減で適当な振る舞いではありますが、これが「本音と建前」というヤツであります。

 
■2022年7月20日(水)

B「わいらって何となく似ていない?」
A「どこが?」
B「まず目がある 鼻や口がない 頭のカタチも似てると言えば似ている」
A「ほんとうに共通項を見つけるのが得意ですね」
B「これって履歴書に書いておくべきかな?」
A「それはアピールしておいた方がいいと思うよ」
B「よし!」

 
■2022年7月21日(木)
■一日一文章トレーニング。

「分断の力学」

昨日はフェーン現象で風が強かった。
暑いけれども乾燥していたので思う程に暑くなかったのですが兎に角、風が強かった。
ビュービューです。

昨日は人間の芯をカタチ作る若い頃から人はすでに「分断」されているということを書きました。そして、私の場合はそのように分断されている裂け目を埋めるために人と人が持つであろう「共通項」を常に探していました。若かりし頃に作り出される「分断の壁」とは「誰が何を好きで、誰誰がそのような何かの価値観を軽蔑する」というような大人とってはどうでも良いお話ではありますが、子供の頃の私にはそのようなことが頭の中心を支配していました。しかし、大人になっても「分断」とは日々作られ続けている”もの”なのかもしれません。さっそく、ニュースの中から今どのような「分断」が生み出されているのか?調べてみます。

前提として「分断」の先に必ずAとBという対立構図があることが予想されます。これは「分断」の力学。「分断」とは二元的な単純なものだけでなくAとBとCという複数で存在する場合も考えられます。文章中の「分断」という単語に注目して書き手の考える対抗軸を抽出して「分断」の争点に迫ってみたいと思います。(大げさです。) さっそく、ニュースの「分断」を検索。思いっきりの読み飛ばしではありますが・・・下記のような「分断」を見つけることができました。その内容は曖昧で広い分断から詳細で具体的な分断まで様々。思想的ではない物理的な分断、そもそも分断がなかったお話まで見つけることができます。いずれにしても、人は最初から分断された存在であるとの考えなので「分断」を見つけ出すよりも「共通項」を見つける努力の方がより健全な活動のような気もします。

【国内の政治的な分断状況】米国人と米国人の分断
【政治的な分断】米国人と米国人の分断
【社内の分断】出社組とテレワーク組の分断
【Kinki Kids銀テープを巡る争奪戦?】Kinki Kidsのファンとファンの分断(笑)
【新感覚ドラマ・ラフな生活のススメ】お笑いネタとドラマが分断しなかった
【映画エルヴィス】カラーと白黒の分断
【米国同性婚保護法可決】支持者と不支持者の分断
【ブラックミュージック】作り手とミュージシャンとリスナーの分断
【気象】陥没で道路と道路を分断
【環境活動家】自然と人間の分断
【スリランカ情勢】国民と政府の分断
【裁判の会見】自分と自分が分断
【欧州中央銀行】ユーロ加盟国とユーロ加盟国の分断を阻止
【ロシア芸術文化】抑圧と分断に分断
【IMF世界経済】ロシアとロシアを非難する経済圏の分断
・・・

 
■2022年7月21日(木)
■カッチ・・・カッチ・・・。


■2022年7月22日(金)
■一日一文章トレーニング。

「スピーチ」

猫置物を作る為にプラ板を削ります。初動が重いのですがやっと作り始めます。手作りで表裏一体のカタチをプラ板から削り出すことは不可能なことのように思えますが、何個か削っている内にプラ板を削ることが上手になってきました。こんなの上手くなってもどうしようもないことなのですが2ミリ厚でも削り出すことができるようになりました。要は地道な作業です。椅子に腰を下ろし早く切り終わろうと急がないことが大切。プラスチックをやすりながら大量のマイクロプラスチックを放出してしますが環境な人たちゴメンね。これからもまだまだ出ます。猫置物できるかな?

自転車の重心を図から計測しました。やはり、人が乗ると重心は上に移動します。重心がハンドルの柱とサドルの柱に平行して移動しているように見えることは何とも不思議なこと。重心の計算は(x,y,m)座標から計測できるので写真画像からも計測できるはずです。Aは自転車のみの重心。Bは人が乗った時の重心。

Kinki Kids の銀テープ事件は何かじわじわくるものがあります。銀テープを「銀テ」と省略していることも何故か面白い。はじめてニュースを見た時には銀テの意味が全くわからなかったので銀魂寄りのイメージが先行する意味不明な話題でした。ライブ中に歌っている人を横目にテープを求めて人が大移動する姿を思い浮かべたら頬も緩みます。一人でニヤニヤしていたらヤバイ人であるということで、キンキの銀テを画像検索するとロゴ入りのステキなテープがたくさん出てきます。最初は無地の銀テープを頭に浮かべていましたが、年度ごとにデザインが変更されていて、これならファンならば駆けだしても欲しくなるかもと思いました。

昨日、英国ジョンソン首相辞任のスピーチを観ました。不祥事などにより道半の悲しみの退陣ではあると思いますが政治家最後の言葉としては大変に面白くセンスを感じます。やはり、言葉は人を動かし、人となりの親しみを持たせるのは言葉です。後継の人に遺す最後の言葉には政治家としての思いやメッセージが詰まっています。「アメリカやウクライナへの協調、距離を問わない民主主義への絶え間ない支援、可能な限りの減税と規制緩和で最高の投資環境を、財務省は好きだが財務省のことを聞いていたら環状道路もドーバー海峡トンネルも完成しなかった、車に例えて前方に注意することは当然必要ですがルームミラーも見ることも怠らないで下さい(これは味方の兵士から背後撃ちされる指揮官の例えでしょうか経験談?)、大事なのはTwitter民ではなく有権者、党への自画自賛の功績、民主主義の観点からEUからの国家独立の回復、パンデミックやウクライナ救済への貢献、全てのミッションはコンプリートした、議会の皆さまへの感謝、ベイビー!」ベイビーって何でしょう。多分、イケメンがかわいい彼女にベイビーというような言葉でしょうか?【追記】(アーノルド・シュワルツェネッガーの映画のワンシーンのようです。観てないので何のことかわかりませんがI'll be back の別バージョンみたい言葉のようです「地獄で会おうぜベイビー」どうゆうこと?)やはり、政治家の最後の言葉にはその人なりの考えや功績、人生がまるごと入っていて面白いです。ほとんどの人はジョンソン首相やKinki Kids のライブの銀テのように華やかな場で語ることはできません。そんなことを考えると毎日、最後の言葉と思って自画自賛な自身が思っていることを素直に語ることはとても重要なことだと思われます。政治家の最後の言葉は気になります。面白いスピーチでした。


 
■2022年7月22日(金)
■スピーチしている机の上の箱とか本、金属みたいなものも気になります。
あと、デカすぎジャケット、肘つき、寝ぐせみたいなところも気になります。
■2022年7月23日(土)
■一日一文章トレーニング。

「英国病に学ぼう」

昨日は暑かった。ジメジメと湿度が高くこの夏一番汗をかきました。先ず、朝雨降って涼しいようなムシムシするような微妙な体感温度でしたが、その後、晴れるとジメッとした湿度がそのままに体にまとわりつきます。蒸し暑。今朝も暑いのでエアコンの温度を-1度下げました。

ところで。

かつての「英国病」と言われた経済の病は今や「日本病」と言ってもいいぐらいによく似ているように思います。むしろ、個人的には「日本病」という一つジャンルを確立したいとも思うので「英国病」から現代の日本に何か「共通項」があるのか?探してみました。勿論、「英国病」のことはあまり知らないのでネット検索した情報を使用します。先ずは大雑把な情報で「英国病」の状況を書き出し比較します。果たして、現代日本の状態と似ているのでしょうか?

1)【英国病】「ゆりかごから墓場まで」という社会保障制度の充実により社会保障負担が増大。【日本】今の日本も年金や健康保険など米国などよりも充実して負担増は進行しております。
2)【英国病】石炭、電気、ガス、鉄鋼、運輸、自動車、航空産業という企業を国有化。→サッチャー政権はそれら企業を新自由主義的な政策で民営化。鉄の女サッチャー在任中は不況から脱すことができなかったようです。【日本】東京電力の国有化。日銀によるETF保有残高が相当金額あって国有化とまでは言えませんがオーナーとしての株式保有という側面ではそれに限りなく近い状況のようにも思えます。このような経済状況だと資産売却にも相当期間が必要だと思われるので官製相場は相当に長く続くのかもしれません。
3)【英国病】国民の勤労意欲の低下。所得税の最高税率が83%、不労所得の最高税率15%の重い累進課税。昨日のジョンソン首相のスピーチにも減税という言葉があったように外資の受け皿としての英国が「英国病」の突破口なのかもしれません。【日本】本来は税制の意味で使われますが、長いコロナ禍で私の労働意欲の著しく低下しています。日本の税率も諸外国に比べて高めです。
4)【英国病】既得権益の蔓延。→労働組合を弱体化させ規制緩和、民営化等の改革を行います。【日本】言うまでもなく既得権は蔓延しています。小泉改革以降は労働組合も弱体化。規制緩和と言う言葉も最近聞きません。
5)【英国病】国際競争力の低下。【日本】毎年下降気味で下這い安定。
6)【英国病】1973年のオイルショックで経済悪化。【日本】2022年の資源高、エネルギーのインフレは程なく収まって欲しいです。
7)【英国病】スタグフレーションに突入。【日本】そのようなことにならないことを祈ります。
8)【英国病】インフレにより輸入増加。→北海油田を開発する。【日本】資源・エネルギー高で輸入コストは増大中。資源国として日本領海の資源開発を進めるチャンスだとも思います。あと、原発稼働も必要。これまた地震は来ないように祈ります。
9)【英国病】失業率の増加。【日本】起きていない。
10)【英国病】原材料と賃金の増加。【日本】起きていない。スパイラルは起きていないけど先日書いた事柄
11)【英国病】ストライキ。【日本】起きてない。
12)【英国病】生産性の低下。【日本】長年指摘されています。
13)【英国病】ポンド下落。ボンドと言えば高いイメージです。【日本】円安は現在進行中。
14)【英国病】経済成長率の低下。【日本】コロナで下降横ばい。
15)【英国病】財政赤字の増大。【日本】言うまでもなく拡大中。
16)【英国病】国債残高が増える。【日本】アベノミクスでものすごく増加。
17)【英国病】英国の敗北。ポンド下落防衛の為替介入で外貨準備高が不足してINF国際通貨基金の支援をうける。【日本】為替防衛はやらないと思います。

というような感じで大雑把に書き出しました。日銀の経済政策は中央銀行が政府の財政赤字を穴埋めして、インフレによる財政圧縮を行った当時のイングランド銀行の政策(根本的な問題解決をせずにインフレで財政問題解決)と似ています。そして、イングランド銀行はその政策に失敗しましたが、その過程で「英国病」と呼ばれる一つの要因を作り出しております。多分、長期金利が上昇すると財政危機が表面化するとの考えなので1ミリも揺るがない頑固爺な演出はそれはそれで意味があります。そもそも異次元緩和の片棒を担いでいるので今さら引けないというのが正直なところかもしれません。次期総裁は進むも地獄、変革するのも地獄で「また地獄で会おうベイビー」みたいで何か可哀そうな感じもします。

そこで、TRPGみたく「あなたの未来に影響する」一般的な選択肢を下記のように書き出してみました。

1つ目の選択:増税(政府)、歳出削減(政府)。→ 6に進む。
2つ目の選択:インフレ金融緩和(日銀)で金利上昇を抑えて財政状況を圧縮(政府)する。→ 24に進む。
3つ目の選択:消費増税と金融緩和政策の両方の実施。1つ目の増税は嫌だなと思っていたら両方をやっているのが今の状況はココ。これは皆の言うアクセル踏みながらブレーキも踏む状態。運転していてもアクセル踏んだりブレーキ踏んだりとせわしいものです。そのような感じなのかもしれません。→ 62に進む。
4つ目の選択:「ゴッド・ブレス・ニッポン」神風吹いて逃げ切り。最良の選択のような気もしますが運任せならAiやサイコロでも十分です。→ 88に進む。
5つ目の選択:金融引き締め、インフレーションの抑制、長期金利上昇を受け入れ国債残高の重みも同時に受け入れ。上記のような英国の失敗に学ぶとすれば、結局敗北してこちらに引きずり込まれる可能性もあるかもしれません。英国のように海外から資金が集まってくるような政策のセットが必須。→ 106に進む。
6つ目の選択:「行くとこまで行こうぜ」最後まで頑固一徹、変化を拒み突き進む。帝国陸海軍みたいな感じですが、失敗した言えども、英国も国がなくなった訳でもないので壊してから新しく作り直すのも選択肢の一つです。→ 202に進む。
7つ目の選択:・・・アイデア募集中。

どの選択が正しいと思ってもポジションの違いや経済宗教、日銀カルト信者みたいな経済学者までいて気持ち悪く怖いので、ちょうど6項目できたので、わいならサイコロを転がしてゆだねます。サイコロのマス目はいろんな種類があるのでいくつでも選択肢は増やせます。コロコロ。この文章を書くのにすごく疲れた。

 
■2022年7月23日(土)
■サイコロコロコロ。
■2022年7月24日(日)
■一日一文章トレーニング。

「真夏の幽霊」

いやはや、暑い日が続きます。
この夏の悪名高き高気圧は世界中で高温・熱波の悪さをしています。
昨日は暦上で一番暑い日を意味する「大暑」。
「大暑」にはウナギを食す風習がありますがウナギは食べておりません。
うなぎとは滅多に食べないものであります。
コンクリートに降りそそぐ夏の太陽光は乱反射しながら隅々まで照らします。
日当たりの良い交差点の信号待ちには、ほんの小さな影でも見つけて直射日光を避けたいものです。
街歩きをする人々は少し離れた建物の大きな影の中で信号待ち。
いつもなら人で埋まる信号待ちの部分には燦燦と照らされる直射日光が当たりすっぽりと開けた空間が広がります。
そして、青になるとそのような日陰部分から人はぞろぞろと抜け出して動き出します。
影の中からモゾモゾと動き出す人の大移動、その光景は面白い。
日陰(ひかげ)と日向(ひなか)の境界。
生命あるものが隠れる影の世界と生命あるものが照らされて攻撃される日の当たる世界の境界線。
キレイな分かれた境界線は人生の線みたい。
そのような、影を求める行動は電柱の小さな影も見逃しません。
どんな小さな影であろうと炎天下の眩しさを少しでも和らげるような影は結構な人気場所。
ジリジリと真夏の太陽が半袖の肌を焼くことは仕方がないとしても顔面を隠す小さな木陰はオーブンな交差点の中のちょっとしたオアシスです。
なので、そのような人気の影は早い者勝ちですぐに人で埋まります。
それらはちょっとした日陰をゲットした束の間の優越感。
いづれにしても私たち人類は強い日差しによって日々こんがりと焼かれています。
おいしい出来具合をじーっと待たれる海産物の気分。
そのような日陰に集まる人々の行動を遠くから眺めると、それは何か電柱の傍に立つ幽霊のようにも見えてきます。
電柱と幽霊、それらはつきものです。
もし幽霊なんてものが存在するとそれらは何故、電柱の傍にぼんやりと立っているのでしょうか?
もしかしたら亡霊とは電柱の陰に隠れて直射日光や人の目線などの何かから怯えて隠れているのかもしれません。
そのようにして、炎天下の交差点ではたくさんのゴーストを見つけることができます。
あそこの電柱の影にも人らしき影。
あそこの電柱の影にも人のような影が。
これはホラーです。
電柱の人影を感じてみれば、猛暑の暑さもすこす吹っ飛ぶ涼を得ることができます。

 

■2022年7月24日(日)
■街角の亡霊。


■2022年7月25日(月)
■一日一文章トレーニング。

「FTSE100」

英国と日本、同じ島国で立憲君主国。古いヨーロッパ、英国病などと揶揄されて似ている部分も多いような気もします。そこには何かの共通項と儲けネタはないかと思い昨日、暇だったのでイギリスの2022年度版の「FTSE100」企業情報をパソコンにかじり付いてネットから抽出しました。FTSE100とはロンドン取引所の時価総額が高い代表する企業トップ上位100社です。100の企業を見ることはそれなりにしんどいこと。何より、WEBサイトを見ようと思ったら常に「クッキー」を受け付けるか?聞いてきてきます。いちいち、それらを選択するのも面倒だし、そのようなつまらない表示でネットがサクサクと表示しないのはとても鬱陶しい。何でこんなつまらない事を聞いてくるのか?全く意味がわからないけれども、いちいち操作するのも面倒なのでオフィシャルwebサイトのほとんどを無視しました。「クッキー」機能がなければネットショッピングのカゴも機能しません。もし気になるのであれば自分でそれらを削除すれば良い問題だと思います。「クッキー」規制は欧州の利用者を守る体ではあるようですが、ネットを見させないようにする策略なのでなないかと勘繰ります。なので、WEBアドレスも収集しましたが企業の詳細は外部サイトの評判情報を元に勝手に業種を分類しました。数社は何の会社なのか全くわかりません。人はわかりやすいもの。カタチのあるものには価格や価値の評価を簡単に持つことができますが、良くわからないものにはそれらの基準を掴むことはなかなかできないものです。なので、企業サイトは分かりやすさだけでなくナゾの部分も必要です。建築や不動産系はサイトを見るだけ、それが何の業務をしているのかはすぐにわかります。ページを見るだけでもイギリスの不動産や家は何か高そうな予感です。個人的な感想ですが、勿論、ランキング1位のアストラゼネカのような時流に乗った企業もありますが、ハッキリと言うと日本の企業の時価総額が高い順を並べた方が想像性や技術的にも企業の価値は数倍以上のお値打ちなような気がします。それはほとんど知らない会社ばかりなのかもしれませんが、日本の株式市場の方が英国の株式市場よりも魅力的な会社は多いように思えます。FTSE100のほとんどは金融や資源系の企業で時価総額ランキングの半分を成しています。金融系は銀行、保険、投資銀行、不動産、ブックメーカーや証券取引所も全て金融系にまとめました。そして、そのほとんどロンドン。胡散臭い会社もFTSE100に乗ってしまうところが英国金融の魅力で強味です。監督する方にもそれなりのノウハウと技術があるのでしょう。資源系は石油・ガス・金属・水・インフラ。今の資源高で潤う企業です。資源開発にはお金が必要なので資源とは正に上場向き案件です。上場している企業も外国の国策企業的なものもあってプレイヤーは多種多様。日本には資源系がすっぽりと抜け落ちているので、この資源高を機に投資を集めて海洋開発などを進めるチャンスだと思うのですが・・・どうなのでしょうか。消費財など商品を扱う会社は多ブランドを所有しておりヨーロッパ全土で販売しているような会社が記載されます。小売は1000店舗ぐらい持つ企業が数企業載るだけなので、やっぱり、金融や資源にはそのような管理コストが高いものと比較してもより効率が良い業種だと思われます。面白いところでは証券取引所や賭け事の胴元がFTSE100に記載されています。有名な大学が多いので学生寮を提供する会社や、アストラゼネカのように技術的な企業がケンブリッジを拠点にしているのも面白いです。ドメスティック企業は当然、少なくて「.com」ではなく「.co.uk」アドレスを使う企業が後半にチラホラと出てきますが、そのような企業には親近感を覚えます。あと、ヴァージングループやダイソンなど私が知っているような会社はFTSE100には記載されていませんでした。ということで、英国と日本、時価総額トップ100から見ると全く異なる産業構成でした。海外と比較して分析することは国内の魅力、強み、弱い部分や新しい何かしらの「種」が見えてくるのかもしれません。

PLC(Public Limited Company 公開有限会社)英国の会社形態。

 
■2022年7月25日(月)
■持続可能です。

■2022年7月26日(火)
■一日一文章トレーニング。

「アップルペンシル」

今朝はどんより雲に涼しい雨の天気。
窓を開けてさっそく植物界のお嬢を外に出します。
最近の植物界のお嬢は真夏の暑さにぐったりとしていたので生活の拠点を涼しい室内に移して過ごしています。
そして、今日みたいな雨の日には外に出して雨に打たせます。
先日の戻り梅雨のような天気で葉っぱは緑濃くなり元気になったので、恐らく、植物界のお嬢は生ぬるい雨がとても好きです。
太陽の強い光線が苦手で、それでいて適度な太陽光も必要な植物界のお嬢は本当に信じられない位に手がかかる植物です。
植物は気にかけて世話をしたらその分だけ元気にすくすくと成長するのだとは思いますが、他の植物はベランダでほったらかしでも元気にやっているのに比べて格段の過保護。
昨日も日差しがとても強く暑かったのですが、空にぽっかりと浮かぶ大きな雲が日差しを遮ると急に空気がスーッとヒンヤリとなります。
やはり、太陽の光線とはデリケートな生き物にとっては危険で強力なエネルギーを持っているものだと感じさせます。

ところで。

昨日、アップルペンシルを落として先端が折れてクラッシュしました。
ショックで呆然と固まりますが「ふっ」と我に返り、急いで割れたペン先を拾って元の先端にはめ込みます。
0. 01秒で元に戻すと直っているかもとの淡い期待はすぐに打ち砕かれます。
何度先端にはめようとも先端パーツは固定されることなくポロっと外れます。
アップルペンシルは壊れてしまいました。
さっそく、ググってアップルペンシルの先端構造を調べると、ネジのように差し込んで取り換えることができるようです。
何とか本体部分にねじ込まれたネジ部分を取り外すことができれば、新しいペン先に取り替えることはできそうです。
そう言えば、iPadを購入した時に箱の中に予備のペン先が入っていました。
家に帰ったらiPadの箱を探しましょう。
先端部分に入ったままの折れたパーツはどのように外しましょうか。
アップルペンシルの先端を外したことがなかったので細長い金属の棒が丸見え状態は何とも不気味です。
本体部分で折れたパーツは私の太い指ではどうすることもできません。
そこで、折れた部分を正確に折れる前の状態にあわせて、圧をかけながら左回りに回すと中に取り残された先端パーツも一緒に動いて徐々に上昇して取り外すことができました。
何かこういう作業をしている時は猿研究所の実験体Aになった気分です。
行動データーを詳細に記録しましょう。
次に、自宅に帰ると家族にアップルペンシルが壊れたことを一通り話してから箱を探します。
箱は思ったところにあってすぐに見つけることができました。
アップルの箱は立派でコンパクトな箱なので断捨離モードでも捨てることはできません。
さっそく、アップルペンシルの箱を開封すると予備のペン先が入っています。
それをペンに取り付けてiPadに恐る恐るひょろひょろと線を描いてみるとペンは壊れていなく無事に筆記することができました。
良かった、良かった。
ところで、アップルペンシルを落とした理由ですが、アップルペンシルを専用のペン立てに挿して机の上に置いていたのですが、移動する私の上腕二の腕にエルボされてすっ飛んでいきました。
床が柔らかい吸収性のある床なら割れることはありませんが、床が固めの床だったのでパリッと分解。
もともと、長く使っていたので付け根部分で経年劣化していたのかもしれません。
ペン立てに挿す時には机の安全地帯に置くように心がけたいと思います。
関係ないけど以前話題になっていたリンゴ+ペンの「アッポーペーン」とは何のことか良くわかりませんでしたが「アップルペンシル」のことを意味していたのかも?と今頃気づきました。(>_<)

 
■2022年7月26日(火)
■ニノちゃんエルボを回避できるアップルペンシル。
■2022年7月27日(水)
■一日一文章トレーニング。

「プラ板から立体」

猛者は一枚のプラ板からガンプラを作るという。
私はプラスチックの板から単純な造形物を組み上げるだけでも何だか大変。
絵は平面の紙の線の積み重ねにより「もにゅもにょ」と生まれ出ます。
プラ板の立体物は平たいプラスチックの板から「カッチカッチ」と組み上がります。
それらは何か別系統の創作物です
そのようなことを考えながらネコ頭を組みます。
寸法にあわせて切り出したパーツを接着面の角度に合わせて平らく加工していると、すぐに最初の図面通りの寸法では組み上がらないことに気づきます。
「なぜなの?」と考えていると平たく薄いプラ板にも3次元の厚みが存在しておりました。
寸法がAとA‘というパーツを接着する時にプラ板の厚みも考慮しながら接する隣のB・B’やC・C’のパーツの厚み分を引き算しながら寸法をとる必要があります。
それは一つの確定した数字が接する面にドミノ倒しのように波及していくことを意味します。
プラ板から“もの”を作るということは平面な板を削り出しているようで、実際は縦・横・奥行の三面の立体物を削り出していることになります。
奥行というのは数ミリのプラ板の厚みです。
当然と言えば、当然のことですが、これは質量ない01のデジタル脳の図面には厚みが欠落していました。
厚みを考慮せずに組み上げると全くカタチを成しません。
その上に接地面の角度も考えてヤスる必要もあります。
素材がプラスチックなので接着する時には若干溶かしながら接着できます。
とは言え、接地面の角度はそこそこであわせないと上手く接着はできません。
文章として書いてもややこしいことなのですが、試行錯誤しながら組んでみることではじめて何かしらの正解の解というか「作り方」が見えてきます。
やはり、頭の中だけで考えるのではなく手を動かし、体を動かし、実体のあるものとして取り組むことは大切なことだと思いました。
これはRPGゲームでいうところの経験値みたいなもので、机上の計算の上にもう一つ論理的な考え方があったというお話です。

マスキングテープで仮止めしてカタチを決めます。
流しこみタイプの接着剤を流し込むと造形物は徐々に固定していきます。
そのようにしてできたのが写真のネコ頭。
大体のカタチは成しているのですがキレイな造形を作りたいのでヒケ部分を瞬間カラーパテで埋めて、次に地道にヤスリで削って合わせ目を完全に消したいと思います。
ネコ置物を作る。
そのことに何の意味があるのかって話ではありますが。
何の意味もないのかもしれませんし、何かを得るかもしれません。
なんとか、最後まで完成したいものです。

 
■2022年7月27日(水)
■頭の中のみで考えたこと(AA)は、体や手を動かして考えることにより(AAA)という三次元的な新しい視点を得ることができます。その意味でも手足を動かして考えたものの方が頭のみで考えたものよりも、よりマッシュアップした考え方のように感じます。
 

■2022年7月28日(木)
■一日一文章トレーニング。

「私は0.5です」

本棚には「Mac OS 8.5」の箱が収納されています。
昨日、その箱を手に取って隅々を観察しました。
箱には丸いシールが貼られています。
「インクルード(含まれるもの) Quick Time 3 PRO World Wide Webによるオンラインユーザー登録が必要です」。
「WWW」のことを「World Wide Web」と表現していることは何か新鮮です。
ピポパ〜ピポパ〜と電話回線でネットに繋ぎ、使用時間を気にしながらネット接続していた時代のことを懐かしく思い出されます。
もしかしたら「Mac OS 8.5」なのでもう少し通信環境は改善されているのかもしれません。
MACのマークもかわいいです。
このマークが画面に出てきてシステムをジリジリとゆっくり読み込んでいる時には「がんばれー」という多少の応援と「ときめき」はありました。
動作環境はPowerPCプロセッサー搭載のMac OSで動作するアップル社製コンピュータ、24MBメモリ搭載、32MB以上推奨とあります。
何か「平和(ピンフ)〜」ですね。
1回の操作で検索エンジンにアクセスできるとあります。
そう言えばネット接続は設定画面を開いていちいち接続していたような気もします。(思い出せない〜)
WEBやPCの中を検索できる「Sherlock」という機能推し。
直観的な「スマートスクロール」の採用。
AppleScriptも最大5倍高速化したようです。
「QuickTime」「Microsoft Internet Explorer」「NETSCAPE」「JAVA」のロゴもあります。
この頃のMacはPowerMacというApple、IBM、モトローラ社製のCPUを使っていたのでWindowsとの垣根も低かった感じです。
「NETSCAPE」はいつの間にか全く見なくなりました。
今やネットのHTMLに自作「JAVA」を組んでいるとGoogle先生から危険サイトの称号を得ることができます。
箱を開けるとMac OS 8.5 のCD-ROMやインストールマニュアル、その他資料に加えて「Apple Macintosh CD 漢字Talk7.5システムソフトウェア」も入っていました。
もともとは「漢字Talk7.5」で動いていたマシンで何かの理由でバージョンを上げる必要が出てきたのだと思います。
それはAdobeのフォトショやイラレの最新版が使用できなくなるから仕方がなくOSをアップグレードしたような気もします。
今では手に入らないものだろう「Mac OS 8.5」というところが微妙で珍しいかな?と思いヤフオクで検索してみると販売している人はいます。
Mac OS 8よりも値段は高いのでやっぱり少し微妙なバージョンのようです。
0.5のアップグレードでパッケージ化してしまう商魂も何か新しいけれども、その0.5を購入してしまう私も私。
漢字Talkも7.5でMac OS も8.5で「0.5(半分)」に何かしらの運命も感じます。
半分とは8や9などの真っ当な数字に向かっている途中の中途半端な「不安定なカタチ」です。
言うなれば、「私は完全版ではない0.5ですよ〜」と自ら意思表示している感じもします。
自分の言葉で話さない話は話半分で良いし、半分に割ったおすそ分けな食べ物にはやさしさと幸せで満ちているし、前にも書いたけど、建築でも何でも完璧に仕上げないことは永遠の未完成でもあり日本的な美学の一つです。
「完成していない故に終わりもない」アップルにそのような美学があるのか?よくわかりませんが先人の教訓を組むとすれば、世の中は大体、半分ぐらいで丁度良いとも言えます。

 
■2022年7月28日(木)
■雲の影。
■2022年7月29日(金)
■一日一文章トレーニング。

「拾いもの」

最近、拾ったもの。
何かの実を2つと鳥の羽根を1本。
焼き鳥の手羽先メニューみたいなオツな感じですが拾い”もの”のお話です。
毎度のことながら拾った羽根は中性洗剤でキレイに洗浄してドライヤーでブローしてお洒落に乾かします。
道端の“もの”を拾うのは大人な私と集団で走り回る保育園児ぐらいです。
もはや、この辺の小学生は賢そうな子ばかりなので道端の“もの”を拾いません。
歩く人たちの目線は痛いのですが、それでも何くわない顔で拾います。
最初は何か物を拾うフリをして一緒に目的の”もの”を拾うなんてものも考えますが、そのような三文芝居はやるだけ無駄です。
鳥の羽根を見つけてロックオン!何か落とすものをゴソゴソと探してそれをワザと上に落下させてキャッチアップ!
なんだか面倒くさい。
それなら、一心不乱に軽蔑な視線を受けながらも拾います。
人は自分自身が考えるよりも他人の行動をそれ程気にしていないと言われます。
しかし、道端の拾うことは別世界。
何を拾う?お金を拾っているのか?そもそも道端に落ちているものは汚いものであると、とても気になる注目度の高い行動のように思われます。
全身、アルマーニのスーツを着込んだ紳士やエルメスバックを持ったお姉さんが道端のものを拾っていたら何かすごく面白いです。
有名人や女子アナが道の”もの”を拾っているのを文春砲されていたら笑ってしまう。
キアヌ・リーヴスみたいな好感度爆上げかもしれない。
電車やバスの待ちの人が揃って道端の何か拾っていても面白い。
オーナー社長とかは少しおかしな人達なので道端で拾っていても「やっぱり」な感じがして、それはそれでの面白い。
街中で道端で拾いものをすることは何かやっぱり可笑しなことです。
大体に於いて、忙しい人たちは時間に追われているので道端の羽根や植物の実が気になることはありません。
もしかしたら、本日の道端に落ちているものが気になるのは散歩中のワンワンと私ぐらいかもしれません。
そして、躊躇して拾わないのことは後々まで引きずる後悔。
道端の拾い”もの”とは一期一会で明日や数時間後には蹴られ、風で吹き飛ばされなくなっているかもしれません。
茶道な人達には怒られそうな話しですが、羞恥心を乗り越えるにはほんの少しの「勇気」が必要です。
鳥の羽根を拾うか?拾わないか?で一羽(話)できます。
そのまんま、芥川龍之介の「羅生門」をベースにして心の移り変わりを表現したい。
今度、「鳥の羽根」を拾う葛藤を書いてみましょう。
雨降り後の鳥は羽根を落としやすいという経験則があるので雨上がりの翌日や翌々日は夏羽をゲットできるチャンスです。
センサーを働かせながら道を歩き、そして、先日拾ったものがこの鳩の羽根。
見たままの色合いから、どこからどのように見てもハトの羽根です。
もっとも拾いたくない種類の羽根ではありますが夏羽の透過具合を調べたいので拾います。
結論から言いますと、ハトの夏羽根は透過していません。
残念。
夏羽根が透過するという仮説は間違いで羽根の透過は鳥の種類や部位によることなのかもしれません。
もしかしたら、渡り鳥は夏羽根と冬羽根で大きく見た目が大きく変化するので、毎日、どこの街のどこにでもいる鳩という留鳥では羽根に変化は起こさない可能性もあります。
では、透過する羽根と透過しない羽根にはどのような違いがあるのでしょうか?比較すると目視では全く同じ羽根に見えます。
鳥の羽根という構造に於いてはどれも同じですが一方は透過してもう一方は透過しない。
何とも不思議な羽根。
顕微鏡や電子顕微鏡で拡大して詳細を観察して見てみたい。
なんだか、毎日が夏休みの自由研究みたいですが引き続き羽根を拾っていきましょう。
ところで、拾った実は面白いカタチをしています。
ムシとか出てこないように一旦凍らせた方が良いかもしれません。

 
■2022年7月29日(金)
■実の落下。
■2022年7月30日(土)
■一日一文章トレーニング。

「YES・NO・サイコロ」

物事に対して常に意思決定を下すことはなかなかに大変なことです。なので、人は簡単に人の意見にのっかり、時流にも流され、極力選択肢を減らすようにルーチン化を進めます。このような行動は考え方によっては未来への選択を放棄しているとも考えられます。朝起きて通学通勤ルートをどのような道順で選ぶことは些細な選択かもしれません。ですが選ぶ道によっては事故にあうかもしれないし、ものすごくラッキーな一日のキッカケとなる可能性もあります。人は少量の熱量の未来を予測することはできません。そして、その一つ一つの選択結果に明確な正解を見出すこともできませんが、その小さな決断の積み重ねが遠い将来や直近の未来にも大きく影響を及ぼしていることも事実です。映画ならば主人公はコインをトスして波乱の人生が幕を開けることになります。これはおよその物語のお決まりです。ハプニングの選択を引かなければ物語は面白く成熟しません。私たちの人生に於いてもこのような選択は常に起こり続けている現象だとも考えられます。コイントスで未来を委ねるのはYES NO の2択。所謂、01な思考。進むか後退するかの2択です。YES NO の意思表示は個人の自由権利の意思決定でありますが、反対にコイントスやサイコロを振ることは時に運を天に任せる公平・平等な意思決定の手段です。占い師や人生の先輩に聞くよりも公平・平等な選択です。自由と平等には明確な線引きがあるものと考えるのが自由主義者の考えです。自由主義にとっての平等とはあくまでも副産物であり個人の自由権が最も大切なことです。とは言え、常に先述のように常に個人の自由権を発揮していくことはとてもしんどくて大変な道です。なので、サイコロに身をゆだねるのも一つの方法です。コインは2択ですがサイコロは6つの選択肢を提供してくれます。6つの選択肢を考えるということはそれなり未来を予測した選択肢であるとも考えられます。偶数・奇数のYES NOで会社取引する開始するか?しないか?を決めるのもそれなりの決断方法です。不確実性な未来に対して人の意見、知識、見識がどれほどの効果を発揮するのかと考えるとサイコロに運命を託すこともそれなりの選択肢の一つのような気がします。例えば、一憶の国民にAという法案のYESかNOかを問うた場合にYES NO の選択肢の他にサイコロも同時に配って選択の幅を広げたとします。何となくYESと考えているけれど決断できない人がサイコロを振って出た目がNOで「ちょっと待てよ」やっぱりYESと選択したならば、それはサイコロという公平・平等な意思決定な未来に自己の自由権を発揮して決断した結果となります。そのままサイコロの通りに選択するのも未来への決断です。私たちは「常に決められない生物」ではありますが故に、このような選択肢も決して間違いではないと思います。サイコロは未来へ決断するという一つの媒介として働く役目を働したとも考えられます。サイコロで人生や国の政策を決めることは何たる不謹慎であると怒られる方の考え方も勿論その通りではあります。ですが、ロト6の数字を予測するのにサイコロを何回も振って割り出された目と夢や思いつきの数字を書くことは確率的にも何回もサイコロを何回も振って確率を上げた方がより良い選択をしたとも考えられます。1億人の国民が1億回振ったサイコロの目の数字はそれなりに良い目である可能性はとても高いとも考えられます。民主主義国家とは何かのアクションや事件、事故、戦争等に対しての事後に政策を変更していくものであります。大切な家族の人生を狂わすカルト宗教団体との癒着について平然と「何が悪いのか?意味がわからない」と公言するヤバイ政治家を見ているとその辺りの独裁国家と同類のように見えてき、それならば、組み合わせや内容によりますがサイコロで決める方がまだましで、私なら大勢多数のサイコロの目の方を信じます。

 
■2022年7月30日(土)
■鳥の羽根と葉っぱは雰囲気が似ています。
■2022年7月31日(日)
■一日一文章トレーニング。

「小料理屋の門」

(※何をやっているの?と思いますが羅生門的な、先日考えた思いつきを物語にしてみました。架空の人物、空想の物語、上図は文章の構造、何かいろんなことをしながら書くのに3時間かかりました!!)

 宮本三三九郎の話。誰の話?という話です。それは小生のことである。剣術宮本武蔵の名字に掛け算ぽい名前を持つごく普通の一般人。趣味はゲームとグルメ、武道は全然ダメでカフェの人間観察も好き。カフェ好きと言えば人間観察が好き。人間観察が好きと言えばカフェに座っている人達ももしかして皆人間観察が好きかも。カフェで人間観察するようになってから、もしかしたら自分自身もカフェ内の誰かによって観察対象になっているのかもしれないと考えるようになり最近はカフェからも遠ざかる毎日。所謂、考えすぎの小心者、そして、時に大胆でもありごく普通なサラリーマン。自転車も好きで、最近はもっと体も鍛えないといけないとランニングすることも考えている。走る気持ちになったらいつでも走れるようにラン用の服は購入して用意している。準備が良い実家暮らし29歳独身宮本三三九郎。もし、自分のプロフィールに趣味の欄があれば読む気も失せる程にプロフィール欄がギッシリと埋まってしまうかもしれない。簡潔に書けない趣味とは無趣味と同義かもしれない。趣味の欄が「無趣味」と大きな三文字で書かれていると、それはそれで何か、かかわりたくない人物三要素の一つを持ち得るような気もします。それならば、いっそギッシリと書き込む趣味の欄。そもそも、趣味の欄って何のことだろう?怪しげなサイトに登録するプロフィールみたいなものかもしれない。誰も宮本三三九郎に興味はなく、勿論、家族でさえ決して読まないだろうそのプロフィールがネット上に流出したとしてもネット上の一瞬キラリと光るだけの流れ星のような無価値なもののはず。それでも、流星の瞬きには願いを叶える瞬間はあるかもしれない。小生は最近、鳥の羽根に興味がある。冬場に偶然拾った鳥の羽根と今の夏場に拾った羽根の雰囲気は微妙に異なっているのに気づいてそれがとても気になっている。その違いは夏場に拾った羽根が透過して透けて見えるのに比べて冬の羽根は全く透過しないこと。これは夏の羽根だけが持つ特性なのか?鳥の固体の持つ特性なのか?透過する羽根と透過しない羽根の違いのナゾが気になる。そこで、この夏シーズンに数枚の鳥の夏羽根を拾って比較したいと考えている。趣味の欄に「鳥の羽根を拾うこと」のプロフィールも少しやばめな趣味なのかもしれない。鳥の羽根とは人間で言うところの爪と同じもの。「鳥の羽根の収集」は見る人から見れば「爪を収集」していることと同じように見えるかもしれない。

 羽根をゲットするということは飛んでいる鳥を捕まえて羽をむしりとるような野蛮なアベンジャーズな能力が必要です。そのような能力者ではないのでひたすら地面を眺めて歩きます。道端で羽根を拾うことは偶然の出来事。偶然ではありますが案外落ちているのも羽根です。顔をまっすぐ正面を見て歩くことは真っ当な人の行動ですが、羽根探し人は地面に何か落ちていないのか下向きながら歩きます。それは散歩中の犬が「くんくん」と匂いを嗅ぎながら歩いていることに似ています。そして、もし、道端に羽根が落ちていてもそれを拾うことは、小生の道徳観をひどく傷つける葛藤する行動でもあります。小生が羽根をゲットすべく狙い目の道はなかなかの人通りある道路。坂を下る人は地下鉄の駅に向かう並木道を下り、坂を上る人たちも勤務場所や地下鉄の駅に向かって歩きます。いうなれば、いつでも人が歩いている道で羽根なり何なりを拾うとすると必ず誰かの目に触れる道でもあります。毎日通る道で羽根収集の趣味を実行できる場所はここだけとなります。先日、朝坂道を普段通りに下っていたら歩道にキレイな茶色の羽根を見つけました。何たたる僥倖、幸せラッキーということで、その羽根を拾う為に向かっていたら前方からキレイなお姉さんが坂を上ってきます。小生は一瞬考えました。このお姉さまの前で道端の羽根を拾ったら何と思われるであろうか?拾う?やはり紳士なメンツも保ちたい、拾わない?いやいやキレイな茶色い羽根を拾うチャンスでもあります。拾わない選択肢なんてあり得ない。などと考えていると落ちている羽根を通り過ぎて、きれいなお姉さまともすれ違い坂道を下っていました。見知らぬ女に見栄を張り結局、羽根もゲットできずに帰り道に再トライしますが、当然、羽根はなく、小生は決断を誤りました。羽根との出会いは一期一会。今、拾わないと明日にはないかもしれません。以前、墓場で羽根を見つけ時には数日後にも残ることもあります。それは墓場の特性で歩道の羽根は風に飛ばされ、掃除で回収され、もしくは子供の玩具になるかもしれません。いつどこで落ちているのかわからない羽根「見つけたら迷わず拾え」By宮本三三九郎の格言です。

 そして、先日の夕刻のこと。「カアカア」とカラスが騒がしい帰宅の坂道をてくてくと上っていると。突然の夕立、小生は休日の古料理屋の小さな門の中でひと時の雨宿り。突然の大雨、折り畳み傘は持っていません。気長に雨が止むことを待っているとゆらめく雨のマイナスイオンの向こうに白いキレイな羽根が落ちているのを見つけます。雨の日の後や気候の変わり目に羽根が落ちていることが多いです。今日はそのような天気なのかもしれません。普段は通らない横道の白い羽根は雨宿りしなければ見つけられない特別の羽根。突然の雨に感謝、大粒の雨がキレイに洗浄してくれて感謝、雨で歩いている人もいなくて感謝。ということで、羽根は小降りなってから取りに行くことにします。すると、前方から傘をさしていないかわいいガールが坂道を走って下ってきて小生の雨宿りゾーンに入ります。このスペースはとても小さな空間です。大人3人が入れば埋まってしまうような小さなスペース。ガールはカバンや服の雨水を「ぱんぱん」と払い、小生はこのような大雨の中にはもしかしたら人と人との出会いが潜んでいるものかもしれないと考えます。「いや〜すごい雨ですね〜」などと話しかけて話がついつい盛り上がり・・・いやいや、「キモっ」と轟沈するだけかもしれない。故に、一切の無言。羽根を拾うことの道義的な葛藤、ガールにほんの少し話しかける勇気な葛藤。頭の中の考えと行動との間には常に大きなディスタンスが存在しています。狭いひさしの中で小生があらぬ妄想をドキドキと膨らましている間に雨は突然ポツポツな雨となります。一瞬の通り雨。ガールはそれに合わせて急に道に飛び出して白い羽根を拾います。突然のことで小生微動だにできず。小生があり得もしない出会い話を妄想している間にもガールは白いキレイな羽根を見つけてそれを拾い、坂道を下ります。外にはまだ、墨々とした霧雨が広がり、小生もまた小雨の降る中を走り出す。多分、運動不足に雨の登り坂をランニングすることはなまった体に丁度良い運動です。

 
■2022年7月31日(日)
■今日はとても暑かった。ひと雨欲しい。