■2026年6月1日(月)
■一日一文章トレーニング。

「ごがつまつ暑さかきけしセンスかぐ布団ほすてふあまのかぐ山」

5月末の土曜・日曜はとても暑かった、もちろん、今日も暑い。
日曜日はあまりにも暑すぎてクーラーを入れるか入れないかと暑さに耐える。
我が家にはエアコンのON・OFFの記録があるものでそれを確認すると、ここ最近の猛暑の夏でも5月からクーラーを使用する記録はない。
「5月は春だよね」と、ここはグッと我慢して暑き晩春を耐える。
暦によると春は立春(陰暦の2月4日ごろ)から立夏(陰暦の5月6日ごろ)までとなる。
現代に置き換えると春は3月4月5月の3か月間の定義となるようだ。
なので、5月の末に夏を感じることもさほどおかしなことでもなく、今日から本当に暑い夏の始まりである。

いつ頃からエアコンはONになるかと言うと、例年は6月も中旬ぐらいからクーラー生活となり過去の記録は下記の通りだ。

R050617 クーラーON
R060611 クーラーON
R070520 クーラーのスイッチに手が伸びたが我慢して耐える。
(室温24.3-25.2℃・湿度63%―60%)
R070616 クーラーON(室温26.4℃・湿度66%)
R080531 クーラーのスイッチに手が伸びたが我慢して耐える。
(室温26.4―27.4℃・湿度47%―53%)

室温25℃~27℃ぐらいで十分に暑いようで、大体6月も中旬頃に暑さに耐えられなくなり10月の前半までの約4ヶ月間をズーッと空調生活を過ごす。

土曜日は再び珍しく室内湿度37―38%を計測してカラカラ乾燥となる。
去年も一昨年も全く室内のカラカラのない日々が続いたのに、今年の5月は3日間の乾燥を観測する。
冬の日本海から吹き抜けるような乾燥したカラカラ風でも無く、南向きの乾燥した空気であった。
空気が乾燥すると微粒子も良く飛ぶようで黒いパソコンの表面にも小さな微粒子が蓄積する。
目視で見える繊維や小さな粒がうっすらと積もれば、そりゃ鼻もムズムズである。
土曜日は冬用布団をパンパンと天日干していたので、そのような塵もたくさん積もったのかもしれないし、PM2.5の予報をチェックすると微粒子は少し舞っているようだ。
私のクンクンメーターは先日のPM2.5のような体が拒否反応する鼻の粘膜が痛くなるよう痛みは無いものの少しはチクチクムズムズとし、今日は少しヒリヒリとムズムズなPM2.5だ。
本当に大陸はええ加減にして欲しい。

ということで、

私は土曜日に冬用布団を天日干しする。
光が眩しいのでいつものようにサングラスをしながらベランダにほしほしとする天香久山。
春が終わる前に冬を完全に終わらせることが出来て良かったー良かったであり、5月も末になると不気味な赤いコンクリート虫もいなくなる。
なので、冬布団を仕舞うタイミングは梅雨入り前の5末日が良い日和かもしれない。
冬用の布団をエッコラセと取り込むと次は保温効果ゼロの軽くてペラペラの夏用布団も干す。
白い夏布団を干す上には枕や布団の友たちのぬいぐるみたちの小物も一緒に干して、この強い紫外線と暑さで殺菌だー。
そして、夏用布団をひっくり返す度に枕や布団の友たちを一端取り込んでからひっくり返す作業を面倒に思う。
なので、布団だけを干して後から枕類は別干しとする。
私は部屋にゴロリと転がり布団の天日干しの合間の時間を過ごそうと「ふっ」と窓を見ると布団が無い。
私は慌てて布団を回収しに家を飛び出すものでマンションの横に落ちた布団を無事に回収する。
パンパンと汚れをはたきながら家に戻ると、今度は隣に干していた布団が落下しているもので再び家を飛び出して落ちた2個目の夏布団も回収する。
パンパン!
はたいて汚れは落ちたと思うのですが、ここ最近を考えてもこの狭い路地に汚いものは落ちていた記憶もないので万事OK。
どうやら、軽くペラペラの夏布団は枕や布団の友たちが重りとなり落ちないように押さえていたようで再び重りをのせて天日干しする。
冬の布団を干すと度に思う風景がある。
それは天香久山(しろたえの=衣)のような枕詞を思い出すもので、そのような風景とは白い布が並びとても日本的な景色のようにも思う。

 
■2026年6月1日(月)
■ぶーーーーーんーー。
■2026年6月2日(火)
■一日一文章トレーニング。

「1日1ぶ~んと飛んでくる~」

私の中での話ですが冬用布団を干す様子は持統天皇の「春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山」な景色とダブる。
百人一首のトップ3人である天智天皇、持統天皇、柿本人麿の和歌は読むだけでも風景が目の前に広がるもので言葉とは正にイメージである。
平安時代の風景と今が重なるとは変な話でもありますが、そそり立つマンションに天日干しされる洗濯物や布団を見れば「あれは香具山っぽいなー」と思う。
そして、いつの間にか春も過ぎて夏がやって来るくだりも共感を呼ぶもので、私たちは毎年毎年冬から夏への衣替えな準備な時期を探している。
天の香久山な和歌を読めば昔の人もあれよあれよという間に夏がやって来て洗濯物が揺れる景色に季節の変化を感じているようで、私たちの生活とは機械から電気、デジタルと進化は止まりませんが根っこの部分はあまり変わらない。

白妙の→衣というのが枕詞(まくらことば)で、枕詞とは何かと調べると言葉を美しく修辞する言葉である。
私も日記を書く中で枕詞とは意識することはありませんが、しっかりとパスを繋げ拾い関連性が繋がった時には満足度も高い。
そして、平安な時代からもうすでに言葉を繋げる遊びに喜びを見出していたこともまた面白い。

枕詞にはどのような形態があるかと調べると下記のようになる。

1)AとBの異なる言葉の「意味」で繋ぎ
2)AとBの異なる意味の「発音」の掛詞で連想を膨らませ
3)「同音の反復」で文章を飾り
4)「接続関係不明」の決まり事もある

言葉の語呂合わせあ・うんな呼吸から接続関係不明の決まり事までイメージで繋がる事柄とはとても日本的である。

ということで、

台風が接近中だ。
6月の台風とは珍しくはないようですが日本列島にやって来るのは稀のようだ。
本来は台風が梅雨前線に雨を供給して大雨となるようで、天気図を見れば梅雨前線は九州・四国のらへんにある。
このまま一気に梅雨入りとなるのでしょうか?といずれにしても前線と台風が合わされば大雨になる予感で、私は冬布団干しをベストなタイミングで行えたことに満足している。

昨晩は寝間着も衣替えで上だけ長袖から半袖となる。
寝る前に窓全開でごろりと転がりネットでも見ていれば冷たい風が吹き抜けて寒くなり、私は窓を閉めて寝る。
そして、スヤスヤと微睡みながら快眠していると「ぶ~~~ん」と耳元に奴がやって来る。
私は「耳が痒い・痒い」と蚊の羽音で目も覚めるもので、最近我が家に1匹の蚊が徘徊している。
蚊撲滅運動家の私は蚊を撃退するのが履歴書に書けるような得意技ですが、この蚊は暗い闇の中でしか活動していなく明るい時には見かけない。
蚊も殺すスプレーでも吹けばコロリとイチコロですが現在我が家では根付きの三つ葉を育てているのでスプレーも吹けない。
このスプレーは植物を枯らしてしまうような注意書きもある。
血も吸わないし、ただ時折耳元に「ぶ~~~ん」と飛んで来るだけのカーのサウンドで無害な蚊でもありますが、耳元で「ぶ~~~ん」と来れば何だか痒くなるもので家族もあちこちで「ぶ~~~ん」音を聞いている。
絶対に闇になった時に1回だけ「ぶ~~~ん」と耳元に飛んで来るもので、昨晩も蚊が「ぶ~~~ん」とやって来て私も「もーーー」と真夜中に目覚める。
締め切った窓で部屋の中はとても暑い。
体も暑くて窓を開けてから再び寝る。
そして、朝目覚めると蚊の存在は全くないもので、あれは夢か現実かと幼少時代から蚊を殺しすぎた蚊の亡霊の逆襲かもしれない。
いずれにせよ、血を吸わない蚊はそろそろ死ぬ予感でもあり、ですが、大事に育てている水耕栽培の三つ葉の水を吸って生きているかもしれない蚊である。
これは長丁場となりそうな蚊とのバトルだ。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2026年6月2日(火)
■ゆーらゆら。
■2026年6月3日(水)
■一日一文章トレーニング。

「育てている三つ葉を台風の雨に打たせた」

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いやはや台風接近の凄い大雨、ザーザーと粒の細かい粒の雨がシャワーの如く降りて街も空気もキレイに洗われた。
今回の台風は風というよりも雨で、ベランダの植物たちも風雨に晒されてゆらゆらとご機嫌だ。
もちろん、植物の声なんて聞こえないので植物の気持ちは皆目わかりませんが、葉っぱなどを見た雰囲気から判断すると植物たちは大変喜んでいる。
何せ、植物たちの葉っぱはピーンと天に向かって伸びて普段よりも枝葉は生命に満ちている。
雨には植物を元気にする何かがあるかもでベランダの植物たちは久しぶりの雨に大喜びのようだ。
※私の勝手な想像です。
台風とは私たち人間にとっては水害や災害をもたらす自然の脅威でいつ何時も危機を煽るものですが、一方で植物たちにとっては危険ではあるものと同時に葉っぱの隅々までピーンと生命を宿す恵みの雨でもあるようだ。
毎日、ジョウロでたっぷり水や栄養分をあげたとしても、通常の小雨が降っても、このようなイキイキとした植物の姿は見ないもので、やはり自然の力とは大きく偉大だ。
滝行する修行僧のように大雨に打たれる植物たちを見ていると自然の何かのエネルギーのようなものを受け取っているように思うもので、私も室内で水耕栽培している三つ葉を外に出して自然の雨風に打たせたく思う。
さっそく、私は三つ葉を持ち上げて外に出す。
風が吹き三つ葉の葉っぱが大きく揺れて、細かい霧雨のシャワーのような強い雨が三つ葉の葉っぱを打ち叩く。
そして、暫く外に放置してから室内に取り込む。
元気になっただろうか?
もともとこの三つ葉は「このー木ー何の木―気になる気になるキー」ぐらいにモリモリとした三つ葉の大木となっている。
これは正月より前の11月下旬か12月初旬ぐらいに購入したもので、根付きのまま販売されており葉っぱを全部食べた後に根っこを水に浸して育ている。
もう一年も6月の約半年ぐらいは一緒に過ごすもので愛着のある植物で、時折、折れた三つ葉などをペチッとちぎり食べて「苦~い」となる三つ葉でもある。
当初は葉っぱをちぎりてお雑煮に入れようと企んでいたのですが成長も遅く、半年ぐらい経った今頃、やっと購入した時ぐらいの約40センチ超えの立派な三つ葉に育つ。
ベランダ植物たちが台風の雨に打たれて元気にピンピンとしているかと思えば、三つ葉も外に出して雨に打たせてやろうと思う親心である。
そう言えば、昨日彷徨う蚊は撃墜して蚊の話は終了となる。
そして、この約6ヶ月間の三つ葉栽培の思い出を思い返せば羽虫の大量発生する恐怖もあった。
初春の頃、三つ葉の根っこからブンブンと小さな羽虫が湧いて出てくるもので、米ぬかの土からの羽虫大発生程ではありませんがそれなりに怖かった。
これまたスプレー吹いて三つ葉が枯れると嫌なので、私は洗面所にたっぷりの水を溜めてジャバジャバと三つ葉を水没させて羽虫を溺れさせる。
飛んで逃げる羽虫は手でビシバシと撃墜して洗い流す。
こうして、葉水というか三つ葉を洗面所洗ってあげると葉っぱがピーンと元気になるもので羽虫や羽虫の予備軍も全部洗い流して問題も解決する。
スーパーで買ってきたニラやほうれん草などの野菜を洗面器に水を溜めて浸けて洗うと結構良いものだ。
葉っぱもピーンと泥土、農薬も落ちる一石二鳥で、たぶん、洗面器は食べ物を洗うには汚いかもしれませんが田舎の野菜洗い場よりはキレイかもで野菜の洗面所洗いは結構推奨できる予感だ。
とりあえず、約半年間育てた三つ葉は家族の一員のようにメチャメチャ愛着も湧いているもので、本当に食べる日がやって来るのかと心配である。
本末転倒。

 
■2026年6月3日(水)
■台風~~ふぅ~の雨。
■2026年6月4日(木)
■一日一文章トレーニング。

「一石二鳥な棒」

洗面所に水を溜めて野菜を浸け置き洗いすれば泥や土を落とし、農薬も洗い流して、野菜もピーンと元気になり正に一石二鳥な予感。
一石二鳥とは何か調べると石を投げて鳥を捕獲するという何だか野蛮な感じで、石を投げたら標的の鳥に当たり、その石の軌道上の他の鳥にも当たって2羽の鳥を仕留めるという一挙両得の追加の利益を得る偶然性だ。
犬や猫、子供が鳥に向かって突進することはありますが街に住む私たちが鳥を捕獲することは無い。
なのに、鳥は人を見れば警戒して逃げるもので、これは少し不思議である。
外敵のいない孤島では人を見ても逃げない鳥が簡単に人間に捕まって絶滅したという話も聞くもので、街の鳥が人に襲われなければもっと距離感も縮まるように思う鳥と人間との関係性である。
しかし、鳥は警戒を怠らず人を見ればバサバサと飛び立つもので、部屋の窓の外の珍しい鳥にカメラのレンズを向けただけでも鳥は逃げる。
人類と鳥との長い関係性の中で、人は危険であるという遺伝的のような記憶は一時的に干渉しない関係性では消えないようだ。
鳩やカラス、越冬する鴨など逃げない鳥もいますが、あの鳥たちでもある程度の距離間は保っている。
公園などコッコロと歩くドバトとはもともとは遠距離通信する為の伝書鳩としての家禽由来で、人との関わりも長く人を怖がらない理由も納得だ。
カラスは鳥類の頂点に君臨しており人の活動を観察して恐れていないのかもしれない。
北方から飛来する水鳥たちは水辺という安全圏で暮らしているので、そもそも人や外敵と接することも少なく警戒心も薄い。
以前、読んだ何かの本では江戸時代は動物の肉を食べることは不浄とされて食べることは無かったようですが、鳥やイノシシは動物の肉として分類されていなく食べていたようだ。
そのように考えると石を投げて鳥を捕獲するというのは強ち本当のことのように思うもので、鳥が人を見れば逃げる行動とは脈々と続く人への警戒心の現れなのかもしれない。

一石二鳥の反対で「二兎を追う者は一兎を得ず」という2つの利益を得ることの戒めの言葉もある。
これは最初から2つの標的を狙うとどっちも失敗するという意味で、こちらは偶然的な利益ではなく必然的な利益を狙った失敗だ。
しかし、今や1兎や2兎ではなくマルチタスク的に複数の標的に向かい実行することも普通なことで、そのような意味に於いてはこの言葉も少し時代遅れなのでしようか。
いやいや、単細胞な私は未だに一兎しか追えないもので何かしらのコンピュターや外部的なものを使うことで複数対処できるもので、そのような意味に於いては未だに「二兎を追う者は一兎を得ず」な感じだ。
実際にネットの中の有用な情報にたくさん触れたとしても、大抵は何も頭に残らなくて全ては無駄に見て過ごす時間だと思えば否定できない。
よって、私の中ではまだまだ「二兎を追う者は一兎を得ず」の世界に生きている。

ということで、

私は身の回りの一石二鳥なモノな何かないかと調べるとドラムのバチを見つける。
正式にはドラムスティックというのかもしれませんがドラムも叩かないのに我が家にあるドラムの棒だ。
勿論、ドラムや太鼓は持っていなく棒だけ。
棒にはYAMAHAと書かれており、ドラムを叩かない私がそれを何に使っているかと言うと背中を掻いたり、先端の尖った部分で足のツボを押したり、肩を叩いたり、スティックで足の裏をバチバチと叩きマッサージしたりとリフレッシュな事柄に使用している。
先日、お布団を干した時には布団や枕を小気味良く叩き埃をはたくもので、他に何に使うかと思えば両手に棒を持って天に向って「うーううー」と背伸びして右左に動かすストレッチ棒としても使う。
先生ならば「ここは重要ですよ、トントン」と黒板の指示棒や机をパンパンと叩いて意識を集めるのにも良い。
手が届かないような場所も届きますが流石に太くてお箸としては使えない。
太鼓を叩く棒として手にフィットする棒でもあり、これはとても良い硬い木材を使用しているようにも思う。
正にドラムの棒とはガマくんとカエルくんの愛用棒みたいで偶然に活躍している一石二鳥の棒である。
たぶん

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2026年6月4日(木)
■つまようじペン友の会。
■2026年6月5日(金)
■一日一文章トレーニング。

「今朝は聖護院大根の種を解剖してミイラについて考えた」

いやいや、ミイラについて考えるなんてエジプト学者ぐらいにしか有り得ないことだ。

手を出して「メス!」と医療ドラマのように私はカッターナイフを恐る恐ると切れ目を入れて聖護院大根のサヤを解剖する。
すると、手の圧力でバリバリと割れてカッターいらずのか弱きサヤだ。
そして、メルヘンなトンガリ帽子のサヤの中には本当に種が入っていて何とか話の種も繋がる。
サヤを解体するまでは本当に種があるのかもわからないもので、本当に奇妙なトンガリ帽子のサヤの中にはコロッとした種が1つ入っている。

聖護院大根はお正月に京都で購入したもので茎と胚の部分を残してカットして水耕栽培していたもの。
茎からはかわいい花が咲き、後に、雌しべが膨らんで種な実も成る。
そして、春になれば茎も枯れ始めて、水をとっかえひっかえどうしたものかとやっぱり枯れて机の隅っこに引掻けて放置するもので、カラカラスカスカの質量も完全に無くなった茎は風も吹けば飛んで落ちてゴミとなる。
なので、私は本日聖護院大根のサヤを解体して種を取り出す。

種はフカフカのサヤ・クッションに包まれて大切に守られている。
衝撃には弱いのかもしれないし暑さにも弱いかもしれない。
スカスカとした緩衝材のようなものが発芽する時にいい感じに活躍するかとしれないので壊したサヤの殻も一応捨てずに保管する。
ネット情報によると8月下旬から9月上旬に30センチ程掘り種植えするようで、しかし、我が家にはこのようなデカデカな聖護院大根を育てるようなスペースは当然無い。
頑張れば一つ大根ぐらいは育てることは出来るかもですが、とりあえず8月末の猛暑の最中水に湿らせて発芽にトライする予定だ。

カリカリと乾燥した聖護院大根の茎とはほとんどミイラのようで、このような質量0の茎の種から再び生命が生まれるかと思えばほとんど神秘である。

ミイラを漢字で書くと「木乃伊」と書くようだ。
私はカリカリに乾いたミイラの枝を見て何となく「木及び伊」の文字からミイラを感じている。
ウソウソ、全くミイラと木乃伊の関連性がよくわからない。

「伊」とは何かと調べると「これ・この・かれ・かの・ただ」と指示語のようでもあり、伊豆、お伊勢さま、伊賀、伊予と地名に使われることも多くて、これ・かの地の豆勢賀予な場所かなとなる。
または、「伊の達」と書けば伊達男の「だて」で、木のように乾燥した伊達のように派手に見栄え良く飾るミイラと思えば、上手く言葉には出来ないのですが「木乃伊」のミイラなのかな。

ということで、

私はミイラのようにカリカリに乾燥した聖護院大根の種を収穫する。
黒ずんだサヤは割るとあまり健康そうな種ではない種が出てきたのでそれは避けて、2つの実なるサヤからも普通の種と栄養が届かなかった黒ずんだ種も取れたので、その悪い種も避ける。

合計9粒の種を収穫する。

種:6粒
駄目種:3粒
記念保存用の種入りサヤ帽子:1つ

上手くいけば今年の年末ぐらいにデッカイ大根が育つ予定だ。

他にミイラに関連する言葉はないかと調べていると「ミイラ取りがミイラとなる」との言葉もある。
今朝、私はミイラのように干からびた聖護院大根から種を取り出すものでこの行為は何だかミイラを取り出す感じでもある。
改めて意味を調べると人が行方不明になり探しに行ったらその人もまた行方不明になり探されることで、転じて、相手を自分の側に引き入れようとした者が相手側に引き入れられてしまう、朱に交われば赤くなるような感じの日本人なら誰でも知っている諺である。
物語だと「おまえもか・・・」と面白くなる要素も満載ですが、しかし、なぜ?ミイラかと考えるとさっぱりとわからないミイラである。
この謎は全て「ミイラ」を「木乃伊」と読むことに秘密があるような気もするもので「木乃伊」「木乃伊」の文字を見ていると政治家が集う老舗料亭のような名前にも見える。
あるいは本当に伏魔殿のようなミイラかもしれませんが、または、ミイラを取りに行く行為自体も何だか不思議だ。
なぜ?わざわざミイラを取りに行くものなのか?と思うものである。
ミイラ取りがミイラになるというのは生命宿る肉体から質量0のカリカリとなる真反対に変容するもので左から右の180度の針の振り幅だ。
実話の昔話を空想すると、むか~し、むかし、ある若い男が「木乃伊」を取りに山に入り帰ってこない、心配したお姉さんも若い男を探しに山に入るけれども帰ってこなく、若い村衆総出で探すとお兄さんとお姉さんがカリカリなミイラで発見されて・・・ほぼ吸血鬼に血を吸われたような、箱を開ければ玉手箱な浦島太郎のようなホラーなホラ話でもある。

ということで、

ミイラのことはさっぱりとわからないのですが、謎の「木乃伊」も絶対に取りに行ってはいけないことだけは学んだ。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2026年6月5日(金)
■サウンドマスター♪
■2026年6月8日(月)
■一日一文章トレーニング。

「二度目のちりめん山椒」

部屋の中にも風流があるとすれば、今朝の小雨降るグレーなお空にぷんぷんと梅の香りが香る我が部屋はとても風流だ。
この甘いフルーツな香りは齧りたくもなるようなとても良い香りで、黄色く熟す完熟梅の様子を確かめる為にクッキングペーパーをめくると「ぶわーっ」と梅の塊が部屋に広がる。
物凄い梅の香り、旬を生活に取り入れることは素晴らしい。
これは品というものを風に例えた昔の人のお洒落さでもあり、確かに人やモノの持つ趣きや味わい、センスとは風のように流れてくるものだ。
梅の名の付く梅雨前線はどの辺りにあるかと天気図で調べるとまだまだ日本列島の真下にあってまだ梅雨入りはしていない。
この雨や曇り空は静岡沖にある低気圧が運んでき雨のようだ。

この週末、私は去年の冷凍の実山椒を全部使っちゃおーとちりめんを買う為に街まで足を伸ばす。
てくてく、てくてくと道を歩き先日の台風一過で街の雰囲気や空気も随分洗われて心地良い。
前回は小さ目のちりめんじゃこを使ってちりめん山椒を作ったので、今回はもうちょっと大き目のちりめんじゃこでちりめん山椒を作ろうと思う。
丘を上り下り先日の台風の大雨で開花した紫陽花を愛でながら不忍池を通っていると上野のお山と言えば紫陽花のイメージが強いのに随分と禿山だ。
私の記憶では池の回りに紫陽花の花が咲き誇る感じはあるものの、ぽつぽつ、ぽつぽつと池の回りに花は咲けども、そもそも花を咲かさない紫陽花の株もあって、私の知っている不忍池の紫陽花はどこにも無い。
紫陽花とは放っておいても雑草の如くたくさんの花を咲かす感じの花でもあり、ここ数年の猛暑で水々しさや茶色く枯れ気味の紫陽花は確かに見たような気もするものの、こんなにもスカスカだったけ?と思う紫陽花である。

ここ数年の酷暑やインフレな波とかぶる紫陽花かな?である。

スーパーに行くと南高梅を見つけて、大きなちりめんと一緒に購入する。
梅はやや黄色く熟した完熟梅で値段は雹害の不作の去年よりもやや消費税8%ぐらい上昇のほぼ同価格。
私の梅データでは令和5年2023年は1kg1200円ぐらいであった南高梅が去年・今年と2000円ぐらいの上昇で約67%の値上りとなる。
これは百円均一で100円のものが無くなるような計算と同じ現象で、この数年間のインフレ状況を梅からみればこの4年間で約×1.67倍の高騰となる。
スーパーに行っても今まで2000円ぐらいで収まっていたようなお買い物が大体3000円ぐらいになるような感じで、ちなみに、赤紫蘇は去年の1束300円ぐらいから500円に上昇する。
赤紫蘇は令和5年・2023年から比較すると約79%の上昇となる。
この調子でいけば数年後には確実に物価は全て2倍になるような計算で、我もおちおちと寝ていればそのうちにお金の価値が半分になるかもしれない世の中に戦慄している。
梅の値段の推移を見ていると約1.67倍ぐらいで押し耐える物価でもある。
私はでっかいちりめんを買いに来たら完熟梅を見つけてラッキーと今年も梅干し作りに挑戦するのじゃー。

ということで、

昨晩、ちりめん山椒を作る。
愛用の鍋に醤油やみりん、酒、砂糖を入れてひと煮立ちさせてから大きなちりめんを入れて弱火でぐつぐつと煮る。
そして、凍った山椒の実を入れて水分が無くなれば完成で、大きなちりめんで作るちりめん山椒はどこか大味だ。
味が染みてないというか何というかの色の濃さも薄いちりめん山椒で、私はちりめんには小粒な魚類の方が良いような予感。
そして、1晩経ちて味見してもやっぱり前回作った小ぶりなちりめんの方が美味しいもので、いつも一度目は偶然に美味しく出来る呆則はある。
そして、再び作るとなると味を再現出来なくて困ったー困ったの浅知恵であれこれと原因を探っている。
この困ったーの壁を乗り越えれば一味成長するかもで、最初の美味しさとは「もっとたくさん作れ」との天が与え賜るビギナーズラックなのかもしれない。
なので、もう1回再挑戦のちりめん山椒は作る予定だ。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2026年6月8日(月)
■ズンチャ♪ズンチャ♪
■2026年6月9日(火)
■一日一文章トレーニング。

「本日は“つまようじペン友の会”の定期報告書を書く」

おそらく、“つまようじペン友の会”とはつまようじペンを一度でも試した人が自動的に会員にされてしまう鬼畜仕様だ。
なので、この文章を読んで爪楊枝のペン?と気になった人や爪楊枝に一度でもインクをつけた人は「もう、おまえは“つまようじペン友”の会員だ」なのである。
北斗4千年の残念無念で、もちろん会費年会費は無料、他のペン派閥とのバトルも無く平和に爪楊枝に墨汁をつけつけと書く。
金ペンサーや極細ペン先先輩に「爪楊枝の分際が云々・・・」と嫌味を言われても「あはは、そうどすね~☆」と敷居を低くして会員入りを虎視眈々と狙う。
私のたった一つの願いとは良き書き味の方法を見つけたら教えてケロで、私も大発見をしたのでここに記す。

日々、つまようじペンを愛する私たちは爪楊枝の書き心地の改良に余念はない。
私もインクを保持量が少なすぎる問題を解決すべくあれこれと試行錯誤しているもので、たくさん爪楊枝を無駄に真っ黒にしながら消費している。
軸の木に刻んだ隙間を作ればそこに墨汁を貯めて保持量を増やせるかもと、私はさっそくプラモデル用にニッパを使って爪楊枝のペン先を折らないように側面に幾多の溝を刻む。
そして、何も加工していない爪楊枝と、幾多の溝を刻んで墨汁を貯めるスペースを作った爪楊枝で書ける1本線の長さを比較する。
<<結果>> 線を引ける長さにほとんど違い無し。www
側面に溝を刻もうが刻まなくともインクの保持量に変化はないもので、私は次に爪楊枝の木材の芯まで墨汁が浸透しているかどうかを調べる。
ニッパで真っ黒な爪楊枝をパキッと折って比較すると、溝を折った爪楊枝の方が芯に向かって墨汁は染み込んでいる。
そこで、墨汁の量を増やしたければ木材の芯の芯まで墨汁でひたひたにすれば良いのではないかと考える。
私はカッターナイフという名剣をふるい細い爪楊枝の先端をまっすぐにパカッと割る。
※写真の図のように。
思ったよりもパカッとキレイに割れる爪楊枝で、試しに横線を1本書いてみると何も加工しない時よりも2倍ぐらいの長さは書けた。
大成功である!
爪楊枝ペン先の先端はパカッと半分に割ってスリットな溝を作れば、そこにインクはたくさん溜まるもので、先端の直線的な割れ目は万年筆のペン先と同じような効果でインクもたくさん溜まるようだ。
これですこすまた、つまようじペンは実用的になる。

因みに、最近私が愛用している墨汁浸けペン用の道具がこれだ。
インクは開明墨汁を継ぎ足しながら使用しているもので、蓋の裏面に墨汁が付着しないように壺はいつも丁寧に扱っている。
墨汁は扱いが雑になると手も真っ黒に汚れるものであちこちに飛び悲惨な結末となる。
なので、墨汁は丁寧に扱うに限る。
そして、ペン塗りはぺんてるのカートリッジ式薄墨を挿さずにつけペン用として使用するもので、ほとんどの作業とはほぼこれ1本で事足りる。
大きな面を塗りつぶす時には開明の極太朱肉カートリッジ式ペンの太すぎる筆で一気に塗り潰すもので、どちらのペンも赤い輪を外さずにつけペン用のペンとして活用している。
要は筆を洗うのが面倒でカートリッジ式を使えば筆は洗う必要もない。
そして、私のデスクにも爪楊枝のイノベーションが生まれるもので、2ミリ芯ホルダーにつまようじペン先を入れればほぼ0.5ミリの細書きインクペンとして使用できる。
これでまるごと墨汁生活となる。

棟梁とは道具から作るらしい。
なので、私も棟梁でも何でも無いのですが職人の真似事をしながら道具から作る。

 

*デスクトップ画面用の画像です。
■2026年6月9日(火)
■へびとへその外宇宙探索船。