*デスクトップ画面用の画像です。
■2026年7月1日(水)
■一日一文章トレーニング。

「梅酢に漬けた赤紫蘇の茎で“ちりめんじゃこ”のふりかけを作る」

6月25日から湿度70%超えのじめじめとした梅雨っぽい気候となる。
ですが、窓を開放すれば若干ヒンヤリと気持ち良い空気も流れて、今年はまだクーラーのスイッチをONしていない。
私にとって過ごしやすい梅雨とはどうやらカビやダニたちにとってもパラダイスであると聞いて、恐れおののき最近は入念にお掃除もしている。

70%台の湿度と言えば気温+2℃の不快指数で今朝の室温は25.9℃・湿度75%の体感約28℃。
例年の湿度込みの体感室温28℃では「もう暑いー」とクーラーのスイッチに手が伸びていた記録もあるもので、去年と今年何が違うのかと考えてもよくわかない暑さだ。
今は27.6℃・湿度69%上昇の体感温度も約29℃となる。
ですが、エアコンのスイッチを付けるような気温でもないもので、さてさて、我慢の限界点とはいつ頃になるであるかの「クーラー開き」の日取りも気になる。

そして、今日から7月1日。
季節も進むと変化もあるもので、私の鼻もくんくんと何だか七夕の香りを感じている。
七夕の香りとは言葉にするのは難しいですがモワッと湿る空気の7月の香りで、これは梅雨明けの「サマー」な時期に感じるムワっとした夏の香りともまた異なる。
モワッとムワっの違いもまたそれも難しいのですが全然異なる。
この匂いは先程の梅雨時期に繁殖する何かのカビの匂いかもしれないし、昨晩の赤紫蘇のふりかけの梅酢の香りかもしれない。
または、七夕の香りとは今月の7月9日頃に収穫予定の梅干しの甕から漏れる梅の香りの可能性もある。
去年一昨年の暑い梅雨時期に作られた梅干しはクーラーの効いた涼しい部屋で熟成されるもので、今年の梅は本来自然の梅雨空の元で熟成される梅干しだ。

梅は間違えた赤紫蘇玉作り工程で乾燥する作業もすっ飛ばす。
なので、茎もろともアク抜きしたもので、本来捨てているはずの茎も灰汁も抜き完了で何だか食べられそうだと梅酢に漬けて保管していた。
梅酢に漬かった赤紫蘇の茎をそのまま食すと梅干し風味のすっぱくて塩辛い美味しさはありますが、歯ごたえが若干固めで大根の葉っぱのように火を通して食べようと思う。
・先ずは赤紫蘇の茎をよく炒める。
・茎がしんなりとしてきたならば、次にちりめんじゃこ、山椒を入れて水分がなくなるまでコゲないように混ぜながら炒める。
こうして、出来たのが梅酢に漬けた赤紫蘇の茎と“ちりめんじゃこ”のふりかけ。
ご飯と食べると梅干しは入っていませんがふんわりとお口の中に上品に梅干しの香りが広がり、シャキシャキとした食感もまた美味しくお箸も進む梅雨の合間の一品がでけた。

 
■2026年7月1日(水)
■まぜてたたいてほにゃららら~♪
■2026年7月2日(木)
■一日一文章トレーニング。

「AとBという異質な事柄の境界線上に花は咲く」

今日はモワッともムワッともしない涼しくて気持ち良い梅雨の雨。
今朝の室温は25.8℃・湿度74%で昨日の室温25.9℃・湿度75%と比べてもほぼ同じですが、過ごしやすさの違いは段違い。
雨に濡れることは嫌で傘を持ち歩くこともまた面倒だ。
ですが、雨には雨の気持ち良い涼しさやウェット感もある。
昨日と今日で何が違うのか?と雨の降る日と雨が降らない日の違いについて思う。
この梅雨前線の雨は静かにぽたぽたと降り続き、私には雨で洗われた新鮮な空気を与えてくれる。
そして、この境界線上の雨が消滅したり、住む場所を通り過ぎれば本格的な暑いサマーを迎える。
このような梅雨前線とは夏の空気とそれ以外の空気を分ける大気の境界線だ。
異なるものがぶつかればそこに風が起こり雨を降らす自然界の仕組みでAとBとは全く異質なものだ。
そして、そのような境界線は単に異なるものを分けるだけで無く、ぶつかり合った境界線上に摩擦を作り出して全てを掻き混ぜた後に豊かさも与えてくれる。
例えば、川と川、川と海、海と海、潮と潮の潮堺に温かい水と冷たい水の温度の差や塩分濃度の違いで境界線は生まれて、その場所は栄養分の豊富な良い漁場となる。
目に見えない海の下で異なる水と水がぶつかれば渦や水流が起こり底に溜まった栄養分を巻き上げる嵐となって植物性プランクトンを大繁殖させるようだ。
そして、そのようなプランクトンを食べる為に小魚も増えれば、小魚を捕食する大型の魚も増えて、漁師や釣り人はそのような大型魚を狙い釣り糸や網を垂らし、鳥たちも上空から魚を求めて賑やかな場所となる。
「雨降って地固まる」とは正にこのようなことで、都市などの発展もこのようなカタチかなとも思う。
何かの境界線上とは自然界にとっては大変豊かな生命活動が行われる場所だ。
確かに以前暗渠された蛇道を下った先の隅田川に接続する場所には越冬する水鳥たちのコロニーはあった。
水鳥のいる・いないとは漁場の目印で、そして、自然界の生物とはそのような見えない境目を見る能力に長けており、最近の私たちとは数字やお金などのデータを通してそれらを捉える。
私たちとは日々の日常事を核なる中心で見ているもので、そして、上記のような境界線上の賑わいある豊かさを知ると境界線を広げるフロンティア精神もまた間違いではない。
荒城の月のように日本的な無常観は中心的なものは瓦解して時代と共に流れて朽ちていくものだ。
AとBという異質な事柄は境界線上に花も咲かすが、AもBも無くなれば境界線も無くなり花も咲かない感じも何だか面白い。
境界線とは中心から辺境にまで届く影響力なのである。

ということで、

あちこちで摩擦を起こしていたあの人もまた異質なものとぶつかり合う存在であった。
あの人とは文芸評論家のサント・ブーヴで、前述のようにユーゴ(ユゴー)とは静かなる対立ではユーゴに見下されていたものの、真っ向正面から対立したバルザックという人物もいた。
オノレ・ド・バルザック(1799-1850)はアグレッシブに100冊以上の作品を執筆するフランスを代表する作家で、お金や社交界にも貪欲で、初めて新聞紙小説を書いた人物で、彼はまた作家の著作権保護の活動をするフランス文芸家協会を立ち上げた人物の一人でもある。
名前にオノレとつくぐらいにブーヴと泥仕合の悪口の言い合いで対立していたようで、ブーヴが評論家の有能さをアピールする為に書いた「愛欲」という作品をバルザックは超酷評する。
そして、バルザックは同じ設定で小説とはこのように書くべきだと「谷間の百合」というリメイク作を書き上げて、こちらはバルザックの代表作となりブーヴを激怒させる。
著作権保護の活動をしているけれどもブーヴのリメイクも作って何だか面白いな。
バルザック51歳が腹膜炎で死んだ時にはブーヴはコケ下ろす毒を撒き散らしていたようで、異質な人と人がぶつかり合う嵐もまた怖いものだ。

全ての境界線が相反するものと混じり合い、かき混ぜる事柄とは破壊力がある。
しかし、今でもこのようなエピソードが残り名作も生まれたと考えれば当時の不毛な争いとは今となっては「雨降って地固まる」と言うべきかなのか、ぶつかり合い摩擦した後の豊穣な下地のようにも見える。
長い目線で見れば、境界線上の無駄事とは何一つ無いのかもしれない。

 
■2026年7月2日(木)
■ランラン。
■2026年7月3日(金)
■一日一文章トレーニング。

「肉や魚の表面をパリパリに香ばしく焼くことをメイラード反応と言うらしい」

私も随分と無駄に長く間生きてきたものですが聞いたこともあるようで知らないメイラード反応な言葉を聞くと、いつも頭の中がピロリ~んとなっている。
しかし、そのような言葉は知らなくとも肉や魚はキッチンペーパーで包み水分を吸い取ってから焼くもので、この行為は臭みや雑味を取るものですが余分な水分も取れば自然と表面の焼き温度も上昇してメイラード反応となる。w
私の中ではいつ何時も肉の表面にパリパリな焼き目を付けたいもので、メイラード反応な言葉は知らなくともパリパリな表面を目指している。
豚肉の表面も焼き目がつくようにパリパリに焼きたい。
お揚げさんの表面もパリパリが好き。
パンや魚の炭化したお焦げはポイッと切り落として捨てますが、表面がパリパリに美しく茶色な焼き目になるメイラード反応なはとても好きだ。
シェフもつわものどもも夢の後で皆でパリパリだの、ササッとサーと擬音で“めんこく”作りたい。

「大根をとんとんと切ります、
塩はひとつまみぶわ~っとかけて、みりんと酒をちょぴちょぴちょぴーとかけて、お醤油はドボンとならないようにたらたらと注ぎます、
後は小さな火でぐつぐつと煮てプシューと煙が立てば火を止めて寝かせます」
何の大根料理かわかりませんが大変乙だ。
数字を廃して全て体感の擬音料理とは老舗の祇園の料理みたくカオスで未知な領域である。w

そう言えば、

先日作ったブールブランソースは余ったソースを冷凍保存していた。
メイラードにパリパリに焼いた魚に、凍ったブールブランソースを溶かしてかけたならば完全にバターとすっぱいソースが分離してもうた。
あんなに苦労して作ったすっぱいソースが冷凍保存して使えないなんて・・・フランス料理とは物凄く手間暇のかかる料理である。
バターは15℃~20℃で乳脂肪分が結晶化し、一度溶けたバターは元の状態に戻らない。
そして、人間の子の脂肪分も15歳~20歳で何かの結晶化が行われて一度溶けたら元に戻らないものなのでしょうか?w
因みに、バターの乳脂肪分の融点(個体から液体になる)は28℃~36℃のようであり、サマーな夏がやって来たならば私のバターな乳脂肪分は全部絞り出したい。

乳化状態が壊れたブールブランソースのお味はバターとすっぱいお味で分離している。
ところどころはバターの油ですっぱいようなお味で乳化とは相反する2つの素材を見栄えよく調和させる奥義である。
これらはカチャカチャと熱心によく掻き混ぜて乳化するもので、ある意味境界線もなくなり一つの味となる。
しかし、それらは時間と熱量によって簡単に分離するもので、バブル的なものはどこの国にもありますが隣の国の一つの何ちゃらもまた乳化状態のようだ。
全てを掻き混ぜて泡立てて乳化するもので、そのような乳化状態とは境界的な意識も欠落している。
そして、冷やして混ぜ続けなければ簡単に壊れる。
凍らせてブールブランソースも低温でゆっくり溶かしながらかき混ぜれば、もしかしたら乳化状態となったかもしれませんが一度溶けたバターは決して元の状態に戻らない。
これは自然の摂理だ。
ブールブランソースとは作ってすぐに食べないと分離してしまうとても手間のかかる料理なのである。

すっぱいお味とは蛋白な魚の塩味とこってりバターと組み合わさってとても美味しい。
ソースを舐めたらすっぱい酸味ですが、塩味の効いた魚と一緒に食べると全く酸味も感じなくとても不思議。
ブールブランソースは作るのはとても大変ですが、私たちは日常的にレモン汁とサバの缶詰を焼いて食べるもので、そのお味は結構近い。
全てはこってりバターと酸味をあわせて食べる為に混ぜて乳化させるものであり、フランス料理のソースは本当に奥が深い。
このすっぱいお味は梅干しや梅酢、赤紫蘇なのでも活用できる予感で、今度白身魚の切り身やホタテ、蛋白な鳥肉などでも梅のすっぱソースで絡ませて食べたい。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2026年7月3日(金)
■メイラード活火山。