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■2026年3月3日(火)
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「コーヒーをこぼさず淹れる」

今日のような低気圧な雨の頭痛もコーヒーを飲めば痛みも消えて晴れやか。
コーヒーとはお薬のようでもあり朝の儀式でもあって毎度不思議。
人類は恐らく何千何百年とコーヒーや茶を無駄なくこぼさずに淹れる方法を格闘してきたもので、私も雨の日も風の日も毎日コーヒーを抽出しながらテーブルの上に1滴も落とさないように格闘している。
雨が地面を濡らすようにコーヒーの注ぎ跡も必ず残る。
そのような戦歴とは台拭きやティッシュペーパー拭き取るもので、私は「なぜ?コーヒーはこぼれるのか?」と悩む。
本当のところは全く悩んでいないのですが拭き取る作業がただただ面倒。
それは技の問題なのか?仕組みの問題?それとも物理呆則なのか?とNASAも揺るがす大問題だ。
無重力空間の宇宙船でお茶やコーヒーをポタポタ・ガッチャンとこぼす乗組員がいれば船内も水浸しで大迷惑。
茶も飛散して機械もショートすれば漆黒の闇の宇宙空間を彷徨い遭難することとなる。
お茶やコーヒーをこぼさず淹れ飲むお作法とは千利休から続くユニバースな空間を制する人類の叡智でもあるようで、人は人生に彷徨わないようにお茶を頂く。
これは「そうどすね」とお茶の先生に熱く語らなければならない重要事項であるメモメモ。
私はもう十分な大人であると言うのに、あちこちに湯やコーヒーをこぼして困った困った。
このままではスペースノイドにもなれないもので困った困った。
そもそも二番煎じの貧乏性を発しなければコーヒーの滴もたぶんポタポタぐらいで済む。
2倍の量のコーヒーを淹れたいと思うからこそコーヒーはこぼれ、このようなセコイ心がこぼれる量も増やす。
これは二番煎じなお茶を飲みたいと思うセコイ人間の代償である。

毎日コーヒーを淹れてその所作の悪さを観察しているとドリップする不織布は滲み出ながら図のようなAとA’の2点から抽出される。
そのコーヒーが出る導線とは約45℃ぐらいの角度で横に飛び出して流れ出るもので、水圧をかけて美味しく抽出しようと思えば勢い良くコップからはみ出る。
なので、このA、A’点を制御することが出来ればこぼれ水を制することが出来る。
コーヒーがこぼれる理由とは不器用な私の茶のお作法がすこす悪いこともありますが、そのほとんどはドリップの仕組みだ。
これを真下に抽出しようと思うと不織布のデザインを変える必要があるもので、一介の消費者がどうのこうの言う話でもない。
なので、市販の不織布はそのまま活用しながらこぼれない方法を考える。
昨日はひっかけ部分を引っ張りながらA、A’の注ぎ口が上から見て長方形の線上に来るよう淹れる。
勿論、力も余りドリッパーも動き安定しなかったので勢い良くこぼれる。
しかし、この方法で引っ張り注ぎ口の長方形の線上にA、A’点を維持固定できたなば完璧なコーヒー淹れとなるかもだ。
これはドリップの底上げ台を加工すれば出来るかもだ。
かもだ。

個人的に面白いと思う部分は平面的にコーヒーのドリップを真上から覗くと注ぎ口が長方形で、湯を注ぐと底面が4✕7センチ程の6角形に変形すること。
不織布のA、A’点は平面に見ると横に約2センチ伸びる。
不織布を折り張り合わせただけのモノが湯を入れると複雑な形状となることが面白い。
それもこれも不織布に接着された引っ掛ける台紙の型がそのような形状を作り出しているもので、これはコーヒーのドリップメーカーのこだわりのデザインである。
本当に世の中に作られる製品にデザインされていないモノは無いものだ。
写真のゴミは飲み終わったドリップの粉を落として形状検証の為に飾っている。
ウィルスやカニのロボットみたいで格好良い。
特にサビた茶色い感じが良い。

ということで、

まだ何にも解決していなくコーヒーを上手に入れる大問題も「さぞ考えています」風に書くことが真の座道でもある。
そう言えば、今日はひな祭りでもあり”お雛様”と”お内裏様”が鎮座している。
しかし、この座る雛人形とは江戸時代からの風習でもあるようで、それ以前は立った姿の”立ち雛”が一般的でもあったようだ。
カタチとはいろいろと変遷するものだ。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2026年3月3日(火)
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■2026年3月4日(水)
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「ドリッパーにタイヤを付けてモビリティにしたよ☆」

今朝は新しいUCCの箱を開封して新しいコーヒーをドリップする。
新しいコーヒーの注ぎ口は10角形で最近まで注いでいたコーヒーは長方形でもあったのでドリッパーの形状とはメーカーごとに微妙に異なる。
何となくドリッパーの使いやすさ・使いにくさ等は感じていたものの値段ばかりを気にするもので、このようなメーカーごとの違いを観察出来てすこす嬉しい。
注ぎ口が広いと注ぎやすさもあるもので一投目のコーヒーの粉を湿らせる儀式で湯はこぼれない。
10角形の注ぎ口はドリップのひっかけ部分に斜めの折り線を入れることで広い口を再現しているようで、流石にコーヒー専門メーカーの研究成果のようでもある。
不織布とはカタチを持たない布でもありドリップさせる引っ掛けの型紙が折り紙のようにカタチを変化させる。
面白い。

私のコーヒー道は一投目からすでに的外れな場外ホームランでテーブルにこぼし、フィルターを通さずに湯を直接カップインしてブラックコーヒーを薄めてしまうこともある。
なので、的が大きいことは良い。
実は私は物凄く手が器用でもあり結構何でも作れて細かい作業も得意。
しかし、液体を注ぐという基本動作が苦手なようで器用貧乏とは正にこのようなことかもしれない。
さっそく器用貧乏を辞書で調べると、器用な為にいろんなことに役立つが一つのことをやり通さないので貧するようだ。
正にこの文章に体現されている。w

一般的にコーヒーをドリップしたならばポタポタと落ちないように気をつけて運びポイッとゴミ箱に捨てる。
なので、生活者とはドリッパーの形状云々に関心を抱かない。
しかし、我が家とはコーヒーの粉は植物の土に混ぜて再利用し植物たちにもコーヒーブレイクを提供している。
何という素敵な保護者なのかと思うものの、植物にコーヒーの残り粉や茶葉が良い事柄なのかよくわからない。
今のところ少々のコーヒーの粉や茶葉のカスを与えても枯れや弱りもないようで大丈夫なようだ。
発酵した茶葉であればほぼ腐った葉っぱのようでもあり土も増えて何かしらの栄養もあるかもで一石二鳥かなとも思っている。
※何の確証もありません。
よって、使用済みのドリッパーは数日間キッチン上に引っ掛けられて乾燥し春の土作り要員として溜めている。
お洒落な家人であればキッチンに使い古しのドリッパーが吊るされるだけで「キー」と発狂してしまうようなゴミである。
生活感丸出しとはこのような乾いたドリッパーとは主力級でもあり「これはなかなかいいドリッパーだ」と思えば乾いたドリッパーをカッコいいとお部屋に飾っている。
乾いたドリッパーが倒れば当然コーヒーの残り粉がこぼれ、そのような面倒事を処理しながら昨晩お風呂上がりにやっぱりこのドリッパーにはタイヤを付けたく思う。
厚紙に丸を描きハサミでジョキジョキ切ってタイヤを4個切り出して貼り付けるとモビリティに魔改造できた。
悲報!またゴミを作った。
このような工作物なゴミは捨てるのも勿体なく、最終的にサルガッソーな箱に仕舞われる。
そして、今はいろんなコーヒーメーカーのドリッパーの形が気になるもので、いろんなコーヒードリップを集めたい。
今まで何も気にせずにポイポイと捨てていたことが悔やまれますが、形状を比較するだけでの何だかヤバい収集癖発動させそうな予感でもある。
やばいやばい。
大してコーヒーやお茶の味の違いがわからないのにドリッパーの見た目の形状が気になる年頃でもある。

ドリッパーの尖った部分は折り曲げれば袋状となる。
我がよぼよぼな老後となれば、このようなロボットを連れ立ち重い食材や買い物袋はこの中に放り込んで運びたい。
買い物カゴがそのままモビリティように動くもので、ネギや大根もそのまま余裕で収納できる。
移動しない時にはドリッパーの如くペタンと小さく収納も出来て、バッテリーはそのように薄ペラくした時に邪魔にならない布部分に配置する。
モーターはタイヤに直接設置してステッピングモーター制御の4倍のフルパワーの力持ちである。
格好良い。
袋の部分に椅子を設置すれば街中に全くないベンチにも早変わりで、行きも帰りもこのベンチのような椅子に座りながら移動するのも面白そうだ。